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爛れた心に口づけを。狂愛の魔帝と、殺せぬ魔女の物語。R15  作者: 島田まかろん三世


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伯爵

 馬車は新雪を固く踏みしめ、静まり返った街路を進んでいく。白銀に縁取られた屋根と重厚な石造りの街並みの向こう、モルヴァン伯爵邸の尖塔が、姿を現した。


 冬の鈍色の空を貫くようにそびえる黒い塔は、巨大な影がそのまま形を成したかのようだ。近づくにつれ、館を囲む鉄柵や門扉の装飾が露わになる。蔦を模した細工は鋭く、雪を戴いたその輪郭は、氷の棘のように冷たい光を跳ね返していた。


 窓は高く、狭い。

 昼の光が届く時間帯のはずだが、館内に人の営みを示す気配はない。むしろ、奥に溜め込まれた暗がりが、外へ滲み出しているかのようだった。


 鉄柵の前で馬車が止まる。

 御者が用件を告げると、門番は露骨な警戒を顔に浮かべ、無遠慮に馬車の窓へ顔を近づけてきた。赤みを帯びた瞳が、値踏みするようにセレスを捉える。


 短い確認の後、門番は何事かを囁き合い、「待たれよ」とだけ告げて、門の奥へ消えた。


 寒気の中、馬車は取り残されたように静まり返る。

 そのうちに、雪がちらちらと舞い始める。


 やがて現れたのは、執事らしき男性。白磁のような肌、色を失った唇。やはり、吸血鬼ノスフェラトゥだろうか。

 彼は門を開き、深く一礼した。


「――お待たせいたしました。どうぞこちらへ」


 馬車は軋んだ音を立て敷地内へと進み、沈黙に満ちた館の、正面玄関前で止まった。


 セレスはイリヤを伴い、無機質な歩調で先導する侍従に連れられて、応接室へと通される。だが、そこで再び待たされることになる。暖炉には火が入っていたが、その炎は妙に冷たく見え、時間の流れをさらに長く感じさせた。


 ◇


 沈黙の時間が更に積み重なる中、扉が開いた。

 現れたのは、銀盆を手にした侍女だった。彼女は音ひとつ立てずに歩み寄り、紅茶を置いて去っていった。


 残されたのは、薬草の香りがする紅茶。

 そして――依然として訪れぬ伯爵の気配。


 セレスはティーカップには触れず、ただその香りを確かめた。


 扉が開いた。


「――お待たせいたしました。モルヴァン伯爵がお会いになるとのことです」


 続いて現れたのは、爽やかな笑みを湛えた紳士だった。歳は三十代前半ほどに見える。整えられた金髪に、澄んだ湖のような青い瞳。仕立ての良い服に包まれた姿は、吸血鬼ノスフェラトゥのイメージからかけ離れている。


「すまない。待たせしてしまったね」


 柔らかな物腰で席につき、気遣うように紅茶へ目を向ける。


「ああ、その紅茶。少し癖があるけど、どうかな? 気に入っていただけたかな。僕は好きなんだけど」


 軽妙な声音に、場の空気が僅かに緩む。

 それでもセレスは笑わなかった。


 彼は程よい温度の紅茶に口をつけると、心底寛いだ様子で溜め息を吐いた。まるで、多忙な公務の合間に、ようやく本来の休息を取り戻したかのような仕草だった。


「それで、孤児院の職員の件で、わざわざ足を運ばれたと聞いたが……」


「はい。ノエルという方が、二日前から行方不明です」


 伯爵は頷きかけ、ふと首を傾げた。


 「失礼――」と、短く前置きを挟み、彼はその透き通るような青い瞳で、セレスの存在の隅々を、見透かすように測った。


「きみ、人族だろう。どうして帝国の研究員に?」


「――お答えする義務は?」


 落ち着いた返答に、伯爵は眉を下げ、苦笑した。


「いや、構わない。ただ……興味が湧いたんだ」


 カップの縁を指でなぞりながら、伯爵は言葉を選ぶ。


「人族で、魔術師のきみが、どうして陛下の許しを得たのか。――いや、失敬。問いが間違っているな」


 ふと視線を上げる。その瞳には、柔らかな陽だまりのような光と、底知れぬ夜の影が同時に宿っていた。


「きみがなぜ、そんなに美しいのか。僕は、それが知りたいんだ」


 セレスは口元だけを僅かに動かす。


「まあ、お上手ですのね。それは、吸血鬼ノスフェラトゥの嗜みですか?」


 伯爵は喉の奥で小さく笑い、ティーカップを卓に戻した。


「きみほどの美貌を、老いに委ねるのは惜しいと思っただけだ」


 声は柔らかく、それでいて、瞳の奥には、引き摺り込むような磁力を帯びていた。


「僕の血を受けて、僕のつがいになる気はないだろうか?」


 唐突な提案に、セレスは思わず目を丸くした。その背後で、イリヤが息を呑むのがわかった。


 セレスは、すぐには答えなかった。

 伯爵を見返す視線は冷静で、感情の揺れはない。


 伯爵は唇に艶やかな笑みを湛えたまま、静かに言葉を重ねる。


「人間族は、目を離した隙にすぐに亡くなってしまうからね。僕の妻になれば、老いも、死も、煩わしい選択すらも――もう迷わずに済む」


 セレスは一瞬、伏せ目がちになり、長い睫毛を震わせた。  

 そして、顔を上げた彼女の瞳には、先ほどまでの冷徹な光ではなく、どこか夢見心地な、柔らかな色彩が宿っていた。


「……そんなことが、本当に叶うのでしょうか。吸血鬼ノスフェラトゥつがい……それは、私のような人間族には、あまりに甘美な響きですわ」


 セレスの声音は、蕩けるような熱を帯びている。伯爵の瞳に宿る、征服欲がギラリと輝いた。


 乗り気のセレスに、お目付け役のイリヤの影が、殺気を帯びて重なる。


「前向きに検討させていただきます。……ええ、ノエルのことなんて、もうどうでもよくなってしまいました」


 セレスはきりのよいところで会話を終わらせ、伯爵邸を後にした。

 外は雪も止み、程よい気温で、セレスは歩いて宿舎に戻ることにしたのだった。


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