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爛れた心に口づけを。狂愛の魔帝と、殺せぬ魔女の物語。R15  作者: 島田まかろん三世


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魔術師の正義

 魔帝の沈黙は、処刑人の刃よりも冷たく、重い。

 言葉ひとつで首が落ちる。

 謁見の間の瘴気が渦を巻き、人族であるセレスの肺を容赦なく焼き焦がしていく。喉の奥にせり上がる血の味を飲み込み、彼女は血のように赤い双眸を凝視し続けた。


「俺の領地で、黒魔術を学ぶという意味は、理解しているのか?」


 魔帝――ヴェラルク=ザハ・ヴェルグの声は低く、感情の起伏を一切含まない。

 問いというより、確認だった。


「理解しております、陛下」


 躊躇も、逡巡もない。


「黒魔術は、人族の禁忌だ。

 それを会得した時点で、貴様はどこにも帰れなくなる」


「存じております」


「魔帝国に身を置けば、いずれ戦に立つ。

 貴様の敵は、人族になる」


「はい」


 淡々と肯定を重ねるセレスを、魔帝はしばし無言で見つめた。

 赤い双眸が、獲物の骨格を透かし見るように細められる。


「……不思議だな」


 ぽつりと零れた言葉に、嘲りはなかった。


「人族は、裏切られると復讐を語る。

 理不尽に追い落とされれば、正義を掲げる。

 だが貴様からは、どちらも感じられん」


 魔帝は身を乗り出し、肘掛けに肘をついた。


「聞こう。この国を裏切らないというのなら、その理由はなんだ?」


 それは核心だった。

 忠誠の誓いではない。

 思想の確認でもない。


 保証の所在を問う声だった。


 セレスは、一瞬だけ視線を落とした。

 そして、静かに笑った。


「裏切らない理由、ですか?」


「ああ」


「ございませんわ、陛下」


 即答だった。


 謁見の間の空気が、わずかに軋む。

 側近の獣魔人が、ぴくりと尾を揺らした。


「……ほう」


「私は、信頼に値する人間ではありません。

 正義も、忠誠も、誓いも――必要とあらば捨てます」


 セレスは顔を上げ、真っ直ぐに魔帝を見据えた。


「ですから、保証をお求めになるのは無駄です」


 数秒の沈黙。

 そして、魔帝は低く笑った。


「いい答えだ」


 愉悦が、はっきりと滲んでいた。


「では問おう。

 貴様に――逃げ場は、あると思うか?」


 その言葉に、セレスは初めて息を止めた。


「人族の国に戻れば、処刑。

 他国に逃げれば、研究対象か、討伐対象。

 魔帝国を出た瞬間、貴様は世界中の敵になる」


 赤い双眸が、細く光る。


「理解したか?」


 セレスは、ゆっくりと息を吐いた。

 胸の奥に、奇妙な高揚が満ちていく。


 ――ああ。

 これでいい。


「はい、陛下」


「ならば、貴様は自由だ」


 その言葉に、側近が一瞬だけ眉を動かした。


「裏切る自由もある。

 だが――裏切った瞬間に終わる」


 魔帝は、はっきりと告げた。


「俺は貴様を信じない。

 信じる必要がない構造を、すでに与えたからだ」


 沈黙。

 そして、セレスは微笑んだ。


「……素晴らしいですわ」


 魔圧に肺を潰され、唇の端から一筋の血を零しながらも、セレスは心底うっとりと微笑んだ。


「正義より、よほど誠実です」


 魔帝は満足げに口角を吊り上げた。その赤い眼差しが、檻に入れる前の猛獣を愛でるような昏い熱を帯びる。


「気に入った。――投獄してやる」


 次の瞬間、無骨な魔族の兵がセレスを拘束した。人族の王宮で受けたような、形式ばかりの丁重さなどそこにはない。肉に食い込む力、死の臭い。

 やはり、セレスは抵抗しなかった。だが、あの時とは、意味が違う。


 石牢へと引きずられながら、セレスは暗い悦びに震えていた。

 ここに来て、初めて―― 逃げ場のない「居場所」が確定した。

 ここには、『自由』と『尊厳』がある。


 鉄格子の閉まる鈍い音が、セレスには福音のように聞こえた。

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