彼岸の手前
古い作品を供養のために
空は黒く遠く。水は青く深く。風は白く疾く。
三途の河原。
此岸は此処でこの此方岸。彼岸は遠く遠い彼方岸
気が付けば、私は河原にいた。
空は黒く遠く広がり、水は青く深く澄んで、風は白く疾く私の頬を撫ぜる。
河原。
上流の方には赤い鉄橋があり、その手前にはバス停がある。しかし、バスの利用者は橋を徒歩で歩いている人と同じく殆ど居ない。近くに据えられた艀には渡し舟が何艘か停留している。バス停の私を挟んだ反対側には駅がある。駅から伸びた線路は、蒼い鉄橋をとおり向こう側に続いている。
なのに、なのに、河を渡る人の大部分が、そのまま河を何も使わず渡ろうとする。そのまま、ずぶずぶと、あるいはごぼごぼと。
向こう側に渡る交通機関はあるのに、来る人来る人が殆ど使わない。そのまま水に足を踏み入れて渡ろうとする。
私は目の前を横切る男の人に話しかけたりしてみたが、その人は何も答えてくれない。それどころか、そのまま水に入っていく。
船もバスも電車だってあるのに、何でわざわざ……。
「おねーさん。舟に乗ります?」
停留している渡し舟に乗っている女性……いや、少女が私を呼んだ、気がする。顔をそちらに向けると、ローブを着た少女が手招きしている。私は素直に少女の乗る舟に乗り込む。少女の肌は適度に焼けていて、連日の労働を思わせる。
「お客さん一人? まぁ、そうですよね」
骸骨を模ったようなお面を頭の側面につけたフードの少女。渡し守なのだろうか。
「お客さん、疑問に想ってるでしょ? なんで――みんな舟とか電車とか使わないのかって」
まさに少女が言う通りだったので、素直に私は頷いた。そうすると、彼女は艀に係留しているロープを解いて舟を出す。原動機が付いたなかなか現代的な船だ。
彼女は舟底に座り、エンジンに触れている。
「そらそうですよ。こっちだって何時までも櫂とか艪とかじゃ、キツイですもの」
確かに川底までかなりの深さだろうし、なにより川幅が途方も無く広い。向こう岸が見えないほどに広い河。これが狭間を流れる忘却の河なのだろうか。
「当らずとも遠からず、ってとこですかね、お客さん」
彼女の言い分からすると、違うみたいだ。なんでだろう。
「話してあげますよお客さん。旅路は長いですからね」
確かに、永そうだ。川幅と舟の速度から言っても、途方もないだろう。久遠だとか永遠だとか。
「そんなに長くないって。まぁ、地球のどの河よりも広いですけどね。端はあるんですから」
端か。なんか一生みたいだ。
「んぁ……そうだね。言い得て妙、ですかね」
違う、のか。
「いや、そうでもないですが。この河の交通機関、気になっていたでしょう?」
そうそう。バスも電車もあるのに、なんでわざわざ泳いでいくのだろう?
ぼぉぉという原動機と回転櫂が混じった音が響き、体一つで渡る人々を尻目にちょっとした罪悪感優越感を感じながら疑問に思った。これからの長い旅路に、体一つは辛いのではないだろうか?
「自業自得ってやつです。長い旅路で身にまとわり付いた欲がこそげ落ちる。欲を溜めすぎるやつが悪いのさ」
欲、ね。なんともわかりやすい説明ありがとう。
でも、なんで自ら体一つで行こうとするのだろう。まさか本人の意思、というワケはあるまいに。
「欲が身についているやつほど、止まっている乗り物は見えないのですよ。バスや電車が見えたあなたは欲が少ないのです」
じゃあ、私はバスや電車に乗ってもよかったのだろうか。
「そうなりますね。まぁ、決めるのは自由意志です。欲が少ないヤツほど速く閻魔様に会えるってわけです」
閻魔様、いるんだ……。
「当然ですよ。人が転生するか地獄に行くか天国に行くか決めるのはあのお方なんですからね」
伝承のとおりだな。これで姿もイメージどおりだったらどうしようか。
「どうもしなくてもいいんじゃないですか? 話し聞くだけですし。ま、そんなつまらない先のことなんかより、過去の身の上話、話してくれませんか?」
なんでわざわざ?
「興味有るんですよぅ……私、ここに来て長いですから」
まぁ、いいか。河は広い。先は流そうだし。何から話そうかね……。
私が所属していた組織は暗殺を請け負っていてね。まぁこんな時代だからか、依頼は少ないけど報酬の多い仕事ばかりでね、暮らしはラクだったよ。組織、といっても私も含めて5人だったんだけどね。私の担当は普通に闇討ちだったからね、出番は少なかったさ。専ら毒殺……それも病気に見せかけるような毒を使うヤマが殆どでさ。毒殺専門は三人いたね。その3人とボス、そして私が小さい組織の全てだった。
ボスはさ、幼い子供がいる人間を殺さないって信念があったんだけど、騙されて私の両親を殺したの。だから私はボスに育てられた。
最初は分からなかった。ボスを親戚のお兄さんて思い込んでね。私が17ぐらいの時に両親のことを教えられたけど、憎しみよりも感謝のほうが大きかったよ。よく育ててくれたなって。ナイフの腕もボスに教えられたんだ。ナイフだけじゃなくて、料理や洗濯、何もかもをボスに教えられた。
だから、私は感謝して、ボスのためにと頑張った。まぁ機会は少なかったけど。生きているだけで、ボスと居るだけで満足だった。私に電車が見えたのも、そのためだったかも。とにかく幸せだったよ。
暫くして、ボスが死んだ。35歳でね。死因は急性虫垂炎。病院に行くのが遅れてね。五分早かったら助かったんだってさ。組織は私の物になったけど、もう必要なかったから毒殺の3人に譲って――利権もパイプも何もかも譲って、私はボスが溜めててくれた貯金を使って大学に行って勉強して、卒業の前に事故で多分死んで、ここにいるんだよ。
「……はぁー、今までいろんな人の身の上話を聞きましたけど、そこまで楽しそうに語る人はいませんでしたよ」
そうかな? 自分は楽しく語ったつもりは無いけどね。
「それでも、ですよ」
ありがとう。でもこれは本当に身の上を話しただけだから。貴女は気にしなくていいよ。
「でも、それだけじゃないでしょう?」
やっぱり分かっちゃう? 私の話がまだ途中ってことに。
「当然。それだけだったら大抵はアレに乗ってますから」
彼女はそう言って上空を指差した。上をみると、飛行機が飛んでいた。
「彼岸と此岸を僅か2時間で結び、快適な死出の旅をお約束する最高の環境にて死者を運ぶジェット旅客機」
この辺りまでくると他の交通機関も見えてくるらしい。左を向くと線路が何本もあり、エクスプレスが横切っていった。
なるほどね。あれとかみんな、旅のお供ってわけだ。
「そう。そして死者の欲望計測器代わりにもなっているの」
これじゃあ、隠し切れないだろうね。嘘をつく暇もない。
「結局選ぶのは死者本人だけど――アナタが列車まで見えてたけど、この舟を選んだようにね」
なるほど、ね。よく出来てる。
「さて、そろそろ話してくださいますか?」
何を?
「惚けないでくださいね」
彼女は舟の速度を落とし、こちらを見る。
「貴女は、何が心残りなんですか?」
心残りねぇ。話す必要、あるの?
「話したくないのなら結構ですけど……気になるんです」
ま、減るもんじゃないし。死んじゃったし。話してあげる。
「よいのですか?」
彼女は前を向き、舟を速める。私は仰向けに寝転がり、この世界の黒い空を見上げた。夜とはまた違う黒い空は、全てを侵しそうなほどに遠い。
私は……ね、ボスを愛したの。
「ロマンスですか。可愛いんですね」
なんとでも言え。大真面目なんだから。
「失礼」
それで、告白したの。そしたらね、ボスったら「私で構わんのか?」とかって最初っから構いませんのに聞いてきたんですよ。まどろっこしいしもう我慢できないからその、キ、キスして「構いません」って言ったらね、やっとOKしてくれたんだ。そして、ボスとその……いや、えっと……つまり……えぅ。
それがボスが死んだ日。ボスはね、その、つまり、えーうん。だからって痛みを我慢してたんだ。別に止めたっていいのに……。
「で、死んじゃったんですか」
そう。私を恋人にして、私と……して、私と誓い合った日にね。私を残してこっちに来たんだ。うー顔が熱い。
「おや、死んだ、じゃなくて来た、ですか」
そうだよ。だってここは死後の世界だろう?
「まぁ、そうですけど。まぁ、続けてください」
なんか引っかかる言い草だな。まあいい。とにかく、でも私は一人にはならなかった。お腹の中に一人、出来てたって事が分かったのがボスが死んだ2ヵ月後。
「産んだんですか?」
勿論。可愛いよ? 男の子で名前はヨハン。育児の間に勉強して大学に入った。大学に通ってる間は人に預けてさ。
「そして……」
そ。車に潰されたの。……多分。最期に見たのは迫ってくる車だから分からないけど。
「やけに冷静なんですね」
私、暗殺者だったんだよ? 覚悟は出来てた。でもね、ヨハンのことが心配なんだ。本当だったら今すぐ見に行ってやりたい。この手で抱いてやりたい。
「無理ですね。というが、好きな人に抱かれただけでも贅沢じゃないですか。私何か……いえ、続けてください」
あ……ごめん。
「気にしないでください」
あーいや、とにかくヨハンが心配。それだけ。
「残念ですね。もう少し欲が薄ければ、特急くらいには乗れたのに」
それでも、この舟に乗ったと思うよ。
「光栄ですね……」
船頭の少女はやさしく微笑んで空を見る。空は相変わらず黒いけど、はじめに見たときとは何か違う気がする。
川面に冷たい風が吹いた。私の照れて火照った顔が風に撫でられて冷めていく。自然と欠伸がでた。少し瞼が重くなってきている。
「眠りますか? まだ結構掛かりますから」
うん。じゃあ、暫く寝かせてもらうね……。
私は舟に寝転んだ。夜のような藍色の空を見上げると、ジェット旅客機の腹と翼が空を縦断していくところだった。その旅客機に遅れてエンジン音が耳に響く。とても煩いハズなのに、私の眠りを妨げようとはしない。むしろ煩いはずの音に誘われるように、私は眠りに落ちていく。
頬を何かが伝う感触に目を覚ます。
体を起こし頬に手を当てると、微かに湿っていた。周りを見ると、霧が立ち込めている。そんなに濃くはないが、服が微かに湿るほどではある。
船頭さん。まだ、着かないの?
「まだですね」
後ろを振り向いて船頭に聞いたが、二日はかかるらしい。空を見ても霧の所為で白く見えるだけだが、普段は青いのだという。
私は夜に此処に来たみたいだ。
こう、幅が広いと、身一つで特攻組はそうとう大変なんだろうね。
「そうですね。たどり着けない人も結構居るらしいですよ」
食事が心配だな。
「そうでもないです。河の途中に売店とかありますから私たちが買ってあげます。必要経費で落とせますし」
随分親切なんだな。それでも特攻組は食事なしか。
「いえ、その方々は配給がありますから」
……至れりつくせりなんだな。
ふと、舟の進行方向を見る。白い霧の向こうに、懐かしい臭いがした。私の視界を隠す霧は煙るまま、大河を覆う。
「どうかしました?」
背後の渡し守が尋ねてくる。渡し守の声は私が突然前を向いたことにたいする怪訝なものではない。何か心配してくるような、そんな声。
大丈夫。気のせいだったから。
「そうですか? まぁ、時折此岸に向かう舟とすれ違いますがね」
そうだろうね。送ったあとでまた私が乗った船着場に行くんだろう。
「実はですね、艪を使う舟もまだあるんですよ。新人が使ってますね」
霧が少しづつ晴れていく。その向こうにうっすらと、舟の陰。駆動音はなく、人がそれに立っている。おそらく、今彼女が言った新人の舟なのだろう。
だが、何故だろう。私は向こうから来る舟、いや舟に乗っている人が気になった。まだ距離は遠く、加えて晴れかかっているとはいえこの霧だ。渡し守の顔は分からない。なのに、何故か、その人を知っている気がした。
「……ボス」
知らず、口から声が漏れた。
私は今、なんと言ったか。秒にも満たない過去なのに分からない。
霧はまだ、晴れきらない。
「おーい。お客さん?」
うるさい。声を掛けないで。
霧の向こうのあの人を、みたい。どうしようもなく、気になる。
私が乗っている舟も向こうから来る舟も、速度が遅くなかなか近付かない。それがもどかしい。一秒刹那ももどかしい。
ねぇ、もっとスピードをあげて。
「霧が晴れるまではこれ以上速度をだしちゃいけない決まりなんですが」
じれったい。これでは泳いだほうが速いじゃないか。
そう思った瞬間、私は河に飛び込んだ。船頭さんが何か言った。けど聞こえない聞かない。
水は冷たくない。砂が堆積した水底がうっすらと見える。眼が痛い。
私はボスに教えてもらった泳ぎで、あの舟に向かう。水の抵抗が私を阻もうとするけど、弱い。
先程とは比べ物にならない速さで目的に近付く。近付いて、水の中から腕をだし、船縁を掴んだ。それを手がかりに、私は自分を引き上げる。舟が揺れる。水面から顔を出して、その舟の船頭を見る。
彼は、驚いた顔で。
「君は――――」
彼は、生きていたときと時と変わらぬ顔で。
間違えるはずがない。理由もない。
「ボス……!」
逢いたかったあの人に、私はここで、再会できた。
4年くらい前の古い作品です。もしかしたらもっと古いかも
供養程度に晒します




