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爛れた心に口づけを。狂愛の魔帝と、殺せぬ魔女の物語。R15  作者: 島田まかろん三世


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名前

 イリヤの報告を受け、グリード率いる警備隊がモルヴァン伯爵の洋館へと駆けつけた時、そこはすでに、もぬけの殻だった。


 地下の実験室も、血痕の残る客間も、吸血の儀式に使われた形跡さえ、徹底的に消されている。

 奪うべきものだけを奪い、()()だけを嘲笑うように残して、伯爵は姿を消していた。


  ――その報告がもたらされたのは、晩餐の最中だった。


 魔帝ヴェラルク=ザハ・ヴェルグは、表情を変えず、淡々と続きを促した。

 料理の温度が下がることのほうが不快だと言わんばかりに。


 報告は整然としていた。

 不備も、感情も、無駄もない。


 そして最後に、その言葉が落とされる。


「……以上です。セレス殿の所在は、確認できておりません」


 次の瞬間、銀のスプーンが音を立てて床に落ちた。


 ――カラン、と。


 硬質な響きが広間を切り裂き、談笑と気配が一斉に凍りつく。

 誰もが息を詰め、音の主を見た。


 魔帝は、黙って自分の手を見下ろしていた。

 指先が、わずかに震えている。


「……いない?」


 呟きは、誰の耳にも届かないほど小さかった。 だがその刹那、卓上のワインが波立ち、グラスに一筋の亀裂が走る。


 奪われた。


 その事実が胸に沈んだ瞬間、魔帝の視界から色彩が消えた。帝国の未来、裏切り者の処罰、そんな理屈は一瞬で灰になり、ただ「隣にいない」という耐え難い空白が、魔核を容赦なく締め上げる。


 足元から黒い霜が這い、美しい絨毯を凍らせていく。溢れ出した魔力が、広間に集う者たちの呼吸を止めた。


「……あ」


 魔帝の口から、かすかな音が零れる。

 笑いとも、呼気ともつかない歪んだ響き。


 床石は悲鳴を上げ、広間を黒い結晶が侵食していく。  

 花々が一瞬で黒く枯れ落ち、根の無いものは腐っていく。


「……モルヴァン伯爵」


 名を呼ぶ声に、熱はない。ただ、世界の終わりを宣告するような、絶対的な零度。


 魔帝はゆっくりと立ち上がった。その背後で揺らめく影は、人の形を保っていない。


「ロカ」


「はっ」


 側近が膝を突く。魔圧を受けて、毛が逆立つ。


 追え。

 捕らえろ。

 殺せ。


 魔帝は、自分の胸の内に渦巻く正体不明の衝動を、ただ一点に収束させる。


「……準備を」


 何の準備かを、問う者はいなかった。

 そして告げられた。


「――セレスがいない世界は、必要ない」


 命令の全容を問う者はいない。

 ただ確かなのは――魔帝がその一歩を踏み出したとき、世界は軋む。

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