苛立ちと覚悟
翌日、日が沈み、城に夜の気配が満ちた頃。セレスの部屋を訪れたのは、側近のロカだった。
目的はひとつ。
モルヴァン伯爵の胸に打ち込まれた杭を抜く――その儀に立ち会うためだ。
セレスの部屋のドアに寄りかかり、ロカは腕を組んだ。
「上手いことやったようだな。だが――俺はお前を信用していない」
ロカが言っているのが婚約の件だと、セレスにもすぐに分かった。
セレスはわざとらしく流し目を向け、唇の端をつり上げる。
冗談めいた、けれど挑発的な笑みだ。
「あなたにそう言われたって、ヴェルに告げ口するわ」
「好きにすればいい」
即答するロカに、セレスは肩を竦めた。
「――動揺しないのね。つまらない人」
ロカは冷ややかな視線を返す。
「お前を楽しませるつもりなどない」
淡々とした言葉。互いに譲らぬ距離。
セレスはふっと息を吐き、視線を逸らし告げる。
「杭は抜かない」
「は!? なぜ!? あんな戦力、手元に置くに越したことはないだろう!」
思わず声を荒らげたロカに、セレスは薄く笑う。
「あんな下劣な男を解き放って、陛下の目を穢す必要が、どこにあるの? ……あの男は、あの棺の中で『陛下に敗北した事実』を永遠に反芻していればいい」
ロカは何も言えず、眉間に皺を寄せる。
「嫌な女だ」
ぽつりと吐き出された悪態を聞き流し、セレスは話題を切り替えるように、さらりと返した。
「それより、新しい杖が欲しいの」
「ああ、折られたんだったな。ざまあみろ」
ロカは鼻で笑った――が、すぐに表情を引き締めた。
「待て――お前、国費で杖を作る気じゃないだろうな」
「まさか。私費で賄えるわ」
隠し財産だ。
テリアにいた頃に積み上げた報酬と、いくつかの成果物で、追放された際に没収を免れた財産だ。恐らく、没収された財産より、多いかもしれない。
「それで、竜人国に行きたいのだけれど」
竜人国――天空に浮かぶ島嶼国家だ。
結界に覆われ、テレポートは不可能。永世中立を掲げ、種族の別なく門戸を開く、技術と魔法の粋を集めた希少な国でもある。
ロカは鼻を鳴らした。
「期間は? 一か月か? 一年か? まあ、一生ここへは戻らなくていいがな」
「そうね……五日くらいかしら」
短い。あまりにも。
ロカは乾いた笑いを漏らした。
「はっ。どうせ、あのハイエルフと密会でもするんだろう。五日で足りるのか?」
ロカの蔑むような視線を、セレスは艶然と受け流す。
「ええ。五日で戻るわ。……戻ったら、私はこの帝国の『心臓』として君臨しなければならないもの」
セレスは、窓からの景色を見上げた。
月明りを受け照らされた静謐なその姿には、先程までの冗談めいたものは、どこにもない。その口が、凜として言葉を紡いだ。
「戻ってきたら――」
沈黙が落ちた。
「ヴェルの隣は、死んでもずっと、私のもの」
ロカはセレスをじっと見つめた。そこには、嘲りも、皮肉もない。腰の剣をわずかに鳴らし、背を向ける。
「杭の件と合わせて、陛下には俺から伝えておく」
「――だめ」
ロカの足が止まる。
セレスの口元に再び、悪戯を企むような笑みが浮かぶ。
「婚約者の私が、暫くこの部屋を開けるのだから、私が直接、伝えるべきでしょう?」
ロカのこめかみが、ピクリと動いた。
廊下には、大袈裟なほどの舌打ちと、苛立たし気な足音が響き渡った。




