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爛れた心に口づけを。狂愛の魔帝と、殺せぬ魔女の物語。R15  作者: 島田まかろん三世


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名付け

 セレスは、ヴェルの執務室を訪ねた。

 扉を軽くノックし、名を告げる。「入れ」の声に、セレスが扉を開けると、ヴェルは既に椅子を離れていて、セレスを迷わずその腕に抱き寄せた。


「寂しくなって、俺に会いに来たのか、セレス? 昨日よりも、さらに綺麗だ」


 耳元で囁かれる熱い吐息。ヴェルの香りに包まれる。抱擁は心地好く、セレスは抗うことも忘れ、吸い寄せられるようにその背中に両腕を回した。

 トク、トクと重なる鼓動。胸の奥に溜まっていた緊張が、ゆるゆると解けていく。


 なのに、口をついて出た言葉は。


「違うわ」


 そう言って、ヴェルの胸を小さく押し戻し、二人の間に僅かな隙間を作る。

 ゆっくりと顔を上げた先には、自分を見つめる穏やかな瞳。それが、なぜか怖くて、思わず視線を逸らす。

 それでも離れたくなくて、セレスはヴェルの衣の裾を、ぎゅっと掴んだ。


「どうした?」


 優しい声。

 顔を逸らしたままのセレスの頬に、ヴェルがそっと手を添える。 

 抗えず、再び視線が絡んだ。


 引き込まれそうだと、セレスは思う。

 ずっとこのまま、この腕の中で過ごしたい。


「……話があって来たの」


「なんだ、言ってみろ」


 微笑みながら促され、セレスはモルヴァン伯爵の杭と、杖の件について話し始めた。

 最初は戸惑ったような表情のヴェルが、段々と眉間に皺を寄せ、頬を引きつらせる。


「杭の件はいいとして――それは、魔族の杖職人では、だめなのか?」


「ええ。これは政治案件に関わることです。私の杖を、どの工房で、誰が作ったか。――ですが、竜人国は中立国であり、技術と魔術は最高峰……。私の杖は、ここで作られるべきです」


 ヴェルは納得しながらも、言葉を失った。


 竜人の国へ向かうということは、彼女が一時的にでも、この城を――自分の庇護から離れるということだ。


 それがヴェルにとってどれほど耐え難いか、沈黙が雄弁に物語っていた。


 それなのに、セレスの頬に触れる掌は、終始、優しいまま。

 引き留めたい執着と、叶えてやりたい情愛。その狭間で、ヴェルは激しく揺れていた。


 やがて短く息を吐き、ヴェルは額をセレスの額にそっと預ける。


「五日もお前と離れるのは……正直きついな。いっそ適当な理由をつけて、俺も同行したいが……」


結婚前の女子会バチェロレッテパーティーに同席する権利は、あなたにはないわ、ヴェル」


「女装して参加するのはありか?」


「なしよ」


 ヴェルは本気でパーティーの参加を検討していたのか、食い気味に放たれた拒否に、目に見えて肩を落とした。帝国の頂点に立つ男が、女装してまで女子会に参加しようとしていたとロカが知れば、泡を吹いて倒れるに違いない。


 ヴェルの表情は曇り、赤い瞳に深い憂いが宿る。


「仕方ない。そもそも、休暇は取れそうもないからな」

 

 伯爵の不祥事を受け、事後処理などの公務が山積しているのは、想像に難くない。


「だが……やはり、お前にまた何かあってはと考えると、心配でならない」


 セレスの頬に添えられた指先に、力がこもる。


「そうだ――あの鳥を連れていけ。定時連絡に使うんだ」


 部屋の隅。

 鳥かごの中で、雪玉のような小鳥――フロストシマエナガが、片方の羽を上げ、くちばしで毛繕いをしている。ふたりの視線に気が付いたのか、こちらを見て羽ばたいた。


「……だったら、名前をつけてあげないと」


「名付けは呪いにもなる。お前の従者にするのなら、お前が名付けなくてはな」


 ヴェルの言葉が鼓膜を打った瞬間、セレスの脳裏に言いようのない既視感が奔った。


 ――むかし、似たような台詞を、誰かに言われた気がする。とても幼い頃だったような、あるいは、もっと遠い場所だったか。


 けれどその感覚は、掴もうとした指先をすり抜け一瞬で消え去り、よぎった「何か」は、再び深い記憶の底へと沈んでいった。


「そうね……」


 セレスはヴェルの温もりから離れ、鳥かごへと歩み寄った。小さな扉を開け、そっと人差し指を差し入れる。霜の精霊かの如き純白の小鳥は、当然のような顔で、そこを止まり木にと飛び移った。


「シロ」


 セレスが紡いだ名に、小鳥が「ぴぴっ!」と高らかに応じる。  

 ヴェルはその光景を、まるでもっとも美しい壁画を眺めるかのような、狂信的な眼差しで見つめていた。


「シロか――いい名だ。お前には名付けのセンスがある。さすがは俺の妻になる女だ。綺麗だセレス」


 ヴェルは一言多い。聞き流したつもりだが、セレスの耳朶が、ひっそりと真っ赤になった。


「そうだ。お前に見せたい場所がある」


 何かを思い出したように、ヴェルはセレスを抱きかかえる。

 ――次の瞬間、執務室の窓が、音もなく左右へと開け放たれた。


 驚くセレスをよそに、ヴェルはそのまま夜の海へと迷わず踏み出した。落下する感覚は一瞬。浮遊の力が二人を包み込み、星がさざめく空へと、高く高く舞い上がっていく。


 眼下には、宝石を撒き散らしたような帝都の灯りがまたたき、頭上には、鮮やかな銀河がどこまでも広がっている。


 冷たく澄んだ夜の風を切り、ヴェルはセレスを落とさぬよう、より一層強く、その腕に力を込めた。

 そしてふたりは、流星のごとく、夜空を駆け抜けていった。


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