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爛れた心に口づけを。狂愛の魔帝と、殺せぬ魔女の物語。R15  作者: 島田まかろん三世


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 セレスがまだ、王宮魔術師・筆頭になる『前』のことだ。


 国王陛下の体には、いたる所に悍ましい痣が浮き出始めていた。

 それは病というより、内側から滲み出した何かが、皮膚を押し上げているように見えた。


 セレスは、エプロンをして、口元を覆い、手袋をはめる。

 準備を終えても、呼吸の速さは変わらない。


 ベッドに横たわる王は、天井を見つめていた。

 視線だけが、ゆっくりと動き、セレスの手を追う。


 白い軟膏が、痣の縁をなぞる。

 指先は一定の速さで、止まらない。


「……名を」


 王の声は、思っていたよりも掠れていた。

 セレスは顔を上げずに、処置を続ける。


「名を、聞いておらぬ」


「セレスです」


 短く答えた。

 王はしばらく黙り込んだ。


「ほかの者とは、違う」


 息を吸う音が、寝台の布を震わせる。


「皆、この痣に触れるのを嫌がる。手袋越しでもだ。だが、きみは……」


 セレスの手は、変わらず動いている。


「丁寧だ」


 それが褒め言葉だと、セレスは理解した。

 理解したが、返す言葉はなかった。


「セレス……正式な、名は?」


 軟膏の白色が、塗っていく合間にも濁っていく。

 セレスは、手を止めずに答えた。


「……セレスティア・アルヴィレーンです」


 その名が落ちた瞬間、部屋の空気が、目に見えない重さを持った。

 王の目が、見開かれる。


「アルヴィレーン――アルヴィレーンと言ったのか?」


「はい。陛下」


 その名が刻むのは、かつて彼が地図から消した村の記憶。

 王の喉が、鳴る音がした。


「お前は」


 言葉が続かない。

 息だけが、浅くなる。


わしを、殺しに来たのか?」


 セレスは、初めて王を見た。

 視線が交わる。


 王の瞳に宿ったのは、恐怖ではなく「期待」だった。自分の首を絞める手が、かつて焼き払った村の生き残りであってほしい。その劇的な因果応報で、己の罪を浄化したかったのだ。


 だが、セレスは無機質な視線のまま、手袋越しに、冷たい軟膏を取る。


「いいえ」


 即答だった。


わしを、恨んでいないというのか?」


「はい」


「――なぜ?」


 問いが、縋るような形をしていた。


「これが、今の私の仕事ですから」


 王の呼吸が、一瞬、止まる。


「……仕事?」


「王宮魔術師としての。治療です」


 痣の上を、指がなぞる。

 まるで、壊れた器具を整備するように。感情を殺し、ただ効率的に、王の命を延命させるため。


わしは……」


 王の声が、震え始める。


「多くを奪った。名も、土地も、未来も」


 セレスは、手を止めない。


「はい」


「それでも、きみは……」


「陛下」


 セレスは、淡々と告げた。


「陛下は、名も知らぬものの命を奪うたびに、何を失ったかを、考えたことはありますか?」


 その声には、憎しみすら欠落していた。


「大義なんてありません。明日の糧を得るために、私は、あなたの指し示す場所を焼いてきただけです」


 沈黙が落ちる。


 王は、何かを待っていた。

 怒りか、涙か、呪詛か。


 だが、来ない。


 代わりに――


「私は、考えました」


 王は絶望した。目の前の生き残りは、復讐者ですらなかった。己の罪を断罪してくれる者さえ失った王は、震える声で問うた。


「今のきみは――なにを望む?」


「安寧を」


 それが、自分が奪い続けたものの名前だと、王は遅れて理解した。

 その日、セレスは王から「筆頭魔術師」という名の、最も重い鎖を授けられた。


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