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爛れた心に口づけを。狂愛の魔帝と、殺せぬ魔女の物語。R15  作者: 島田まかろん三世


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8/10

恩師

 テリア王国・国立魔術学院――。


 千年の静寂を湛えたその場所で、ファウロス・ヘルミスは、人生で何度目かの「世界の終焉」を告げられた。


 その内の二つは、愛した人間の妻たちの死。それは季節が巡るような、静かな喪失だった。そして、今――


「セレスティア・アルヴィレーンが、……追放?」


 彼はちょうど、書架を漁っていたところだった。


 白いシャツの袖口には、かつて卒業生から贈られたという、小さなカフリンクスが控えめに光っている。その手が、止まる。


 掴む力を失い、ヘルミスは、手にしていた分厚い魔術書を落とした。ゴドンッという重い音が、静かな私室に響いた。


「どう……いう、こと――ですか?」


 銀灰色の髪が、微かに波打つ。


 同僚の教師がもたらした報せは、あまりに卑俗で、あまりに愚劣な内容だった。

 ヘルミスのエメラルド色の双眸から、教え子たちを見守る柔らかな慈しみが、音を立てて剥がれ落ちていく。


「……正気か。この国は、国宝をドブに捨てて暖を取るほどに、知性を腐らせたというのか?」


 王宮から流布されていた流言飛語。

 セレスを貶める怪文書。

 ヘルミスはそれらを、魔術師として当然浴びるべき「嫉妬の洗礼」だとして静観していた。


 悪意を御し、敵を灰にする知略を持ってこそ、セレスティア・アルヴィレーンという傑作は完成する――そう信じていたからだ。


 だが、国家が下した決断は、彼の計算を遥かに超えて無能だった。


「くそどもが……」


 吐き捨てられた乱暴な毒に、ヘルミスは自分自身で愕然とした。これほど汚濁に満ちた言葉を口にしたのは、一体、何百年ぶりのことだろうか。


 彼は足元に転がった魔術書を、沈黙で見下ろした。

『境界式の再編成と特異構造』――それは偶然の悪戯か、かつてセレスが在学中に幾度となく紐解いていた書だった。


 脳裏に蘇るのは、深夜の資料室。

 魔灯の淡い光の下、セレスが視線を伏せ、静かに零した言葉。


『先生の仰る通り、正しい構造で成り立つ魔法陣は美しいわ。でも――醜い心を抱えた私の構造は、再編成しても、美しく変わるとは思えない』


 あの時、彼女が「実験」と呼んだ出来事の真相を、この学院で正確に把握していた者は、ヘルミスしかいない。


 それを事故として処理し、記録を整え、彼女の()()を世界から切り離したのも――彼だった。


『セレスティア。

 きみの心が苦しいのなら、必ずしも高潔である必要はない。

 ……その醜い輝きこそが、僕の見つけた真理なのだから』


 あの言葉は、教育とは程遠いものだった。恐らくそれは、ただの自己満足に過ぎなかった。


「……僕は」


 声が、掠れる。


 彼女に、強さを求めすぎたのだ。

 国家に耐えうる才能として。

 理論を更新する存在として。


 そして――師としての誇りの中に、彼女を閉じ込めていた。


「僕は……」


 拾い上げた魔術書の表紙を、ゆっくりと撫でる。

 指先が、微かに震えた。


 千年生きてきた。

 多くの才能を見送り、多くの学生を育てた。


 それでも。


「……セレス」


 名前を呼ぶ声は、吐息のように掠れていた。


「僕の……セレス」


 その言葉に、自分自身で嫌悪が走る。

 それでも、止められなかった。


 ――彼女は、もうここにはいない。


 追放された。

 この国は、彼女を切り捨てた。


 泥濘のようなあの心に、もっと寄り添えていれば――そんな仮定が、今さら意味を持つとは思えなかった。


 だがもし――卒業証書を、渡していなければ。


「僕のセレス」


 ファウロス・ヘルミスは、初めて悟った。

 自分が築いてきたこの世界が、一人の教え子を救うことすらできなかったのかと。


 魔術書を胸に抱き、彼は静かに目を閉じた。

 その沈黙は、千年の誇りが、音を立てて崩れ落ちる音がした。


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