真相
セレスは街路を、ゆっくりと歩いていた。
吹雪の名残を抱えた空気は冷たく澄み、足元の雪は踏みしめるたびに乾いた音を立てる。
「セレス様――先程の件ですが」
イリヤの影が、前を行くセレスの足首に絡みついた。
だが、振り返るより先に、別の小さな影が割り込んだ。
オコジョ族の獣魔人の子供だった。
真っ白な毛に覆われた頬をこすりながら、怯えと好奇心の入り混じった目で、セレスを見上げている。
「……お姉さん」
声は小さい。
「孤児院のこと、調べてるの?」
セレスは足を止めた。膝を折ることもなく、子供を見た。
「そうよ。あなたは孤児院の子なの?」
子供は一瞬、身を竦めた。だが、逃げない。
「ううん。でも……お友だちがいるの」
子供は唇を噛みしめ、意を決したように続けた。
「その子、里親が決まったって、すごく喜んでた。でも……迎えが来る前に、いなくなっちゃった」
セレスの視線が、わずかに鋭くなる。
「いつ?」
「一昨日」
セレスは息を呑んだ。
「その子の名前は?」
「リリ。夢魔の女の子」
リリ――。
だが、寮母も伯爵も、その名を口にしなかった。
胸中で小さく舌打ちする。やはり、二人は何かを隠している。
もしノエルがリリを連れて逃げたのだとしたら、必ずどこかで目撃されているはずだ。それに――子供が失踪したのに、警備隊へ報告がないのは明らかに不自然だった。
「……もういいわ」
そう言って、背を向ける。
「え?」
「充分よ。帰りなさい」
子供は戸惑いながらも、雪道を駆けていった。
――これ以上、独断で動くよりも、まずは確かな網を広げるべきだ。
セレスはそう、判断した。
◇
街路を戻り、警備隊の詰所に入る。
中庭では焚き火が赤々燃えるなか、兵士たちが武具を整えていた。
「おお、セレス殿」
グリード隊長が顔を上げる。
「――孤児院に関して、追加情報がある」
挨拶は省いた。
「夢魔の子供が一人、行方不明。名はリリ。一昨日から姿を消している」
グリードの眉が寄る。
「……子供?」
「ええ。寮母も、モルヴァン伯爵も、その名を一切口にしなかった」
「だが、子供の証言だけでは――」
言い切る前に、セレスの視線がグリードを突き刺した。
「隠している理由がある。十分でしょう?」
短い沈黙。
グリードは力強く頷いた。
「わかった。俺の部下を動かそう。雪は厄介だが、必ず見つけ出す」
「徹底的に」
それだけ言い残し、セレスは踵を返した。
その日もザナハには、夕刻になると雪が舞い始めた。
◇
翌々日の昼過ぎ、詰所を訪れたセレスは、グリードから報告を受けた。
「隣町の宿だ。人間族の青年と、夢魔の少女」
グリードの声は重い。
「保護はしたが……戻ることを拒んでいる」
「理由は?」
「話そうとしない。ただ……ザナハに戻れば殺される、と」
セレスは、目を伏せた。
「……そう」
顔を上げる。
「行くわ。エドマールも連れて」
セレスは、雪の舞う街道へと歩み出た。
◇
深い雪に閉ざされた街道を越え、馬車は隣町へと滑り込んだ。申し訳程度の低い城壁に囲まれた、こぢんまりとした町だ。昼下がりだというのに往来はまばらで、立ち並ぶ露店の半分以上は、凍てつく寒さに耐えかねたように店を閉じている。
目的の宿は、表通りから外れた薄暗い路地の奥にひっそりと佇んでいた。
雪に押し潰されそうなほど、みすぼらしい建物だ。
「……ずいぶんと、慎ましい場所を選んだのね」
セレスの囁きが、冷たい空気の中で白く弾ける。中は閑散としていて、寂れた逃亡者の吹き溜まりに見えた。
「――逃げているんだとしたら、きっとこれが精一杯だったんだ」
エドマールは身を縮めるようにして、苦渋に満ちた顔で、一階の酒場から続く階段の先――薄暗い二階廊下へと視線を投げた。
煤けたカウンターに座る宿の主は、濁った瞳で一行を一瞥しただけで、何も尋ねようとはしなかった。
階段を上れば、乾燥して痩せた床板がやけに大きく軋んだ。
廊下の突き当たり。目的の部屋の前には、二人の魔狼族が立っていた。グリードが放った警備隊の精鋭だ。
彼らはセレスの姿を認めると、左右に割って扉を顕わにした。
◇
セレスは扉の前に立ち、静かに戸を叩く。
――コン、コン
控えめな音が、薄暗い廊下に響く。
扉の向こうで、気配が跳ねた。
開いた隙間から覗いたのは、極限の緊張からか、ひどくやつれた人間族の青年。そして、彼の服の裾を必死に掴んで震える、小柄な夢魔の少女の姿だった。
「……ノエル……!」
セレスの背後にいたエドマールが強引に扉を押し開け、堰を切ったように青年に駆け寄った。
青年――ノエルの体を、力いっぱい抱きしめる。
ノエルは最初、恐怖に目を見開いて硬直していたが、それが誰であるかを悟った瞬間、崩れ落ちるようにして恋人の背に腕を回した。
再会の抱擁が、冷え切った室内を僅かに温めた頃、セレスは部屋の隅にあった椅子へ腰を下ろした。
場末の安宿の一室が、裁定の場へと変わる。
「……さて。事情を、話してもらえる?」
ノエルは震えながら語る。
孤児院。
リリ。
伯爵の影。
すべてを聞き終え、セレスは胸の奥に溜まった空気を、ゆっくりと吐き出した。
――もし、これが真実ならば。
「……粛清が、必要だわ」
外套を羽織り直すと、エドマールとノエル、そしてリリを残し、再び伯爵邸の黒い尖塔を目指した。




