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爛れた心に口づけを。狂愛の魔帝と、殺せぬ魔女の物語。R15  作者: 島田まかろん三世


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夜明けの約束

 魔族は、群れることを嫌う。

 縄張りを持ち、互いの領域を侵さず、ただ己の領分で生きる。

 

 例えば、吸血鬼ノスフェラトゥならば、己が血を分けた眷属を従えはするが、違う血族は全く別の集団に過ぎない。


 ――個にして完結する、それが、魔族という種の本質だった。


 だが、ヴェラルク=ザハ・ヴェルグだけは違った。


「力が全てのこの世界で、ただの獣のままでは進化はない。世界は変わらぬ。

 ならば俺が――全ての魔族を従える、魔帝になる」


 孤独を誇りとする種族の中で、ヴェルだけが、孤独を超えることを選んだのだ。


 ◇


 あの時――金色の月が、空の彼方で淡い光を放っていた。


 白地に金の縁取りをあしらった、見るからに高貴な馬車が、夜空を滑るように駆けていく。その周囲を飛び交うのは、無数の蝙蝠。


 馬車の中にいるのは、恐らく魔人だ。

 しかも、瘴気の密度と支配構造からして、高次の吸血鬼ノスフェラトゥであることは、間違いない。


 若き日のヴェルは己の闘気を研ぎ澄ませ、迷わずその異様な一団へと突っ込んでいった。闇夜を駆ける黒馬の鼻先に、ひとり舞い立つ。翻るマントが、夜気を靡かせ広がった。

 瞬間、黒馬はいななき、蹄を震わせ、凍てつく大気の中で立ち止まる。


「なにごとだ!?」


 窓から顔を出したのは、青い瞳の美しい男。――ラファエル・モルヴァン伯爵だった。

 ヴェルは微笑む。


「初めまして。俺はヴェラルク=ザハ・ヴェルグ。――やがて、魔帝になる男だ」


「……」


 返事はない。


 青い瞳の吸血鬼ノスフェラトゥは、呆れたように小さくため息をつき、首を振った。

 そして、静かに窓を閉じる。


「……行け」


 短く、冷ややかに命じる声。

 黒馬が前足を踏み鳴らしかけた、その時――


「待て待て待て!! 無視するな!! 俺は本気だ!!」


 再び窓が開く。夜空に吠える若造を、青い瞳が面倒くさそうに見据えた。


「――わかった。埒が飽きそうもないし、きみの戯言に付き合ってあげる。けど、面白くなければサヨナラだ。二度と顔を見せないと約束してくれ」


 ヴェルは口角を吊り上げた。


「よし――ならば決闘だ!! 俺が勝ったら、俺の配下になれ――!!」


「ああ、いいだろう。それも約束してあげるよ。だからもう、さっさと始めて、さっさと終わらせよう」


 馬車の扉が開く。月光を背に、長身の吸血鬼ノスフェラトゥがゆらりと姿を現した。その立ち姿は、まるで舞踏会に臨む貴公子のようだ。

 しかし、次の瞬間、風を裂く音とともに、一足飛びでヴェルへと殴りかかる。


 ヴェルは咄嗟に構え、その拳を真正面から受け止めた。

 衝突の衝撃で、夜気がビリビリと震えた。空が、小さく呻き声を上げる。


 ◇


 決着はつかなかった。やがて明けの明星が、山峰の向こうに顔を出す。夜の帳が薄れゆくにつれ、吸血鬼ノスフェラトゥの表情に、僅かな焦りが浮かんだ。


「すまないが、僕には時間がない。この続きは明日にしないか? 太陽のお陰で僕に勝ったなんて、きみも自慢にはならないだろう?」


「はあ!? 明日、あんたがまた会ってくれる保証はあるのか!?」


 ヴェルは息を荒げ、なおも臨戦の構えを崩さない。

 伯爵は口元に笑みを浮かべた。


「だったら――そうだな。きみさえよければ、僕の馬車に乗らない?」


「――は?」


 ヴェルは思わず絶句した。

 まさかこの場で、決闘相手から、そんな誘いを受けるとは。


「実は、避暑地に向かっている途中なんだ。中で色々、話をしよう。僕の眷属たちも、早く日陰に辿り着きたいと、焦っているだろうしね」


 馬車の扉が、優雅に開かれる。


「ほら、遠慮しないで」


 その屈託のない誘いに、ヴェルは毒気を抜かれた。

 馬車の中、向かい合わせに座るふたり。ヴェルは落ち着かぬ様子で、じっと伯爵の動向を窺っていた。


「そうだ。自己紹介がまだだったね」


 伯爵は、軽やかに続ける。


「僕は、ラファエル・モルヴァン。――よろしくね」


 そう言って、右手を差し出す。握手のつもりだろう。

 けれどヴェルは、口を固く結んだままだ。

 その様子に、伯爵はくすりと笑う。


「きみ、お腹は空いてない? そのままより、調理されている方が好みかな? 人族の処女を、シェフに捌かせようか。上質なのが手に入ったんだ」


 伯爵の問いに、ヴェルは胃を掴まれるような空腹を押し殺し、首を横に振った。


「いや――おれは、人族は喰わない」


「え?」


 伯爵は、青く澄んだ瞳をしばたたかせた。


「……なにを言っているの、きみ」


 静寂が、豪華な馬車の中に満ちた。伯爵の青い瞳が、信じられないものを見るように見開かれ、やがて嘲笑を含んだ光を宿す。


「きみ――魔族だよね」


 伯爵は、心底訝し気に首を傾げる。その顔には、混乱の色が顕著に浮かび上がっていた。


「ああ。だが、俺に理性を与え、名前をくれたのが、人間族の子供だったんだ」


「――理性を……って、きみ、もしかして、進化したの?」


「そうだ。俺は、実態の無い魔物から、こうして、実態のある魔人へと生まれ変わった」


「それを叶えたのが、まさかの、人間族……?」


「そう。だから俺は、もう数百年と食事をしていない」


 伯爵は、長い溜息を吐いた。それは、あまりにも純粋で、あまりにも絶望的な理想への、半ば呆れたような感嘆だった。

 彼にとって、ヴェルの存在は、これまでの価値観を揺るがす異物のようだった。


「きみは馬鹿なの?」


「ばっ……!?」


 ヴェルは目を丸くする。怒りよりも、困惑が勝っているようだった。

 だが伯爵は身を乗り出し、まるでとんでもない発見をした子どものように、目を輝かせながら言った。


「だったら、人族と同じように、家畜を食べればいいじゃないか」


「――!!」


 その発想が、いっさい頭になかったヴェルは、ハッとして息を呑んだ。

 その反応が可笑しかったのか、伯爵は吹き出した。


「あっははっ――なにその顔。おっかしいっ」


 笑いすぎて目尻に涙を浮かべながら、伯爵は上品さも忘れて笑い転げる。

 ヴェルは顔を真っ赤にし、肩をぎゅっと強張らせた。恥ずかしがっているのだ。

 口元が不満げに歪む。


「笑うな……!」


 ヴェルは、その身に似つかわしくない程の、蚊の鳴くような声で呟いた。


「ごめん、ごめん」


 伯爵は笑いながらも、目元を拭って息を整えると、にこりと微笑んだ。その瞳には、純粋な好奇心が宿っていた。先ほどの嘲笑とは異なる、温かい光を宿している。


「――きみ、いいね。一瞬で大好きになったよ」


「……は?」


「よし、決めた。きみの()()に僕も混ぜてよ。付き合ってあげる」


 伯爵は、少年のように楽しげに笑い、指を鳴らした。


「さあ、ルールを教えて?」


 その仕草は、まるでこれから始まる冒険に、心を躍らせているかのようだった。


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