親友
セレスは、親友――ミレア・フェルノアの実家へ向かっていた。
学院を卒業してから今日まで、手紙のやり取りは続けていたが、あれから一度も会えていなかった。
ミレアは故郷の村へ戻り、家業を継いで薬草師として働いていると、いつかの手紙に書いてあった。丁寧な筆跡と、柔らかな言葉遣いを、セレスは何度も読み返してきた。
――もし、誰かに会うのがこれで最後になるなら。
それは、ミレアでなければならない。
小さな家の木戸を叩いた瞬間、扉が開き、陽だまりのような顔が現れた。
「……セレス?」
栗色の髪。穏やかなオリーブグリーンの瞳。
学院時代と変わらぬ、柔らかく、芯のある眼差し。
「セレス――!? セレスティア!?」
幻でも見るかのように目を見開いたミレアに、セレスは迷うことなく抱きついた。
「久しぶり、ミレア」
「本当に……あなたなの……?」
声が震えていた。
それだけで、胸の奥に張り詰めていたものが、ゆっくりと解れていくのを、セレスは自覚した。
◇
庭の木陰。
真鍮のポットから注がれたローズヒップティーの香りが、空気を満たす。
「……懐かしい香りね。学院の寮で、夜更けに淹れてくれたの、覚えてる?」
「あなたが徹夜明けで、魔術式の計算を間違えていて、泣きそうになってた時の味」
ふたりは、ふっと笑った。
ほんのひととき、時間が巻き戻ったようだった。
「それにしても、ほんとに急で驚いたわ。来るなら手紙で知らせてくれれば、少しは準備できたのに」
「……突然だったのよ」
セレスはやがてカップを置き、視線を伏せた。
「辛い話になるわ。聞いてくれる?」
「もちろん」
ミレアは穏やかに目を細めた。
「……全部、話すわ」
王子の求婚を拒絶したこと。
捏造された罪。
名誉の失墜と剥奪。
追放。
親友でなければ、こんな話は、恥でしかなく、
語るセレスの声は静かだったが、ミレアの表情は、次第に強張っていった。
「……許せない」
そう呟いたきり、ミレアは拳を握りしめた。
セレスは肩をすくめるように笑う。
「隠し財産まではバレずに済んだし。結果的には、自由よ」
乾いた声だった。
だが、その奥には、奇妙なほどの清々しさがあった。
「普通の人の暮らしを積み上げて、無くさないようにって、ずっとしがみ付いてた……でも、全部なくなったとしても、孤児院で暮らしていた時よりは、ずっとマシなことに気付いたの。それに――肩の荷が一気に下りたら、なんだか全部、ばかばかしくなっちゃった」
セレスの髪が、風に揺れる。ティーカップから立ち上るローズヒップの香りがふわりと漂って、セレスは少しだけ、目を細めた。
「……それでね」
セレスは、ミレアをまっすぐに見つめた。
「きっともう、あなたに会えないかもと思ったから、最後にこうして、会いに来たの」
「最後……?」
ミレアの手がわずかに震えた。その手に力を込め、ティーカップをソーサーに戻すと、セレスの手を取り、その瞳を、じっと見つめた。
「どこへ行くの……?」
セレスは、ほんの一瞬だけ、ためらった。
「魔族の国へ行くわ」
言葉にした瞬間、空気が変わった。
「正気……?」
「正気よ」
いや――正気だったことなど、あっただろうか。
「この国の秩序は、私には苦しい」
「だからって――魔族の国なら、あなたは生き易くなるの?」
セレスは答えない。
「……堕ちるわよ」
ミレアが言った。
「そうとも限らない」
セレスは、微かに笑う。
「――わかった」
ミレアの眼差しは、あの頃と変わらず、強く、美しかった。
「でもセレス。これだけは覚えておいて。私たちは、一生、親友よ」
それは祝福ではない。呪いのような楔だった。
ミレアは――セレスが、どれほど堕ちても、最後まで失わなかった“光”だった。
あの苦しかった青春のなかで、ただ一つ、美しいまま残った記憶の”光”。
◇
翌朝。
霧の中を、セレスは一人で歩き出す。
背後で、最後の人間としての居場所が、静かに遠ざかっていった。
――戻らないのではない。
戻れなくなる選択を、自分で選んだのだ。
目指すのは、人ならざる者の国。




