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歓楽街

作者: 浅川太郎
掲載日:2011/12/19

冬休みも近づき、幼少だった頃を思い出して書きました。

小学生だった頃、冬休みが近づくと、同一町内の子らが集められ、高学年が音頭をとり、過ごし方の留意点などをまとめ、最後に復唱した。


僕が小2の時だった。


5年の女の子かリーダーとなり、《お父さん、お母さんの手伝いは嫌がらずにやりましょう》と、これは理解できたが、幾つ目かの《『歓楽街』には決して1人では行かないようにしましょう》とあり、歓楽街の意味がピンと来なかった。

質問なんかはしない性格であった。

漠然と(長崎市内)浜の町までは行ってもいいが、思案橋から先は駄目なんだろうなぁと考えた。

そんな子供の頃の僕を誉めてあげたい。


でも僕は思案橋の近くの横丁を少しだけ知っていた。




ビートたけしがペンキ屋の(せがれ)であるのは有名だが、僕の家も似たようなもので、僕は家に来てた職人さんのマーコ兄ちゃんと、タツ兄ちゃんに育てられた。


タツ兄ちゃんは僕を連れてパチンコ屋にも行ったし、赤い口紅を塗った《怖い姉ちゃん》逹のいるところにも行った。

家で夕飯を食べて帰る毎日であったタツ兄ちゃんは、おそらく、夕暮れに僕を連れて、当日の「女のローテーション」を確認してから帰っていたのであろう。


子供には、どぎつい赤い口紅の女の人は、生肉を食った後のような印象があって怖かった。

怖かったけど、彼女逹は子供の僕が大好きだったようだ。


当時の彼女逹の格好は、1960年の前後であり、ミニスカートが考案されるには十年余りはやく、ボディコンの服なんて一着もない頃である。

漫才の《いくよ・くるよ》のくるよちゃんがよく着てる、島田紳助がサーカスの象使いが着てると言ったあんな服、それも信号よろしく赤青黄の原色であった。

とにかく僕は食べられるかもしれないと怖かった。


であるから5年生の女の子が、歓楽街に1人で行かないように注意するのも、もっともなことだと思った。



二十歳になってからこっち、僕の作品で判るように、僕は人一倍歓楽街には通いつめたほうだろう。

世の中にデフレという言葉があると知らない時分、ほとんど毎晩通ってた頃もあった。



そして判ったことがある。


《歓楽街》に《歓楽》は実は、ほとんどない。

こちらの財布が陥落してしまうことは、まま、ある。


最後のシャレが言いたかったわけでもないのですが‥

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