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爛れた心に口づけを。狂愛の魔帝と、殺せぬ魔女の物語。R15  作者: 島田まかろん三世


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無垢

 雪はまだ、しんしんと降り続いていた。

 けれど、城の外に出られないほどではない。


 セレスは伯爵と朝食――伯爵にとっては夕食――を済ませると、城の裏手に広がる庭に出た。


 白銀に覆われた地面を、火の魔術で溶かしつつ、森へと歩を進める。背後には、陽の光を避けながら、吸血鬼ノスフェラトゥのメイドが影のように付き従っていた。


 入浴の時も、眠りに就こうとする時でさえも、視線が外れることはない。

 それを「監視」だと感じる感覚すら、最近は薄れていた。


 森の中、セレスはふと立ち止まり、大きな木の幹に手を添えて空を仰いだ。

 灰色の雲の切れ間から、白い羽毛の小鳥が、ひらひらと落ちてくる。


「かわいい……」


 名前は、遅れて浮かんだ。


「フロストシマエナガだわ」


 セレスは両手で、そっと受け止めた。。

 綿毛のように真っ白な小鳥は、かすかに羽を震わせ、弱々しい鳴き声を上げる。


「怪我をしているのね」


 掌に、淡い治癒の魔術を灯す。短い詠唱。

 小鳥はたちまち柔らかな光に包まれ、やがてその光が消えると同時に、セレスの人差し指を、くすぐるように甘噛みした。


「さあ……。行きなさい」


 そう言って放つと、白い羽影は雪明かりの中へ、溶けるように飛び立っていった。


 ◇


 相変わらず、贅を尽くした食卓だった。

 伯爵は、香ばしく焼かれた肉を切り分けながら、ただの会話を始める。


「森で魔術を使ったそうだね」


 テーブルのワインの赤が、静かに揺れている。


「聞いたことのない術式だったと、報告を受けたが……」


 セレスは、ナイフを持つ手を止めない。


「小鳥が怪我をしていたの。飛べないと可哀想だと思って、治療をしてあげたの」


「小鳥?」


 伯爵は眉を上げ、すぐに微笑んだ。


「助けたのか」


「そうよ」


 伯爵は一瞬だけ考える素振りを見せ、それから肩を竦める。


「そのままにしておけば、死んでいただろうね」


 セレスの手が止まる。


「でも、きみは助けた」


 声音は淡々としている。

 その言葉は、否定でも称賛でもなかった。

 ただの事実確認だ。


「選んだ以上、きみはもう、責任を持っている」


 胸の奥に、鈍い重さが落ちる。

 反論できるはずの言葉が、喉の手前で形を失った。


「それで――その呪文は、どのようなものだったのかな?」


 答えようとして、セレスはまた少し、声を詰まらせる。


「……()()()語です。私はテリア王国の魔術学院出身で。そこに、エルフの先生がいて」


 ナイフを持つ伯爵の手が、止まった。


「ヘルミスか?」


 空気が張り詰める。


「ファウロス・ヘルミス」


「知っているの?」


「知っているも何も……」


 伯爵は言葉を切り、グラスを傾けた。


「……いや、やめておこう」


 そう言って、ワインを揺らし、淡く笑みを浮かべる。


「彼は――ヘルミスは、元気にしているのか?」


「はい」


「相変わらず、美しいのだろうな」


 その問いに、セレスの脳裏へ、自然と彼の姿が浮かび上がった。

 銀色の髪。緑色の瞳。笑えば、目尻に皺が寄る。


「――ええ。人間族に例えれば、見た目は四十代、前半くらい……でしょうか」


 言い終えた瞬間、頬が熱を帯びたことに気づく。

 理由は、考えない。


「少し……憂いを帯びた感じが、むしろ――」


 そこで、伯爵の視線が、鋭く細まった。


「おや」


 口角が、ゆっくりと吊り上がる。


「ヘルミスが、好みなのかい?」


「違うわ」


 否定は、即座に出た。


「憧れの人に、少し似ているだけです。子供の頃に見た夢の……年上の人」


「妬けてしまうな」


 伯爵は、愉しげに笑った。


 次の瞬間、セレスの視界が揺らぐ。

 気づいた時には、冷たい腕がその腰をさらい、身体は、伯爵へと強く引き寄せられていた。


「食事中です、ラフィ」


「だからなんだ」


 囁きが、セレスの耳朶を撫で、首筋に吐息が触れる。伯爵は鼻先でセレスの体温を深く吸い込んだ。

 

「――今すぐ僕と愛し合おう、セレス」


「まだ――」

 

「だめだ」


 甘い声。けれど底には、狂気のような確信が垣間見える。


「お願い、ラフィ。まだ」


「心配しなくていい、セレス。渇望など、僕が満たしてやる。狩り場も、獲物も、きみが望むままに、僕が用意してあげる」


 セレスは、がたがたと震え始めた。


「ああ……セレス」


 伯爵は、憐れむようにセレスを見詰めた。


「少し――時間をかけすぎてしまったようだ。きみがあまりにも強い眼差しをしていたから……。強がっていただけだったんだね。可哀想なことをしてしまった」


 伯爵は、その反応を愛おしむように見つめ、セレスをゆっくりと抱き寄せる。その腕の中で、セレスは息を整えた。

 外では冬の嵐が、猛威を振るい始める気配がした。

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