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爛れた心に口づけを。狂愛の魔帝と、殺せぬ魔女の物語。R15  作者: 島田まかろん三世


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38/61

契約

 車内は、魔灯の淡い光に満たされていた。

 揺れは小さく、外の吹雪の音も、厚い結界に遮られている。


 それでもヴェルは、片時たりとも腕を緩めることなく、膝の上のセレスを抱きしめていた。


 指先を離せば、また吹雪の彼方へ奪われてしまう。

 そんな思いに、囚われたかのように。


「結婚式は、いつがいいだろう。来月はどうだ?」


 唐突な提案に、セレスは瞬きをした。


「待って、ヴェル。まだ婚約しただけよ。準備もあるし……少なくとも、今年中は無理だわ」


「……そうか」


 短く答えたあと、わずかな沈黙。


「では、来年の一月は?」


 期限を決めなければ、形にしなければ、失う。

 焦りを隠しきれないその様子に、セレスは小さく息を吐いた。


「ヴェル。落ち着いて。人間族の寿命が短いのは事実だけど、明日死ぬわけじゃないわ」


「わかっている」


 そう言いながら、ヴェルはセレスの手を取った。


「だが――お前のこととなると、話は別だ」


 大きな手が、確かめるようにセレスの指を包み込む。

 ヴェルの親指が、細い指の根元をなぞる。その動きは、優しいというより、執拗だった。


「小さいな。俺の手に、すべて収まってしまう」


 低い声が、静かな車内に落ちる。

 囁く吐息が頬を撫で、熱を帯びた気配が肌に触れた。


「……可愛いな」


 その一言が、妙に大きく響いた。

 思考が白熱灯のように焼き切れるのを、セレスは感じた。焦って気を逸らそうとしたが、今は目の前の男の熱が強すぎる。


 ここから逃げようと、セレスは必死にほかの話題を探した。

 ――結果、口をついて出たのは、


「伯爵は、どうなったの?」


 次の瞬間、ヴェルの表情が変わった。その瞳から、甘さが消え失せた。

 抱き寄せる腕にも、力が籠もる。


「俺に触れられながら、奴の姿を思い浮かべたのか?」


 声の熱はそのままに、色だけが不機嫌に染まる。

 低く抑えた声の奥には、恐ろしいほどの独占欲があった。


「違うわ」


 反射的に答え、セレスは居心地の悪さに視線を逸らした。

 だが、顎を掬い上げられ、逃げ場を奪われる。

 完璧な美貌が、至近距離に迫る。


 セレスは観念して、彼を見返した。

 じっと。


「……凄く、好きな顔」


 魔帝は一瞬、目をぱちくりさせる。

 途端に、冷酷な顔が、甘いクリームのように蕩けて崩れる。

 セレスは思わず、眉根を寄せた。


「――ヴェル。その顔……配下の前では、しないほうがいいわ」


「どんな顔だ?」


「でろでろ」


 言われてヴェルは襟を正し、再び魔帝の威厳を纏い直す。


「……そうか。心得ておこう」

 

 軽く咳払いをすると、続けた。


「伯爵だが――左胸マカクに杭を打ち込んでやったぞ。今は棺桶の中で眠っている。頑丈な鎖に巻かれてな」


「……目覚めることはないの?」


「お前が望まなければな」


 セレスは眉を顰めた。


「どういう意味?」


「杭を抜いた者が、吸血鬼ノスフェラトゥの絶対的な主人になる」


 淡々と告げながら、ヴェルの指が、セレスの胸元に触れた。


「だから、抜くのはお前だ」


 一瞬、セレスの息が止まる。


 あの、伯爵が――?


 柔和を装いながら、本質は極めて凶暴なただの獣でしかない、あの存在が――自分の意のままになる?


 胸の奥で、甘く危険な高揚が蠢いたのを、セレスは自覚し、ほくそ笑む。


「……嬉しそうだな?」


 頬を撫でるヴェルの指先が、妙に鋭い。


「そんなこと、ないわ」


「なら、今の顔は何だ」


「――あなたが、伯爵を私の下僕にと言ったんでしょう?」


 苦し紛れの、言い訳のように答えるセレス。

 ヴェルは低く笑い、顔を寄せる。唇が重なりそうなほどの距離で、囁く。


「そうだ。伯爵が仕えるのは、永遠にお前だけになる」


 その囁きは甘く、それでいて逃れられないほど強い。


「――そしてお前は、俺だけのものだ。セレス」


 その言葉は、口づけよりも深くセレスの魂を侵食した。

 それは伯爵ごと、セレスのすべてを飲み込もうとする魔帝の、執着だろうか。

 

 セレスは小さく息を飲んだ。胸は熱く、脳裏が痺れる。

 けれど、その甘美な痺れの奥に、かすかな抵抗が残っていた。


(ヴェルとの愛の影に、ほかの男を潜ませるなど……)


 胸がざらつく。

 

 ――気に入らない。


 セレスは小さく息を吐いた。


 これは、嫉妬ではない。だから、愛ではない。


 ――そうであってほしい。


 想いとは裏腹に、セレスはヴェルの胸に深く顔を埋めた。

 

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