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爛れた心に口づけを。狂愛の魔帝と、殺せぬ魔女の物語。R15  作者: 島田まかろん三世


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小鳥

 ダイニングホールの扉が、開いた。


「……だ、旦那様――」


 執事の声は、途中で潰れた。言葉になる前に喉が震え、膝が折れる。

 燭台の炎が、一斉にうずくまった。消えるのではない。凍り付いたまま燃え続け、意志を奪われたように、扉に向かって、低く平伏へいふくしている。


 そこに、何かが立っていた。


 人の形をしている。

 だが、そう見える、というだけだった。


 それは、静けさを纏っていた。

 艶やかな漆黒。

 視線を向けた瞬間、夜が増えた気がした。


 誰もその名を口にしない。

 声に出せば何かが壊れる――と、全員が理解していた。


 伯爵の指が、セレスの腰へと食い込む。

 それだけで、彼の内側に走った感情が伝わってくるようだった。


「……なるほど」


 伯爵の声が、微かに上擦る。


「早かったじゃないか」


 返事はない。

 その男の視線は、伯爵ではなく、伯爵に抱かれたセレスだけを、捉えていた。


 セレスは顔を上げる。

 そして、その男を見た。


 血のように濃い緋色の瞳。

 夜を従える者。

 側頭部から伸びる、太く湾曲したツノが、美しい。


 その肩には、淡い氷光を宿す、小鳥――フロストシマエナガが、主の帰還を告げるかのように、静かに羽を畳んでいた。


 伯爵は、その漆黒から目を逸らさず、ゆっくりと立ち上がった。

 その動きに合わせて、セレスの身体も引き上げられる。そのまま背後から、伯爵に抱きすくめられた。冷たい指で顎を掴まれ、否応なしに、伯爵の方へと顔を向けさせられる。


「まさか、きみの仕業かい?」


 セレスの耳元に、熱を帯びた吐息が落ちる。


「本当に、厄介だ」


 その繊細な指が、セレスの瞼をなぞった。


「だが、そこが……」


 囁きが、甘く歪む。


がたいほど愛おしい」


 セレスの胸の奥に、冷たいものが流れ込んできた。

 血ではない。


 けれど思考が、ゆっくりと剥がされていく感覚――


 身体が動かない。

 声も出ない。


 それでも、視線だけは逸らさなかった。

 漆黒の男が、初めて息を吐くのを、セレスは見た。


 それは、怒りではなく、咆哮でもない。

 深く。低く。

 抑えきれぬ何かを押し殺すような吐息だった。


 血のような瞳が、わずかに揺れる。

 その一瞬を、セレスは確かに「観測」した。

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