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爛れた心に口づけを。狂愛の魔帝と、殺せぬ魔女の物語。R15  作者: 島田まかろん三世


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この世の摂理

 セレスとイリヤを乗せた馬車は、雪を蹴立ててモルヴァン伯爵邸へと急ぐ。ザナハの塔の巨大な影が視界に入る頃には、街はすでに、底の見えない夜に飲み込まれていた。


 二度目の訪問は、驚くほど呆気なく受け入れられた。愛用の杖を吸血鬼ノスフェラトゥの執事に預けさせられはしたが、客間で一息つく間もなく、主が姿を現した。


「ああ、セレス嬢。こんなに早くまた会いに来てくれるとは――嬉しい限りだ」


 モルヴァン伯爵は、心底悦に入った様子で両手を広げた。


「今夜は、随分と覚悟があるようだ」


「覚悟?」


 セレスは微かに首を傾げる。


「――ええ。事実を確かめに来ました」


 伯爵の口元が歪む。


「孤児院の件か」


「それ以外に、ここを訪問する理由が、ありましたか?」


 静寂。伯爵は一瞬固まった。


「まあいい。僕の美しい夜空――さあ、二人きりで語り合おう。きみのために、最高のお茶と、世界一のケーキを用意させよう」


「いいえ。お気遣いなく」


 セレスは短く切り返し、視線を逸らさずに言葉を継いだ。


「――それより、聞きたいことがあるのです」


「なんだって答えよう。美しいきみになら」


 伯爵の甘い言葉を、セレスは無表情で受け流す。


「それでは――私に、決して嘘など吐かないと、誓ってくださいますか?」


 伯爵の口元が、勝ち誇ったように緩んだ。セレスが自分に誠実さを求めている。それは彼にとって、求婚への前向きな歩み寄りに見えたのだろうか。


「なにを知りたいんだい? そんなふうに見詰められると、ドキドキしてしまうよ。

 僕の伴侶となるきみに、隠し事などあってはならない。……古き血にかけて誓おう、僕はきみに、真実のみを語ると」


 セレスは姿勢を正し、淡い吐息を落とした。その眼差しは、一切の情を削ぎ落とし、ただ真実のみを射抜く氷の刃と化している。


「――では、お聞きします」


 静寂が、重く客間を支配した。


「孤児院の子供を人族の奴隷商へ売り渡し、その対価として、人間族の処女を買っている――というのは、事実でしょうか?」


 伯爵の表情が凍りついた。

 吸血鬼ノスフェラトゥとは思えないほどの、透き通るような青い瞳が見開かれる。そこから卑俗な驚愕が漏れ出す。


 だが、それも一瞬のこと。彼は剥がれ落ちそうになった貴族の仮面を強引に引き戻し、口元に、歪な笑みを貼りつけた。


「――ああ、セレス。もしかしてきみは、()()()を見つけたのか。若いきみのことだ。人生経験も足りないだろう。その純粋さゆえに、あの男の作り話に、まんまと騙されたのかな?」


「さあ、どうでしょう」


 セレスは微動だにせず、薄く笑みを返した。


「それよりも、正直に答えていただけるのですよね? ラファエル・モルヴァン伯爵閣下。()()()にかけて嘘は吐かないと、さっき、仰ったばかりですもの」


 伯爵は長く、重苦しい溜息を吐いて肩を落とした。それは自らの過ちを悔いる者ではなく、まるで「話の通じない子供」を諭そうとするかのような仕草だった。


「……実に残念だ。今夜はもっと、濃厚で甘美な夜になると思っていたのだがね」


 伯爵は、自嘲気味に言葉を続ける。


「そうだね……。そうだ。処女の血は格別だ。あれよりも美味なものは、この世に存在しない。吸血鬼ノスフェラトゥがそれを求めるのは本能だ。――当然の行為だ」


「ですが」


 セレスは次の言葉を、氷のつぶてのように、投げた。


「ヴェラルク=ザハ・ヴェルグ魔帝陛下は、それを禁じています」


「そうだ――!」


 唐突に、伯爵は声を荒げた。


「おかしいとは思わないか――! 人を喰らってこそ魔族。血を吸い、魂を啜るからこそ、我らは誇り高き上位種でいられるのだ。あの()()()()()の魔帝に、我らの乾きが分かってたまるか……!」


 不思議そうに、セレスは首を傾げた。


「ですが、処女のために、魔族の子を、生贄に?」


「それも仕方がない。弱きものは奪われる。それがこの世界の摂理だ」


 伯爵の瞳が、赤く染まり始める。

 セレスは深く頷いた。


「……確かに。魔族ですもの。人族の正義になどのっとる必要はありません。それでこそ魔族。弱肉強食も、この世の秩序のひとつです」


「そうだろう――!!」


 伯爵は、ついに理解者が現れたとばかりに、歓喜の声を上げる。

 だが、セレスはその瞳を冷ややかに細めた。


「ですが――忘れてはいけません」


 その声には、冷たい刃が宿っている。


「この地は、ヴェラルク=ザハ・ヴェルグ魔帝陛下の御旗のもとにある、ネクレイア魔帝国の領地です」


 嘲るように、セレスはニヤリと唇を歪めた。


「魔帝国に属するものは、すべて、陛下の所有物です。血の一滴、剥がれ落ちた皮膚さえも――」


 セレスは容赦なく言葉を畳みかける。


「そして陛下は、そういった魔族への理不尽を、この世から根絶するために、ご自分の生涯をかけておられます」


「だからなんだというのだ――!?」


 伯爵の咆哮が、石壁を震わせる。


「世界は理不尽でできている! その中で、僕は勝者だ! 欲望のままに、僕がしたいことをして何が悪い!? 

 弱き者は刈られる。それが宿命だ! 弱者は弱者だ! そんな矮小なものに生まれ落ちた、自分の愚かさを憎めば、済む話だろう!!」


 その言葉に、セレスは心底退屈そうに溜息を吐いて頷いた。

 ()()()()()()()()()()()()を、つい最近見たばかりだ。


「そうですね。伯爵の言う通りです。ですが……」


 それから、わざと嫌悪感をありありと表情に滲ませ、呆れたように首を振った。


吸血鬼ノスフェラトゥともあろうお方が、こんな、こそこそと陳腐な真似をしてまで、処女の血を得ようだなんて」


 セレスは鼻で笑った。

 その冷ややかな音は、狂気に走る伯爵の耳に、どんな罵倒よりも鋭く突き刺さったことだろう。


「とても、気持ちが悪いわ」


 その瞬間、客間から一切の音が消えた。伯爵の内で、何かが音を立てて千切れたのだろうか。剥き出しの殺意が濁流となって溢れ出し、血の色に染まった瞳が、爛々と狂気的な光を放ってセレスを射抜いた。


「後悔するがいい」


 それはもはや貴族の怒りではない。

 獲物を八つ裂きにすることしか頭にない、飢えた獣の眼差しだった。

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