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爛れた心に口づけを。狂愛の魔帝と、殺せぬ魔女の物語。R15  作者: 島田まかろん三世


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晩餐

 大広間には魔灯の光が揺れ、壁に刻まれた古代魔族の血紋が、蠢くような深紅の影を落としていた。長卓には、異界の饗宴と呼ぶにふさわしい光景が広がっている。銀の蓋が持ち上がるたびに、鼻腔をくすぐる妖艶な香りが、陰鬱な空気を塗り替えていく。


 上座に、魔帝ヴェルが悠然と腰を下ろす。その右隣には、牙を隠した猟犬のごとく圧を放つロカ。魔帝の正面、逃げ場のない位置にセレス。そして彼女の傍ら、彫像のように表情を殺したヘルミスが座した。


 魔帝は、血のように赤いワインが満ちたグラスを掲げた。


「まずは、乾杯だ――ようこそ。俺の誇り高き晩餐へ」


 ロカが毒見を兼ねて喉を鳴らす。セレスとヘルミスもまた、儀礼に則りグラスを上げた。セレスは並べられた毒々しくも美しい皿を一瞥し、不敵に口角を上げた。


「――ずいぶん、美味しそうな()()()()ね」


 ここ数日、セレスは自室に籠もり、研究に勤しんでいた。その間、食事は携帯食で済ませていた。なにかに没頭すれば食欲すら忘れる。そんな彼女を無理やり引きずり出したこの晩餐会は、魔帝にとって「餌付け」であり、同時に「囲い込み」の儀式であった。


「皮肉を吐く余裕があるなら、さっさと平らげることだ。毒見は済んでいる。陛下がわざわざお前のために整えさせた卓を、無駄にするな」


 ロカの声には、冷徹な刺があった。彼にとってセレスは、主君を惑わす「劇薬」でしかない。

 セレスは冷ややかに応じ、銀のフォークを取った。頬肉の煮込みに刃を立てれば、香ばしく濃厚な湯気が立ち上る。


 ゆっくりと味わう彼女を、魔帝は愛蔵品を鑑定するような熱い視線で凝視していた。


「どうだ? お前の口に合うよう、シェフには細かく注文をつけた」


「ええ……。思っていたよりずっと――というか、とても美味しいわ」


 かつて自分の稼ぎで食べていたどの料理よりも、遥かに自分好みに調整された味。完璧すぎる配慮に、セレスは敗北感に似た苛立ちを覚え、わずかに唇を噛んだ。


「……美しいな」


 吐息のようなその言葉を、セレスは風の音でも聞き流すように無視し、黙々と食事を続けた。耐えかねたヘルミスが大袈裟に咳払いをしたが、魔帝は一瞥だにしない。そこに座る「恩師」とやらは、魔帝にとって、背景の壁や椅子となんら変わらぬ存在だった。

 

 その、あからさまな「不在扱い」に、空気を読みかねたロカが、控えめに身を乗り出した。


「陛下――客人がいるのを、お忘れなく」


 魔帝は眉一つ動かさず、グラスを回しながら応じた。


「俺はその男を晩餐に呼んだ覚えはない」


「ええ。自分の独断で招きしました。――このハイエルフの男も、有益な情報を持っておりましょう。学生時代のセレス殿の素行……陛下もお知りになりたいのでは?」


 魔帝が、グラスを傾けた手を止めた。

 ヘルミスは優雅にナフキンで唇を拭うと、静かに、しかし明確な「所有権」を主張する視線を、教え子へと向けた。


「彼女は……一つのことに没頭すると周りが見えなくなる。実に見事な学生でした」


 ヘルミスの声が、粘り気を帯びて広がる。


「勿論、セレスは美しかったのだろう? 今もだが、学生時代も――」


「ああ、美しかったとも」


 ヘルミスは即答した。その目は過去を追うようでいて、今この瞬間のセレスを強く、深く映していた。


「彼女の魂は、あまりに純粋な探求心ゆえに、この世界の平庸な枠にはどうしたって収まりきらなかった。無理に収まろうとしては、その心が壊れそうに揺れて、たまにひび割れてしまう。……でも彼女は、そのたびに丁寧に、丁寧に継ぎ合わせようとするんだ。何度も何度も、たったひとりでね。……その、あまりに不器用でひたむきな姿が、僕には――たまらなく……」


 魔帝に対し誇示するがごとく、「僕だけが、真に彼女を理解できるのだ」と、当てつけのように、ヘルミスは熱っぽく語った。

 

 セレスは、耐えがたいものを見る目で恩師を見遣り、鋭く遮った。


「先生――もう、やめてください」


 ヘルミスがハッとした瞬間、魔帝が低く、地の底を這うような笑い声を上げた。


「なるほど。貴公は結局、そのひび割れを眺めることしかできなかったわけだな」


 ヘルミスの眉が跳ねる。


 魔帝は、グラスを卓に置いた。

 その乾いた音が、広間に冷たく響く。


「――セレス」


 名を呼ばれただけで、その顎が、魔帝の視線に吸い寄せられるように上がった。魔帝は身を乗り出し、獲物の喉元を狙う獣のような目で、彼女を、そして絶望するヘルミスを射抜いた。


「俺なら、そのひび割れに俺の魔力を流し込み、二度と離れられぬよう焼き固めてやる」


 低く、地熱を帯びた声。


「過去の記憶など――俺がすべて、焼き尽くしてやろう」


 剥き出しの独占欲に、ヘルミスが顔を青ざめさせる。

 だが、セレスは魔帝の熱に呑まれることなく、冷たい視線をデザートへと戻した。


「お二人とも、お喋りが過ぎるわ。……焼き林檎が、冷めてしまう」


 その瞬間、ロカは戦慄した。

 この女は、自分を巡る二人の男の狂気を、最高の「スパイス」として味わっている。


 シナモンと甘い果実の香りが漂う中、セレスは平然と匙を動かし、魔帝は満足げに、そしてヘルミスは絶望に沈んだ顔で、その一口を見つめていた。

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