テリアの大義
ネクレイア城の城門、その最上層。
吹き荒れる風は生暖かく、城壁の石に染みついた古い血の匂いを、運んでいた。
漆黒の甲冑に身を包んだ魔帝と、静かに殺気を研ぎ澄ます側近。
二人の眼前に広がるのは、地平線を埋め尽くす数万の槍の穂先――テリア王国の軍勢だった。
セレスはアダマンタイトの杖を握りしめ、迷いのない足取りで、魔帝の隣に立った。
◇
「諸君! 我が同胞たちよ!」
丘の向こうから、若きテリア国王の演説が、風に乗って響いてくる。
「見よ、あの禍々しき城を。我ら人間族から平穏を奪った魔王の巣窟を! これは単なる戦争ではない。『魂の浄化』である。諸君らの剣の一振りが、穢された世界を清めるのだ!」
軍の先頭。馬上で、新国王は剣を高く掲げた。
「神の御名において、魔王を倒す勇者となれ! 我らに勝利を! テリアに栄光を!!」
熱狂的な咆哮が、軍勢から沸き上がる。「正義」という名の呪文に、数万の駒が命を差し出す覚悟を決める。
だが、傍らに控えるアーデルハイトが、冷徹な報告を新国王に呟く。
「――ハイエルフの友軍は来ません。この戦いで、契約を続けるか見極めたいとのことです」
新国王は、鼻で笑う。
「勘違いのくそ種族が。まあいい。亡くなった父君も、同じように手懐けてきたのだ。見ていろ、くず共」
テリア軍の士気が最高潮に達し、第一陣が地響きを立てて動き出した、まさにその時――
天を裂くような巨大な影が、一つ、戦場を横切った。
咆哮はない。威圧もない。
それでも、数万の視線が、同時に空を仰いだ。
――竜だ。
永世中立を掲げる、竜人族の紋章を背にした、ただ一体の竜。
動きを止める両軍のただ中で、竜は面倒くさそうに首を振ると、瞬く間に一人の男へと姿を変えた。
そこに立っていたのは、戦場には似つかわしくない、杖職人の親方だった。
彼は、周囲の軍勢など存在しないかのように耳をほじりながら、セレスに向かって歩いてくる。その手には、白い布に包まれた一本の長物体。
「間に合ったみてえだな」
「凄いタイミングね。ちょうど、テリアの国王様の演説が終わったところよ」
「これで戦局が変わるようじゃ、そこまでだろうさ。それで――」
セレスは長物体を受け取り、布を剥ぎ取った。
脈打つような、黒く輝く杖。
「ほう」
セレスの頬が、陶酔したように紅潮する。
魔帝もうっとりと、その杖を見た。側近のロカは顔を歪める。
「滾るようだわ」
「そいつあ、よかった」
親方は短く応えると、貸していたアダマンタイトの杖と、代価の宝石を受け取った。
戦場を分かち合う軍勢たちの困惑を置き去りにしたまま、親方は再び竜の姿に変じ、何事もなかったように空へと飛び去った。




