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爛れた心に口づけを。狂愛の魔帝と、殺せぬ魔女の物語。R15  作者: 島田まかろん三世


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 あれから、悠久の時が過ぎた。

 あの時、果たされなかった『明日』が、『今、ここ』になった。


 押し合い、絡み合った両手が、互いを離すまいと固く結ばれる。魔力と瘴気が拮抗し、空間そのものが苦しみに耐えられず、慟哭し始める。


「……ああ、いいね。きみは、本当に強くなった」


 圧迫される肺の奥から、伯爵の感嘆が零れた。


「力も、理性も……全部、手に入れた。

 それで――満足かい?」


「あんたは満足なのか?」


 静かな魔帝の問い。

 伯爵は答える。


「ああ。満足だ。この世界の秩序を作る側に生まれ、享受し、踏みしめてきた。これから先も、何ひとつ変わることはない」


「その秩序を俺が塗り替えるとしても――あんたは、そこに踏みとどまる人生を選ぶのか?」


 伯爵は笑んだ。


「なにを言っている? 弱者に手を差し伸べるのは、憐みか? あいつらは、僕たちとは違うだろうヴェル。待たざる者は、勝手に生まれて勝手に死ねばいい」


 伯爵が、魔帝の手を押し返した、その時――

 意識を失っていたはずのセレスの指が、僅かに動いた。


 それに連動したのは、「痣」。情報結晶が砕け泥が付着した、あの部位だ。

 泥は既に落ち、乾いてはいたが、そこには痣のような痕があった。それは自らの意志で動き、伯爵の皮膚から毛細血管へと浸潤し始める。


 瞬時に、その身に下賤な何かが侵入してきたと、伯爵は感じ取った。

 青褪めた視線が、セレスに向かう。その視線の先で、セレスがゆっくりと、身を起こしたのを――見た。


「セレスティアああああああああああ――!!」


 絶叫。

 セレスは艶然と立ち上がった。その瞳には、「空白」など微塵もない。あるのは、獲物を解体し終えた魔女の、冷徹な愉悦だ。


「私が、あなたに籠絡ろうらくされたとでも、思ったのですか?」


 セレスの声は、氷の針のように伯爵の鼓膜を刺した。

 伯爵は見た。彼女の瞳にあるのは、かつてのリュシーが持っていた「好奇心」ではなく、別の、光だ。


「笑える」


 セレスの声が、凍りついた空気を切り裂く。


「さようなら。伯爵」


 泥など、伯爵の魔力に、なんの作用も及ぼしはしない。

 だが、排除しようとした、その絶望的なコンマ数秒。魔帝の魔力の奔流が、漆黒の極光となって、伯爵の指先から腕へ、腕から魔核へと、猛烈な勢いで伝わっていく。


「終わりだ。伯爵」


 魔帝の声が、奥底から絞り出されるように低く響く。

 伯爵の腕が、魔帝の圧倒的な魔圧に耐えきれず、ミシミシミシ――と、逆方向へしなり始める。


「ぐぅっ――!」


 耐えきれず手を振りほどいた伯爵は、自ら最大の隙を晒した。

 そこへ、魔帝の拳が音速を超えてめり込む。


 グシャッ、という鈍い音。


 端正な鼻梁が砕け、吸血鬼の誇りが真っ二つに割れる。

 飛び散る高貴な血。

 伯爵の身体は、自身の血を撒き散らしながら雪原へと叩きつけられた。


「――げぼっ!」


 上品さなど微塵もない、情けない呻き声が漏れた。


 白い雪が、ドロリとした鮮血で汚れていく。

 セレスを見下ろしていたはずの男は、自分の吐瀉物の中で喘いでいる。    


 見下ろすのは、魔帝と、魔女。

 世界を統べる二人の影が、無様に這いずる伯爵の上に、深い絶望の影を落とした。



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