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爛れた心に口づけを。狂愛の魔帝と、殺せぬ魔女の物語。R15  作者: 島田まかろん三世


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3/10

親友

 セレスは、親友――ミレア・フェルノアの実家へ向かっていた。

 学院を卒業してから今日まで、手紙のやり取りは続けていたが、あれから一度も会えていなかった。


 ミレアは故郷の村へ戻り、家業を継いで薬草師として働いていると、いつかの手紙に書いてあった。丁寧な筆跡と、柔らかな言葉遣いを、セレスは何度も読み返してきた。


 ――もし、誰かに会うのがこれで最後になるなら。

 それは、ミレアでなければならない。


 小さな家の木戸を叩いた瞬間、扉が開き、陽だまりのような顔が現れた。


「……セレス?」


 栗色の髪。穏やかなオリーブグリーンの瞳。

 学院時代と変わらぬ、柔らかく、芯のある眼差し。


「セレス――!? セレスティア!?」


 幻でも見るかのように目を見開いたミレアに、セレスは迷うことなく抱きついた。


「久しぶり、ミレア」


「本当に……あなたなの……?」


 声が震えていた。

 それだけで、胸の奥に張り詰めていたものが、ゆっくりと解れていくのを、セレスは自覚した。


 ◇


 庭の木陰。

 真鍮のポットから注がれたローズヒップティーの香りが、空気を満たす。


「……懐かしい香りね。学院の寮で、夜更けに淹れてくれたの、覚えてる?」


「あなたが徹夜明けで、魔術式の計算を間違えていて、泣きそうになってた時の味」


 ふたりは、ふっと笑った。

 ほんのひととき、時間が巻き戻ったようだった。


「それにしても、ほんとに急で驚いたわ。来るなら手紙で知らせてくれれば、少しは準備できたのに」


「……突然だったのよ」


 セレスはやがてカップを置き、視線を伏せた。


「辛い話になるわ。聞いてくれる?」


「もちろん」


 ミレアは穏やかに目を細めた。


「……全部、話すわ」


 王子の求婚を拒絶したこと。

 捏造された罪。

 名誉の失墜と剥奪。

 追放。


 親友でなければ、こんな話は、恥でしかなく、


 語るセレスの声は静かだったが、ミレアの表情は、次第に強張っていった。


「……許せない」


 そう呟いたきり、ミレアは拳を握りしめた。

 セレスは肩をすくめるように笑う。


「隠し財産まではバレずに済んだし。結果的には、自由よ」


 乾いた声だった。

 だが、その奥には、奇妙なほどの清々しさがあった。


「普通の人の暮らしを積み上げて、無くさないようにって、ずっとしがみ付いてた……でも、全部なくなったとしても、孤児院で暮らしていた時よりは、ずっとマシなことに気付いたの。それに――肩の荷が一気に下りたら、なんだか全部、ばかばかしくなっちゃった」


 セレスの髪が、風に揺れる。ティーカップから立ち上るローズヒップの香りがふわりと漂って、セレスは少しだけ、目を細めた。


「……それでね」


 セレスは、ミレアをまっすぐに見つめた。


「きっともう、あなたに会えないかもと思ったから、最後にこうして、会いに来たの」


「最後……?」


 ミレアの手がわずかに震えた。その手に力を込め、ティーカップをソーサーに戻すと、セレスの手を取り、その瞳を、じっと見つめた。


「どこへ行くの……?」


 セレスは、ほんの一瞬だけ、ためらった。


「魔族の国へ行くわ」


 言葉にした瞬間、空気が変わった。


「正気……?」


「正気よ」


 いや――正気だったことなど、あっただろうか。


「この国の秩序は、私には苦しい」


「だからって――魔族の国なら、あなたは生き易くなるの?」


 セレスは答えない。


「……堕ちるわよ」


 ミレアが言った。


「そうとも限らない」


 セレスは、微かに笑う。


「――わかった」


 ミレアの眼差しは、あの頃と変わらず、強く、美しかった。


「でもセレス。これだけは覚えておいて。私たちは、一生、親友よ」

 

 それは祝福ではない。呪いのようなくさびだった。


 ミレアは――セレスが、どれほど堕ちても、最後まで失わなかった“光”だった。

 あの苦しかった青春のなかで、ただ一つ、美しいまま残った記憶の”光”。


 ◇


 翌朝。


 霧の中を、セレスは一人で歩き出す。


 背後で、最後の人間としての居場所が、静かに遠ざかっていった。


 ――戻らないのではない。

 戻れなくなる選択を、自分で選んだのだ。


 目指すのは、人ならざる者の国。

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