可能性
シロは飛んだ。
◇
世界が、死んだ。
月が欠けるように。
だが、時がそれを成したのではない。
明確な殺意と、故意の暴力によって、世界は死んだのだ。
――俺を置いていくことは知っていた。
だが、これではない。こんな終わりは、断じて許さない。
「どうせ人間は、先に死にます」
ロカの無機質な声。それは、魔帝を現実へと繋ぎ止めようとする唯一の、そして冷徹な楔だった。
魔帝は、動かぬセレスの前で、崩れ落ちるように両膝をついた。
「違う」
魔帝は、己の命の源泉である「魔核」を握り締める。
「陛下――」
その腕を、ロカが強く握る。
魔帝の呼吸が荒くなる。
「だめだ」
「――ご自分のお立場を。わかっておられますか」
――知っている。と、魔帝は思った。自分が消えれば、魔族はどうなる。この国はどうなる。
だが。
セレスのいない世界を、俺は世界とは、呼ばない。
禁忌魔術。
己の存在を消滅させる代わりに、他者に命を与える。それは、本当に可能なのだろうか。
「叶うとは――思えません」
ロカが止める。その声は、震えていた。
「だが――0とは限らないではないか」
魔帝は、悲しげに眉を下げて微笑んだ。その表情は、魔帝の威厳を脱ぎ捨てた、ただの恋い焦がれる男の顔だった。
「陛下――」
「許してくれロカ。だめなのだ。俺は――だめなのだ」
セレスのいない世界を歩けるほど、自分は強くはない。
その決定的な「弱さ」を認めた瞬間、魔帝は最強であることをやめた。
「陛下――!!」
止めるロカの手を振りほどき、ヴェルは、セレスに、自分の魔核を埋め込んだ。
「陛下――!!」
セレスの体から、黒い炎が立ちのぼる。ヴェルの命の熱が、記憶が、奔流となって、その内に、流れ込むのだろうか。
「陛下――」
ロカが太く、息を吸った。
それは、喉を切り裂く慟哭。
「俺を置いて行くな――!!」
絶叫したのは、ロカだった。
その瞬間。
魔帝の体は、淡い光の粒となって、大気に溶けて消えた。




