喰らう者の理
デザートが運ばれてきた。
焼き林檎に添えられた白いクリームが、魔灯の光を受けて鈍く艶めく。湯気とともに立ち上る甘い香りは、先ほどまで卓上を支配していた血と鉄の気配を、ほんの一瞬だけ押し流した。
だが、銀の食器が整然と並ぶ長卓には、沈黙という名の緊張が張りつめていた。
その沈黙を破ったのは、ハイエルフ――ファウロス・ヘルミスだった。
「ひとつ聞きたかったのだが……」
始まりは穏やかな問い。
「貴殿のような力ある魔人が、なぜ『国家』などという枠を必要とする? 同胞を束ね、規範で縛り、管理する。――それは、人族のやり方だ。獣のように荒野を奔るほうが、きみたちの性分に合っているはずでは?」
理性ある声音。
だがその底には、魔族を「文明以前の存在」と断ずる視線が潜んでいる。
「ハイエルフ――口の利き方に気をつけろ。陛下だ」
ロカが低く唸るように遮った。
だが魔帝は、紅茶のカップをゆっくりと口に運び、この緊張すら愉しむかのように、わずかに唇を緩めた。
「構わん」
カップを置く。
その仕草ひとつで、場の空気がさらに静まった。
「――なるほど。貴公の目には、我々がただ、群れているだけに見えるのだろうな」
魔帝の声音には、怒りも嘲りもなかった。
ただ、事実を測るような冷静さがある。
「ならば答えよう。――目的はひとつ。獣の時代を、終わらせるためだ」
その一言が、卓上に重く落ちた。
ヘルミスが眉を動かす。
魔力が高いだけの獣の成れの果てが、人族と同じ座に列するつもりか――と、言いたげに。
「……それは、言い換えにすぎない」
「違う」
魔帝は即座に否定した。
「地位とは、他者が与えるものだ。だが俺が終わらせたいのは、『選択肢を与えられぬ生』そのものだ」
魔帝は視線を巡らせる。
その場にいる誰よりも、遠い過去を見るように。
「森の奥で生まれたばかりの魔族の子がいる。言葉も、名も、理性も持たぬ。――人族に見つかれば、どうなる?」
答えを待たず、淡々と続ける。
「炎で焼かれ、杭で打たれ、害獣を駆除したと報告されて終わりだ。
あるいは、運よく生き延びても、玩具か、奴隷か、見世物だ」
その言葉に、誇張はない。
見てきた光景を、そのまま並べただけだった。
ロカが、苦く目を伏せる。
セレスの喉が、小さく鳴った。
「――俺は、それを止めたい」
魔帝は言う。
「理解されたいわけではない。共感など求めていない。
ただ、獣であるしかない世界を、俺が壊す。それだけだ」
沈黙。
そこに、ヘルミスが切り込んだ。
「だが、きみたち魔族は人族を喰らう。
それが事実だ。共存など、所詮は幻想だろう」
理性の刃と侮蔑の感情。そしてそれは、過去に裏打ちされた正論だった。
魔帝は、静かに問い返す。
「それは、ハイエルフも同じだろう」
「……なに?」
「お前たちは森の精霊を従え、その精気を喰らって生きている」
「――それは」
「だが同時に、育てもしている」
赤色の瞳が、緑色の瞳を、淡々と見ている。
「我々も同じだ。理性なき獣として生まれ、血を求め、本能に従う。
だが生き延び、言葉を覚え、選択を知れば喰わぬ道も選べる。ゆえに――」
声を低く、魔帝は続けた。
「理性を選べぬ者は、俺の国には不要だ」
耳を傾けるヘルミスの顔が、途中、僅かに引き攣る。
「そして、共食いすら厭わぬ我らにとって、人族は唯一の糧ではない。
だが、成熟する前に殺されれば、その選択肢すら与えられぬ」
魔帝は、断じるように言った。
「それが獣の時代だ」
セレスが、静かに口を開いた。
「……あなたは、正義を語っているのではないのね」
魔帝の視線が、セレスに向く。
「世界の仕様を変えようとしているのだわ。
魔族が、獣であるか否かを――自分で選べるように」
一瞬、魔帝の口角が僅かに上がった。
「理解が早いな」
セレスはスプーンを取り、焼き林檎に刃を入れた。
「獣のままでいたい者は、きっと反発する。
でも……理性を持ちたい者には、あなたの国は避難所になる」
ヘルミスは言葉を失っていた。
これは善悪の議論ではない。
時代の更新の話だ。
「――魔族にしては、随分まともなことを言うのだな」
絞り出したヘルミスの言葉は、皮肉というより、戸惑いに近いものだった。
魔帝はそれを一蹴するように、微かに笑う。
「ハイエルフとて、原初はそうだっただろう。力あるがゆえに忌まれ、理解されぬまま恐れられた。
お前たちは、森に討伐されなかっただけで、我々と同じ地平にいたはずだ」
「――ではお前は人間を見て、『美味そうだ』とは、思わないのか?」
それは挑発ではなく、純粋な、真意を測る問いだった。
魔帝は、血のように赤い瞳で、真っ直ぐセレスを捉える。
「俺はセレスを見て、ただ『美しい』と思うのみだ」
一瞬、卓上の空気が止まった。
「――だが」
低く、静かな声。
「だからといって、救うとは限らない」
セレスの指が、微かに震える。
「この国を選択しないのであれば、誰であろうと例外ではない。この国は、俺の国だ」
そう告げる魔帝の瞳は、愛しいセレスを見ているようでいて、その実、彼女の背後に広がる『爛れた世界』を見据えているようだった。
紅茶の湯気が、細く立ち上る。
今宵の晩餐は、確かに終わりを迎えていた。
――獣の時代は、終わる。
その宣告だけを残して。




