違和感の種
施設から外へ出ると、凍てついた大気が、剃刀のように肌を撫でた。そこには、警備隊の面々を従え、静かにこちらを待つ隊長、グリード・グランファングの姿があった。
「ああ、無事だったか」
それだけ言って、彼は深く息を吐いた。
安堵。少なくとも、そう見える仕草だった。。
「部下を助けてくれて、本当に感謝している。よかったら、飯でも奢らせてくれないか」
「遠慮するわ。仕事のついでに助けただけよ」
セレスは首を振り、灰色の空を一瞥する。
「それに、できれば早く戻りたいの。この街は――私には寒すぎる」
「人間族には堪えるだろうな」
グリードは肩を竦める。吐いた息が白く広がった。
「確かに――今日は雪が降りそうな寒さだ」
低く垂れこめた雲は重たく、街並みを鉛色に沈めている。
「宿は?」
「取ってないわ」
「なら兵舎に来い。凍死されても寝覚めが悪い」
「街の宿屋と兵舎。安眠できるのはどちらかしら」
皮肉を含んだセレスの問いに、グリードは歯を見せて笑った。
「どっちもどっちかもしれんな」
二度も戦火に曝された街だ。復興支援こそあれ、まだ傷跡は深い。宿屋ひとつ取っても、経営しているのが魔族か人族かでも対応はまるで違うだろう。
セレスは人族。だが、同行しているイリヤと御者は魔族だ。
「兵舎の食事には、私が食べられそうなものはある?」
「肉は食えるか?」
「もちろん」
「なら問題ない。あいにく魚は海沿いからの運びで高くつくが、肉ならいくらでも出せる」
グリードがにんまりと微笑んだ。
◇
セレスはグリードを自分の馬車へと招き入れ、並んで腰を下ろした。車窓からは、路肩を流れる雪解け水や、積まれた雪の山が見える。
やがて街はずれに、古びた石造りの建物が見えた。
孤児院だろう。
雪の残る庭で、子供たちが遊んでいる。笑い声。転ぶ子。駆け寄る子。耳や角、尻尾――その姿から、皆、魔族の子供だと分かる。
その中にひとり、年配の女性がいた。人間族だ。寮母だろうか。
それから、彼女の前に立つ、長身の吸血鬼。仕立ての良い外套。無駄のない立ち姿。
二人は、会話をしている様子だ。
「――ラファエル・モルヴァン伯爵だ」
グリードが、セレスの視線の先を示した。
「この地の新しい領主だ。――正直、俺たち現場は、まだ距離を測っているところだ。だが――」
なぜかグリードは、反対側の窓の外へ視線を移した。
領主として認めていない伯爵から、視線を逸らしただけ――なのだろう。
「伯爵には、明日にでも挨拶へ行ったほうがいい。きみは閣下の名代としてここへ来ている。魔族の礼儀に疎い人間族として、陛下や閣下の顔に泥を塗るような真似は、避けるべきだろう」
「それは、あなたの判断?」
「……上からの話でもある」
「上?」
「ロカ様だ」
名を出した瞬間、空気が僅かに引き締まる。
「余計な軋轢は避けたい、とな。
あの伯爵は……扱いが難しい」
グリードは低く息を吐いた。
「無理にとは言わん。ただ――」
次の言葉の端々には、苦々しさも感じられた。
「伯爵は若いが、吸血鬼の中でも一際情熱的な御方だ。……きみのような美しい魔術師を見れば、さぞ喜ばれるだろう」
グリードの言葉に、セレスは胃の底が冷えるような嫌悪を覚えた。
まるで、市場に並ぶ家畜の品質を保証されているかのような不快感だ。
吐き気を紛らわせようと、再び窓の外を見る。
ちょうどそのとき、孤児院の年配の女性がこちらを見た。
セレスと目が合った瞬間、なぜだかハッとしたように目を見開き、直ぐに視線が逸れた。
それは、脅えているような目だった。
◇
魔狼族のグリード隊長は、恩人であるセレスに、ここぞとばかりのもてなしを用意した。卓上に並ぶのは肉料理ばかり。香ばしい匂いが室内に満ち、肉汁が鉄皿の上でじゅうじゅうと音を立てている。
一言で例えるなら、豪快だ。
馬車の中で、品定めの言葉を吐いた胸糞の悪さはない。
彼らは当然のようにビールを勧めてきたが、セレスはワインを所望した。
「遠慮するな」
「遠慮はしてないわ」
セレスは、必要な分だけ口に運ぶ。
イリヤと御者も同席していたが、会話は少ない。
やがて頃合いを見計らい、セレスはイリヤと共に、用意された客室へと向かった。
窓の外では、吹き荒れる風に、雪が激しく舞い踊り始めていた。その荒れ狂う景色とは裏腹に、室内には暖炉の火が赤々と爆ぜ、柔らかな熱気が部屋を満たしている。
イリヤは、セレスの着替えを手際よく手伝い終えると、会釈し、気配を消すようにして隣の使用人部屋へと下がっていった。
布団に潜ったセレスの足元には、湯たんぽが置かれていた。イリヤの気遣いだろう。その仄かな、けれど確かな温もりに包まれながら、セレスは静かに目を閉じた――。
昼に見た、孤児院の庭。
子供たちの笑顔。
そして、あの寮母。
子供たちに向けられた穏やかな視線と、ふくよかな体格から、とても優しそうな人に見えた。
けれど、セレスは違和感を覚えた。理由は分からないが、胸の奥がざわざわする。その感覚を、外へ追いやることができないでいた。
◇
翌朝。
支度をしていると、廊下が騒がしい。
「……恋人が戻らない」
切羽詰まった男の声。
けれど、一顧だにする価値もない、市井の事件だろう。
「孤児院で働いていた、人間族だ」
セレスの手が、止まった。
胸の奥に、昨日覚えたあの違和感が甦る。
扉を開ける。
「その話、私にも聞かせて」
兵士と男が、驚いてセレスに振り向いた。
セレスは、人助けをするつもりなどなかった。
ただ、自分を『美しい貢ぎ物』かなにかと勘違いして、伯爵邸に送り出そうとしている奴らの思惑を、この事件でめちゃくちゃにしてやるのも、悪くない。
セレスの唇に、残忍なまでの美しさを湛えた笑みが浮かぶ。それは、救い主の顔ではなく、予定調和の盤面を、外側から蹂躙しようとする破壊者の笑みだった。




