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爛れた心に口づけを。狂愛の魔帝と、殺せぬ魔女の物語。R15  作者: 島田まかろん三世


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呼吸する施設

 鉄の扉が、鈍く軋んだ。

 中に足を踏み入れた途端、空気が変わる。粘ついた冷たさが肌に纏わりついた。


 音という音が吸い取られたような静寂。重く沈殿する薬品と、腐敗の匂いが鼻腔を刺す。


 そして──不規則に、微かに、だが確かに響く。


 カタ……ゴォ……シュウウ……


 それはまるで、機械が呼吸するかのような異様な音。  

 金属の肺が、薬液と共に肺動を繰り返しているような、人工生命体の「息づかい」だった。


 セレスとイリヤが進む先――奥の闇がわずかに蠢いた。


 ──来る。


 暗がりの中から、ひとつ、影が現れる。

 子供ほどの背丈のそれは、白く無表情な仮面のような顔に、関節の逆転した細い手足。無音のまま、無数の魔術式を纏い、歪な肢体をうねらせて迫ってくる。


 それは、人族の錬金術師たちが、魔族の肉体を切り刻み、接ぎ木し、無理やり「機能」だけを抽出した、獣の時代の残滓。


 セレスは杖を構え、魔力を集中させた。

 だが――魔術が放たれる、ほんの刹那。

 セレスの思考が、わずかにつまづいた。


 ――聞こえた。


 音ではない。

 言葉でもない。

 それでも確かに、そこには()()があった。


 叫びにもならない、弱々しい何か。


(……生きている?)  


 いや、違う。

 生きている、のではない。

 生かされている。

 

 誰かの都合で。


「セレス様」


 平坦なイリヤの声が、背後から響いた。


「……迷っていますか」


 その問いは、責めではなかった。

 ただの確認。

 だからこそ、残酷だった。


「……」


 沈黙が、答えになる。


「では、私が判断します」


 瞬間、イリヤの体からひやりとした殺気が立ち上る。

 影のように滑らかに、だが迷いなく彼女は一歩踏み出した。


 金属音が鳴った。メリケンサックの重撃が空気を裂く。


 ホムンクルスが跳躍し、セレスに向かって腕を伸ばした刹那――

 イリヤの拳が、横からその顎を砕いた。


 白い仮面が粉砕され、ホムンクルスは壁に叩きつけられる。

 追撃。膝蹴り、回し蹴り、そして拳。

 そのすべてが正確に急所を打ち抜き、動きを封じるためだけに構成されていた。


 数秒後、ホムンクルスは、痙攣ののち動きを止めた。

 その胴から染み出たのは血ではなく、防腐剤の混じった黒い泥だった。


 ――恐怖を知らない存在は、選ばない。

 選ばない者は、救わない。


 かつて彼らにも、意志があったのかもしれない。誰かを愛し、空を仰ぐ自由があったのかもしれない。


 セレスは思う――だが、それを選ばなかった、あるいは選ぶ権利を奪われた結果が、この暗い通路に転がるゴミだ。


 セレスは、返り血を拭うイリヤの横顔を見つめた。

 イリヤの瞳には、死んだホムンクルスと同じ、深淵のような無化が宿っている。

 けれどそこにあるのは、帝国が掲げる理性だ。


 かつてセレスは、人を焼いた。

 敵兵であり、命令であり、戦争だったからだ。


 だが、目の前のそれは違う。


 国でもない。

 兵でもない。

 罪ですらない。


 胸の奥に、冷たい刃物を押し当てられたような感覚が走る。

 あの玉座から注がれた昏い視線が、セレスの脳裏に蘇る。


 今、セレスは問われているのだ。自分自身の選択を。

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