魔帝の視線
「杖が折られた?」
竜人族の杖職人の親方は、セレスの話を聞き終えると、太い腕を組み、大きく息を吐いた。
工房には、火と金属と、竜人特有の乾いた魔力の匂いが満ちている。
「どうする? 二度と折られたくないなら、オリハルコンで作る手もあるが。相当値が張るぞ」
「かまわないわ」
即答だった。
親方は片眉を上げる。
「……オリハルコンはな、持ち主の命を喰う。魔力を増幅させる代わりに、魂に絡みつく金属だ」
「人がいつ死ぬかなんて、誰が知っているの?」
セレスの声には、迷いも、恐れもなかった。
それを合図にするように、背後に控えていたイリヤが一歩前へ出る。
彼女は無言で袋を開き、拳二つ分ほどの宝石を、親方の前の卓へと置いた。
――ことり、と。
鈍い音。だが、その重さは空気を変えた。
親方は眉をひそめ、宝石を手に取る。
指先で角度を変え、光を当て、内部の輝きを読む。
「……確かにいい品物だ。だが、これでは足りない」
相手が支払い能力のある金持ちだと知って、吹っ掛けているわけではない。
「わかっています。これは前金です」
「なるほど――オリハルコンの価値と、俺の技術力。その両方を理解してくれているのだな」
親方は頷き、炉の方へ視線をやった。
「出来上がりは……半年か……一年はかかる」
魂を込めて作るのだ。
金属をただ鍛えるのではない。
持ち主の命に馴染ませる。
セレスは頷いた。
「その間、これを使うといい」
渡されたのは、アダマンタイトが素材の杖だ。前金の宝石は、これを貸してもらえるだけの、信用があるという証拠だった。
◇
セレスはイリヤを伴って、オペラや演劇の鑑賞を楽しんだ。
ホテルのサロンでは、夜ごと舞踏会が開かれていた。
見学に足を運べば、必ず紳士たちが声を掛けてくる。
断る。
また断る。
――面倒。
だから、セレスは決めた。
「さあ、踊るわよイリヤ」
「ですがセレス様――!」
「陛下と婚約中の私に、ほかの殿方の手を取れと言うの?」
「まさか――」
「だったら、ね?」
セレスは不敵に笑い、困惑するイリヤの手を取った。
サロンを埋め尽くす男たちの、値踏みするような視線を、優雅なワルツの旋律で切り裂く。
「イリヤ。もっと強く、私を抱きしめて」
イリヤは一瞬、目を丸くしたが、すぐに慈しむような、あるいは諦めたような微笑を浮かべた。
二人の影が、シャンデリアの下で重なり、溶けていく。それは美しい光景だったが、同時に、決して誰も入り込ませない「魔女と従者」の強固な結界でもあった。
セレスの囁きに、イリヤの腕が一瞬、強張った。主人の命に従い、その細い腰を引き寄せる。だが、どれほど力を込めても、セレスの瞳に宿る「渇き」は癒えない。
イリヤの温もりは人肌のそれだが、彼女が求めているのは、魂を焼き尽くす魔帝の、あの「暴力的な熱」なのだ。
肩の上のシロが、じっと二人を見つめている。その黒い瞳の奥に、帝都の執務室で椅子に深く腰掛け、グラスを傾けながらこの光景を「聴取」している魔帝の薄笑いが、見える。




