決闘
あれから、数日が過ぎた――。
魔族は、夜に生きる種族だ。
帳が下りるにつれ大気中の瘴気は濃度を増し、呼応するように彼らの魔力は鋭く研ぎ澄まされていく。それはこの大陸における絶対的な自然の摂理であった。
空が不吉な紫に染まり、地平線が太陽の名残を飲み込もうとする宵の刻。セレスの元に、一通の書状が届けられた。
差出人は、魔狼族の若き長であり魔帝の側近――ロカ・グランファング。内容は直球な「手合わせ」の申し出だ。名目は実力確認だろう。だが、あの生真面目に見える軍人が、主君を籠絡せんとする「毒婦」へ抱いた私怨が混じっているのは明白だった。
◇
セレスは、メイドのイリヤに案内され、城の裏庭にある円形の遊戯場へと赴いた。見上げれば、重厚な障壁魔法が展開されている。本気の殺し合いさえ許容する場。それを《《遊戯》》と呼ぶのが、魔族の流儀らしい。
そして、観客席。黒の衣を翻した魔帝が、肘掛け椅子に凭れてセレスを見ていた。特等席まで設けて観覧にいらっしゃるとは。どうやら、陛下は、よほど暇らしい。
「剣で申し訳ないが」
ロカが言い、腰の長剣を引き抜いた。
「魔術師相手でも、これが自分の礼儀でな」
獣を祖とする肉体。引き締まった筋肉、地に根を張るような重心。ただ立っているだけで、周囲にいるものの呼吸を乱すような圧がある。
対するセレスは、返却されたばかりの愛用の杖を軽く振るった。
「遠慮なくどうぞ。――どうせ、私が勝ちますから」
「良い心構えだ、魔術師!」
風が、断ち切られた。
ロカが地を蹴った瞬間、石畳が爆ぜるように砕けた。初撃はまっすぐにセレスの胸を狙った横薙ぎ。野性の直感と練達が同居した、回避不能の速度だ。
だが、セレスは瞬き一つせず、杖を僅かに傾けた。
「結晶花」
セレスの足元に、淡い銀青の術式陣が広がる。
瞬時に展開された防御陣が、花弁のように重なり合い、剣を受け止める。
キィンッ……と、 澄んだ衝突音が響く。
「ッ……!」
ロカの腕にはその衝撃が伝わったはずだ。
その微細な反応を、セレスは見逃さない。
第二撃。
セレスの脇腹を狙う、獣の本能と剣技が融合した斬り返し。
「返照結界」
力を殺し、流し、奪う。剣先のベクトルを書き換える。
だが次の手を出す前に、ロカはセレスから距離を取るように後ろに跳ねた。
その判断の速さに、セレスは内心で舌を打った。
「氷鎖封呪」
鎖が空間に交差する。
「無駄だッ!」
ロカが強行突破を選ぶことは、最初から計算に入っていた。
「空間偏位、発動」
杖が地を叩く。その刹那、ロカが踏みしめた地面の重心が、数ミリだけズレた。たった数ミリ。だが、音速を超える世界において、その狂いは致命的となる。
――今なら、とどめを刺せるはずだ。
だが、セレスは動かない。
ここでロカを殺してしまったら、『価値ある標本』から、『制御不能な危険物』に格下げされる。
それだけは避けたい。
「……くそっ!」
ロカは不格好に体勢を崩した。武人としての誇りが、侮辱に顔を歪める。
「貴様……!」
ロカの怒りが、空気を震わせる。
「俺に、手加減しているのか!」
「手加減? 心外ですわ、ロカ様」
セレスは視界の端で、にやにやと頬杖をつく魔帝を捉え、艶やかに綻んだ。
「私はただ、陛下の庭を汚さないよう、あなたの乱暴な魔力を、お掃除しているだけですわ」
「女ァッ!!」
ロカが本性を解放した。金色の瞳が闇に爛々と輝き、膨れ上がった魔力が旋風となって吹き荒れる。もはや視認不可能な、魔狼の神速。
だがそれこそが、セレスの待ち望んだ「解」の形だった。
目を伏せたセレスの周囲に、星のような光粒が浮かぶ。ロカが必殺の突進を仕掛けた瞬間、セレスの足元から、凶悪なまでに美しい大輪の術式が開いた。
「薔薇の結晶《ルキナ=クォリス》」
激突の衝撃が響く――はずだった。
しかし、訪れたのは空気ごと断ち切られたような、不自然なまでの無音。
ロカが放った凄絶な剣気は、セレスが展開した術式に触れた瞬間――まるで霧が晴れるように、無害な振動へと完全に解体された。
ふたりの力は拮抗し合い、相殺されたのだ。
だが、決着はあまりに一方的だった。
「そこまでだ」
重く響く声。魔帝がゆっくりと立ち上がった。
それだけで、遊戯場を満たしていた殺気が、潮が引くように消え失せる。
ロカは荒い息をつきながら、剣を収める。その表情は険しい。
対するセレスは、乱れた髪を指で整え、観客席の魔帝へ向かって完璧なカーテシーをしてみせた。
「陛下。……少し、お庭を散らかしてしまいましたわ」
毒々しいほどに、美しい微笑を浮かべる。
魔帝は初めてその瞳に、「支配欲」以外の、熱を浮かべた。
――今日も、生き延びることができた。




