三須照男の挑戦
第一話☆薔薇がバラバラ殺人(未遂)事件
日曜の朝、僕と母さんは地元の公園で開催されている「青空マルシェ」にいた。焙煎したてのコーヒーの香りと、どこかのおしゃれなパン屋が焼くクロワッサンの匂いが、爽やかな風に乗って鼻をくすぐる。
「見て、照男!あそこ!」
母さんの声のトーンが二段階くらい上がった。人混みの先、パッチワークの屋根が可愛いテントに、母さんは吸い寄せられていく。
それは、深い緑の毛糸で編まれた円形の土台に、色とりどりの立体的な花が咲き乱れる「フラワーブランケット」だった。
「いかがですか? 一編みずつ心を込めた手作りですよ」
店主の言葉に、母さんの目が「お宝」を見つけたハンターのように輝く。スマホで検索すれば、似たような既製品は一万円を下らない。ネット広告で出てくる「激安品」は、届いてみればただの手芸キットだったなんて悲劇もよく聞く話だ。
「これ、買います!」
他の客が手を伸ばすより先に、母さんは財布をひったくるようにしてレジへ突進した。
帰宅してリビングのソファに広げると、母さんの顔からさっと血の気が引いた。
「……ねえ、これ。よく見ると薔薇の形がバラバラじゃない?」
僕も覗き込んでみた。確かに。中心がぎゅっと詰まった蕾のようなものもあれば、花びらがだらしなく波打っているもの、なぜかカクカクして星みたいな形のものもある。
「なんだって? 薔薇がバラバラだって?」
奥の部屋から、編み物の達人・みすずばあちゃんが眼鏡をずらして現れた。その目は、鑑識官のように鋭く編み目を見つめる。
「……手の加減がてんでバラバラだね。こりゃあ、少なくとも三人は関わってる。内職の寄せ集めだろうよ」
リビングのソファに広げられた、一見華やかなフラワーブランケット。しかし、その編み目を見つめる照男の目は、いつになく鋭く光っていた。
「……待って。母さん、これはただの『不良品』じゃない」
僕は顎に手を当て、深刻な顔でブランケットの端を指差した。
「見てよ、この薔薇。形が不自然に三種類に分かれている。……犯人は三人だ!」
「はあ? 犯人?」
母さんの呆れ顔を無視して、僕は推理を加速させる。
「おそらく、マルシェの華やかなテントの裏側には、血も涙もない『編み物工場』が存在するんだ。リーダー格の『きっちり丸薔薇夫人』、新人の『ぐしゃっと蕾ちゃん』、そして性格が尖っていると推測される『星型スター』。この三人が、マルシェの搬入時間に間に合わせるため、昨夜、徹夜で分担作業をしたに違いない。これは情熱の欠如ではなく、時間の暴力が生んだ悲劇なんだ!」
空想の「マルシェ裏組織」を暴き立て、僕はビシッと人差し指を突き出した。
「この謎は解いてみせる! ミス・テリオの名に懸けて!」
「……あんた、テレビの観すぎだよ」
母さんの冷めた声がリビングに響く。しかし、みすずばあちゃんだけは「ふふっ」と不敵に笑った。
「面白いね、ミス・テリオ。じゃあ、その『組織の闇』を暴くために、ダイタイソーへ乗り込もうじゃないか」
(ダイタイソーでの買い出しを経て、数時間後——)
「き、キーッ! なんで丸くならないのよ!」
リビングには、母さんの悲鳴がこだましていた。
目の前には、薔薇というよりは「絡まったスパゲッティ」のような毛糸の塊が転がっている。
一方で、みすずばあちゃんの膝の上には、マルシェで買ったものより数倍美しく、形も完璧に揃った薔薇が次々と咲き誇っていた。
「母さん、諦めるのが早いよ。組織のトップへの道は険しいんだ」
僕は手帳にこう記した。
【事件番号:001 薔薇がバラバラ殺人(未遂)事件】
•動機:人件費の節約
•結末:母さんの不器用さが露呈し、組織(三須家)はみすずばあちゃんの一党独裁状態へ。
•解決:ミス・テリオの鋭い推理と、ばあちゃんの圧倒的技術力により、4000円の闇は千円の毛糸で浄化された。
母さんは、ばあちゃんに口へ放り込まれた飴を転がしながら、「次は自分で編むって言わなきゃよかった……」と、幸せな敗北感に浸っていた。
第二話☆コードネームは007?
「今日は給料日だね」
みすずばあちゃんが、ホクホクのふかしたじゃがいもを頬張りながら言った。
「あんな安月給、一瞬で溶けてなくなるわよ!」
母さんが、家計簿という名の戦記を睨みつけながら吐き捨てる。
「でも生活できてるじゃないか。……まだ、あの日のことを悔やんでるのかい?」
ばあちゃんの目が、ふっと遠くを見た。僕はその言葉を逃さない。
「ねえ、『昔のこと』ってなあに?」
「結婚する時に、お父さんを母さんの実家へ養子にもらう計画があったのよ」
聞けば、母さんの実家(佐藤家)は跡取りがいなかったらしい。
「照男も気をつけな。あんたも佐藤家へ養子にやられるかもしれないよ」
ばあちゃんがイタズラっぽく笑う。そこへ、父さんが帰ってきた。
「ただいまー……。なんだ、僕がどうしたって?」
「父さん、佐藤家に入って『砂糖と塩』になるのが怖くて逃げたって本当?」
「……ダメだ、それだけは絶対にダメだ。いいか照男、佐藤家に入れば僕は『サトウ・トシオ(砂糖と塩)』。調味料セットみたいな人生なんて、御免被る!」
「なんだい、母さんだって『ミス・ミス(三須)』じゃないか。ミスが許されない人生、私のほうが大変だよ」
「お義母さん、それは自業自得でしょう!」
リビングがいつもの喧騒に包まれる中、二階から弟の環太が降りてきて、無言でポテチを奪い、嵐のように去っていった。
「ふん……養子にするなら、照男じゃなくて環太にしな。あんた、その名前に隠された『暗号』に気づいてるかい?」
僕はハッとして手帳を取り出した。
三須、環太。ミス、カンタ。
……ミスカンタ。
「ま、まさか……! 『ミス・勘違い(ミスカンタ)』!」
僕は震える手でペンを走らせた。
父さんは「砂糖と塩」を恐れ、ばあちゃんは「永遠のミス」を背負い、弟は「勘違いの人生」を予約されている……。
「この家族、コードネームだらけじゃないか!」
【事件番号:002 コードネームは007?】
•動機:姓名判断の悲劇
•結末:三須家は全員が「名前の呪縛」にかかっていることが判明。
•解決:ミス・テリオの鋭い観察眼により、家族全員が「偽名」で生きているような錯覚に陥る。
第三話☆密室トリック
「環太、開けろ。……無駄な抵抗はやめるんだ」
僕は弟の部屋のドアを叩いた。しかし、返事がない。
ドアノブを回そうとしても、カチリと虚しい金属音を立てて拒絶される。内側から鍵がかかっているのだ。
「お前、そんなにポテチを独り占めしたかったのか? 立てこもりは罪を重くするだけだぞ!」
すると背後から、ひょいと声がした。
「兄ちゃん、何してるの?」
振り向くと、そこには二階のトイレから出てきたばかりの、無防備な環太が立っていた。
「……あれ? お前、部屋にいなかったのか?」
「さっきからトイレだよ。お腹空いてたから」
ガチャガチャ、と環太自身もドアノブを回すが、やはり開かない。
「「おかーさーん!」」
僕たちの悲鳴のようなハモりが階段を駆け下りた。
母さんが呼び寄せた鍵の業者が作業する横で、僕は腕を組み、鋭い視線をドアの隙間に這わせる。
(おかしい。中に誰もいないのに、内側から施錠されている。……これは、歴史に名高い密室殺人(ポテチ消失)の構図だ!)
「環太。……犯人は、やっぱりお前だ!」
「だから何がだよ!」
「お前はポテチを独り占めするために、部屋の中から鍵をかけた。その後、窓から外壁を伝って脱出し、何食わぬ顔でトイレに潜伏したんだ。この『壁抜けトリック』、ミス・テリオの脳細胞は誤魔化せないぞ!」
「この謎は解いてみせる! ミス・テリオの名に懸けて!」
「……兄ちゃん、ここ二階だよ? 僕はスパイじゃないし、忍者の訓練も受けてない」
環太の冷静なツッコミが入る。その時、カチリと小気味よい音がしてドアが開いた。
「お待たせしました。単なる老朽化ですね」
業者が手慣れた様子で工具を片付ける。
「中のラッチが摩耗して、閉めた衝撃で自然に鍵がかかってしまう状態でした。早めに取り替えられた方がよろしいかと」
「……」
沈黙が流れる。
「兄ちゃん?」
環太の追求するような視線を浴びながら、僕は窓の外に広がる平凡な庭の景色を眺めた。
「……なんのこと?」
僕はすっとぼけ、華麗なステップで自室へと退散した。
【事件番号:003 密室トリック】
•謎:無人の部屋になぜ鍵がかかったのか。
•証拠:老朽化したラッチ(物理現象)。
•結末:犯人は重力。
•解決:ミス・テリオの「窓から脱出説」は、弟が超人でない限り成立しないことが物理的に証明された。
第四話☆佐藤家の陰謀
朝起きると、みすずばあちゃんの姿がなかった。
台所にも、庭にも、いつもの部屋にもいない。
「……母さん、ばあちゃんは?」
僕が聞くと、母さんは一瞬だけ手を止めた。そして、どこか沈んだ顔で、テーブルの上に一つの包みを置いた。
「これ、預かってきたの」
中から出てきたのは、見慣れたばあちゃんの手編みのマフラーと、一通の手紙だった。
僕はその瞬間、確信した。
(これは……事件だ)
「どこに行ったの?」
「……佐藤実業の老人ホーム」
その言葉を聞いた瞬間、僕の中で何かがつながった。
佐藤家。跡取り問題。養子の話。
「やっぱりだ……!」
僕はビシッと人差し指を突き出した。
「これは陰謀だ! 佐藤家は、ばあちゃんさえいなくなれば、三須家から跡取りを引き抜きやすくなると思ってるんだ!」
「はあ?」
母さんは変な声出したが、そんなことは関係ない。
僕はマフラーを広げ、手紙を開いた。
『ちょっと様子を見に来ているよ。心配しなくていい』
たったそれだけ。
僕は立ち上がった。
「この謎は解いてみせる! ミス・テリオの名に懸けて!」
僕は母さんを引っ張って、佐藤実業の老人ホームへ向かった。
立派な建物だった。玄関は広くて、床はピカピカで、どこかホテルみたいだ。
「ここが……敵の本拠地か」
「やめなさい、ほんとに」
母さんにたしなめられながらも、僕は中へ踏み込んだ。
受付の人に案内されて奥へ進むと、あっさり見つかった。
みすずばあちゃんは、窓際のテーブルで、お茶を飲んでいた。
しかも——
隣には、見知らぬじいさんが座っていた。
「ばあちゃん!」
「おや、来たのかい」
いつも通りの顔だった。
僕は一気に詰め寄った。
「無事だったんだね! やっぱり連れ去られたんだろ? 大丈夫、僕が——」
「何言ってるんだい」
ばあちゃんは、あっさり言った。
「自分で来たんだよ」
「……え?」
横のじいさんが、少し照れくさそうに笑った。
「いやあ、頼んだんだよ。来てくれって」
「誰?」
「佐藤のじいさんだよ」
母さんが小さく言った。
「うちの……本家の」
僕は固まった。
「え、じゃあ……陰謀じゃないの?」
「陰謀?」
じいさんは首をかしげた。
「そんな大層なもんじゃないよ。会社のことは若いのに任せて、わしはもう隠居だ」
「隠居?」
「暇でなあ」
ぽつりと言った。
「……一人でいるのが、ちょっとな」
ばあちゃんが、ふんと鼻を鳴らした。
「だからって、呼びつけるんじゃないよ。こっちにも都合があるんだ」
「いやあ、すまんすまん」
まるで怒られている子どもみたいに、じいさんは頭をかいた。
僕はしばらく黙っていた。
頭の中で、これまでの推理が、音を立てて崩れていく。
「……じゃあ、あの手紙は」
「そのまんまだよ」
ばあちゃんが言った。
「様子見だ」
「でも……」
僕はマフラーを握りしめた。
「これ、置いていったのは……」
「寒いだろうと思ってな」
ばあちゃんは当たり前のように言った。
「お前、すぐ鼻たらすから」
「……」
僕は、何も言えなくなった。
帰り道。
母さんは、少しだけほっとした顔をしていた。
「よかったね」
「うん……」
僕はうなずいた。
でも、なんだか少しだけ、負けた気がした。
(陰謀じゃなかった……)
家に着くと、ばあちゃんは言った。
「まあ、しばらくはあっちに通うよ」
「え?」
「友達もできたしな」
「ええっ?」
「それに、あのじいさん、放っておくとろくなもん食べない」
母さんがため息をついた。
「また面倒なことに……」
「いいじゃないか」
ばあちゃんは笑った。
「退屈しなくて済む」
僕は手帳を開いた。
【事件番号:004 佐藤家の陰謀】
・謎:ばあちゃんの失踪
・証拠:マフラーと手紙
・結末:陰謀ではなく、ただの“さみしさ”
・解決:ミス・テリオ、今回も少し外す
窓の外では、夕焼けがゆっくりと色を変えていた。
「佐藤実業。なぜ業績がいいのか調べて、将来もっと良い会社を僕がたててやろう。……そのために、まずは跡取りになる」
おしまい




