第二十七話:死中求活
いるはずのない人間が、見慣れない服で、脈絡なく話しかけてきて、美空は目を白黒させる。
「え、どうし……いなくなったんじゃないの?」
「ん、一昨日ね。散歩してたときに誘われちゃって、そのまま宇宙に行ったんだ。私、山都さんの素顔初めて見たよ」
今朝見かけた面白い出来事を報告するかのように、詩緒奈はさらりと説明する。驚愕で頭の回転が鈍っている美空と違い、玲花はその言を聞いて表情を険しくした。
表情の変化に気づいているのかどうか、詩緒奈は穏やかな笑顔のまま、しかし目だけに真剣な色を混ぜて、口を開く。
「美空、玲花ちゃん。お願いがあるんだ。星斗くんのブレスレット、渡してくれないかな」
「ダメ」
即答した。
「絶対に渡せない」
念押した。玲花の厳しい反応に驚いて、美空は振り返る。玲花は悲しそうな、険しい顔で詩緒奈をまっすぐににらみつけている。詩緒奈もまた苦しそうに、繰り返し請う。
「お願い。渡して。星斗くんのブレスレット……それがないと、困るの」
懇願、張り詰めたような必死さを漂わせて、詩緒奈はまさに懇願した。その真剣さに玲花も苦しそうに顔を歪めながら、首を振って、断固として拒絶する。
「ダメ、渡せない。市井星斗はもういない。そんな理論は危険すぎる」
「危険でもなんでも、やるしかないの! 渡してよ! それが、それがあれば……」
詩緒奈は、激昂と悲嘆と苦渋を同時に含んだ涙を浮かべて叫ぶ。
「星斗くんが生き返るかもしれないの!」
玲花の無理解を糾弾する詩緒奈の言葉に、美空のほうが殴られたような衝撃を受けた。
「い、き? かえる?」
「そんなこと、ありえない」
「理論的にありえるの。玲花ちゃんだって知ってるでしょ?」
玲花の強い否定を拒絶して、詩緒奈は切々と胸に当てた手を握る。
「オリハルコンの思考する能力を利用して、ブレスレットを介して私たちの思考を転写する。それがコントロールギアの制御方式で、オリハルコンが私たちの手に馴染む原理。だからブレスレットに、星斗くんの思考が残っている可能性は充分にある。また話せるかもしれない!」
「でもそれは擬似的なもので」
「だから急がなきゃいけないの! 星斗くんは長くブレスレットをつけていて、オリハルコンに思考を焼き付け続けてきた。それがノイズで消える前に、固着させなきゃいけない。だから、お願い玲花ちゃん! 渡して! 私から、全部奪わないでよ……っ!」
「ダメだよ」
美空は呆然としながら、口を挟んだ。目を開いて、詩緒奈を見つめて、声を震わせる。
「ダメだよ詩緒奈……なんか、なんかそれ、変だよ。生き返りじゃないじゃん。星斗くんじゃないじゃん。おかしいよそんなの」
「おかしくないよ。だって、星斗くんだよ? また話せるんだよ? ずっとずっと、あんなにボロボロになっても守ってくれた星斗くんが、ちゃんとブレスレットのなかで生きてるのに。今度は、私が助けてあげなきゃ、じゃないと、星斗くんが」
詩緒奈は、限界だった。
追い詰められて、何もかもに怯えて、トンネルから抜け出すための小さな光にがむしゃらに向かっている。その出口がどこにつながっているのか、考えようともしない。
とにかく落ち着かせようと、美空は詩緒奈に一歩近づく。
「ダメ、ダメだって、詩緒奈。星斗くんはもう、お葬式が」
「美空までそんなこと言うの! なんで分かってくれないの!?」
烈火のような怒気に焼かれて、美空の足はすくんだ。
詩緒奈は泣きつかれた顔で、頑なに拒絶する二人を見比べて、絶望の奈落に感情を取り落とすように、表情をぽろぽろと落としていく。
「どうしても渡してくれないなら、もう」
紫色のブレスレットに、指を触れた。
「ダメっ!」
玲花が顔色を変えて叫ぶ。しかし、詩緒奈は止まらず、指に力をこめて、弾いた。
「もう、奪い取るしか、ないじゃない……っ!」
「つ、ヘスティア!」
玲花が叫びながらブレスレットを弾き、膨張して腕輪に変化する。限定起動。飛び起きるように立ち上がった”青藤のヘスティア”は、突如として爆発的な光をぶちまける。
「――変身!」
詩緒奈はもはや、形振りに構っていなかった。
誰の目があるとも知れない住宅街の真ん中で、オリハルコンの装甲をまとう。ボコボコと溶岩の沸き立つような膨張が、膨らんだ頂点で固まり、その曲面がまた沸き立つ。肩と脛だけが異様に大きい、蟹を開いて二本足に組み立てたような、濁りきった黄色の異形。
クラストだ。
岸壁が自然の侵食によって人面になったような造形に、琥珀をアメジストで包んだのような、独特の色合いをした瞳を開く。動かない硬質な顔に代わって感情を雄弁に語るように、悲哀が満ち溢れた色を瞳ににじませて、己の敵をにらみつけている。
「美空、飛んで! ――変身っ!」
「へ、変身!」
雄々しく叫ぶ玲花につられたように、美空もブレスレットを弾いてコマンドワードを唱えた。起動させながら、高く飛び上がる。落ちそうな体を、無理矢理引き上げるような力場が四肢に張り付く。うめき声を上げながら、美空は高度をどんどんと上げていく。玲花もその隣に飛び上がっていた。
「逃がさない!」
詩緒奈が即座に追いすがる。原型となった”浅黄のアルテミス”の低い航空能力を引き継いでいるらしく、義正や竜人と比べても遅い。しかしそれでもアルテミスより、そしてなによりコントロールギアのみの二人より、よほど速かった。
「美空っ! アテナを呼んで!」
「あ、アテナやーい、こっちゃこーい! ねぇ呼ぶってどうすんの!?」
「それでなんとかなる!」
「まじで!?」
怒鳴りあうような会話を交わす二人に、詩緒奈が割り込む。
つかみかかる手に対し、美空は足を振り上げて飛び越え、踵で蹴り落としてすれ違う。格闘戦なら、戦闘機に乗っていたぶん美空のほうに分があった。
「詩緒奈、ちょっと落ち着いてよ。ねぇ!」
「美空こそ分かってよ! 急がないと、星斗くんが危ないのに!」
「危ないってなにそれ!」
再びつかみかかる詩緒奈の腕をつかんでくぐり、振り返る顔を踏みつけて高く飛ぶ。
「美空、とにかく上空に逃げて!」
玲花は美空を置いて一目散にひたすら飛び上がっていた。というより、応戦している美空を信じられないような顔で見ている。
慌てて玲花を追いかける美空を、さらに詩緒奈が追いすがる。伸ばされる手に寸前で気づいた美空は、垂直方向に対してバレルロールをするように体を回転させながらかわした。空力で動いているわけではないため、必ずしも回転は必要ではなかったが、結果的に詩緒奈の手を惑わすフェイントになっている。
「美空、もう少し!」
先行している玲花が急かすように手を振りながら、激励の言葉を落とす。
加速で優位にある詩緒奈を、美空は機動と身のこなしを交えてかわしながら、必死に高度を上げていく。青ざめたような空は、だんだん色が暗くなっていた。
鉤のように曲がった薄い巻雲が大きく見え、太陽光の強さが白々と遠慮のないものになっていく。気温低下と相まって、空気がしんと澄み切っていた。
腕と胴体を使って抱きしめるような動きを、美空は相手の肩を蹴って辛うじて避ける。詩緒奈の指先が触れて、コントロールギアが自動防壁の力場で弾く。高速で回転するものに接触した木片が折れ飛ぶような音がして、防御に瞬発力を回したぶんだけ上昇力が落ちた。
高度の優位を取った詩緒奈は、抵抗する美空を見下ろして、嫌がるように首を振った。
「なんで……なんで邪魔するの!? どうして、私、どうしても星斗くんを助けたいのに」
その悲痛な叫びに、美空は怒りがむくむくとたぎるように、顔に憤怒を表していく。
「いい加減にしてよっ! 詩緒奈! 星斗くんはもう死んだんだ! どうして認めないの!」
「生き返るもん! ブレスレットがあれば、それさえあれば、また話せるのに!」
ぐばり、と詩緒奈の肩が開いた。美空が顔色を失う。
義正に向けられた、アルテミス唯一の近距離攻撃兵装、ショットガン。
「星斗くんを返してよぉっ!」
大口径が破裂して、ショットガンの物理散弾がぶちまけられる。
寸前に。
飛来した戦闘機が鼻先から詩緒奈に特攻した。高速移動体の直撃を受けた詩緒奈は、上半身を逸らしてフレアのようにショットガンの曳光をばら撒く。空気の塊に殴られるような衝撃波に、視界を金色に染めた美空もまた空中でもみくちゃに振り回される。
「美空ぁ!」
「あ、アテナ……っ!」
玲花の悲鳴を聞きながら、体の回転を押さえ込んだ美空はアテナを呼ぶ。
リインフォースデバイスの自動制御では変形できなくとも、コントロールギアさえ起動していれば、遠隔制御ができる。空力ブレーキで一気に減速したアテナの開いたキャノピーに手をつけて、滑り込むように搭乗する。操縦桿を握るときには、変形は完了していた。
「玲花!」
「コントロールギアの防御機能があるから、手を!」
玲花がスカイダイビングのように両手を広げている。それを包むように両手で受け止めた。そして、アテナはその高速航空戦闘機動を可能とする推力をもって、一気に空に昇っていく。希うように伸ばされた詩緒奈の甲殻にまみれた歪な腕は、航空能力の差によって、あっという間に置き去りにされた。