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爛れた心に口づけを。狂愛の魔帝と、殺せぬ魔女の物語。R15  作者: 島田まかろん三世


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零れる情愛

 メイドのイリヤの無言の先導で、セレスは冷厳な石造りの廊下を進んでいた。

 通されたのは、魔帝の居城の一階。重厚な黒檀の扉で閉ざされた書庫だった。


「こちらです。……陛下からの『贈り物』でございます」


 イリヤは扉を開けると、感情の一片すら見せずに頭を垂れた。

 セレスは期待と、それ以上の警戒を胸に、ゆっくりと書棚へと歩み寄った。だが、最初に視界に飛び込んできたタイトルの数々に、セレスは冷ややかな失笑を禁じ得なかった。


『ものを早く腐らせる魔術』

『他人を誘惑する魔術――魔性の微笑み編』

『ペットの飼い方・初級篇』


 並んでいるのは、街の露店で叩き売られているような、稚拙な入門書ばかり。

 セレスは本をパタンと閉じ、しばらくの間、無言で立ち尽くした。


 これが、「贈り物」?


 魔帝の意図が掴めない。「気味が悪い」と、セレスは呟いた。


 ◇


 その頃、ネクレイア魔帝国の謁見の間には、場にそぐわぬ「清廉な空気」が満ちていた。そこに跪いていたのは、銀灰色の髪を持つハイエルフ、ファウロス・ヘルミス。母国より遣わされた「理論魔術学の権威」である彼は、今、石畳に染み出す瘴気にその膝を汚していた。


 彼が握りしめているのは、単なる親善の書状ではない。

 ハイエルフ王家が秘蔵していた、「かつての停戦時に魔帝が誓った血の約定」。

 その一回限りの行使権を、彼は一個人の独断で持ち出し、自らの寿命を対価に関門を突破してきたのだ。


 玉座に深く沈んだ魔帝ヴェルは、跪くハイエルフを「検品」するように見下ろした。


「セレスティアの知り合いというのは――お前か」


 魔族の皇帝、ヴェラルク=ザハ・ヴェルグの声は、酷く冷ややかに響く。


「――で?」


 その()()な態度。


()の教え子に、会わせていただきたい」


 魔帝は口角を上げて、跪くハイエルフを見下ろした。


「教え子か……まあ、そうか。だが――俺のセレスに会いに来たのが、男だという事実が、気に喰わない」


 ヘルミスは頭を垂れたまま、理性を怒りで塗り潰されそうになるのを堪えていた。

 魔帝の口から出た「俺のセレス」という言葉。それがヘルミスの心臓を逆撫でする。


(『俺のセレス』? こいつはなにを言っているんだ――)


 煮えたぎる独占欲を「理性」という名の薄氷で覆い隠しながら、ヘルミスは心の中で、誰にも譲らぬ執着を反芻する。


(あの子は、『僕のセレスだ』)


 その心中を見透かしてか、魔帝は愉悦の笑みを深めた。


「いいだろう。会わせてやる」


 そう言って立ち上がった魔帝を、側近のロカが制した。


「陛下、もしや――直々に、あの者を案内なさるおつもりですか?」


「だめか? セレスに会いに行く()()()だ」


「何のついででしょうか、陛下。配下の一役人に会うために、公務を放棄なさるおつもりですか。……ご心配なら、自分が行きます」


 魔帝は片眉を上げた。側近とは長年、死線を共にしてきた仲なのだろう。交わされる言葉は短くとも、互いの意図は正確に、そして痛烈に通じ合っているようだった。


「わかった」


 魔帝は、ゆっくりと玉座へと腰を戻した。

 その仕草の中に、ほんの僅かな未練を残しながら。


 ◇


 書庫の扉が開き、ロカが入ってきた。


「――ああ、ロカ。いいところに……」


 言いかけたセレスの動きが、止まる。

 ロカの背後から現れた、冬の月光を思わせる長身の影。眼鏡の奥に潜む、深く、静謐なエメラルドの眼差し。


「……先生?」


 呼びかけるより早く、ヘルミスはセレスに歩み寄った。

 理性も、矜持も、すべてを置き去りにして。


 抱き寄せられた瞬間、セレスの思考が一瞬、空白になる。

 懐かしい香り。かつての安息。もう戻れない場所。


「無事だった……! セレスティア!」


 震える声。


 だが、次の瞬間、セレスは彼の胸を押し返した。


「――どうして来たんですか」


 冷たい声。

 自分でも驚くほどに。


「この国が、どれほど危険か……あなたが一番、わかっているはずでしょう」


 ヘルミスは力なく唇を綻ばせた。その肌は、禁忌の手段でここまで来た代償か、不自然なほど青白い。


「きみを迎えに来たんだ。……相談もなしに、こんな地獄へ来るなんて」


 セレスの目元が翳る。その口元に、暗い笑みが浮かぶ。ヘルミスを見上げ、首を傾げた。


「相談したところで、何が変わったでしょうか」


 セレスの突き放すような言葉に、ヘルミスは愕然と顔を歪める。


「きみは――きみは僕を」


 ヘルミスは再びセレスを強く引き寄せた。頬が触れ合うほどの距離で、叫びにも似た掠れた声で囁く。


「……なんだと思ってるんだ――!」


 ヘルミスは、セレスの痛みに追いつけなかったのだ。

 それは、救済の淵に間に合わなかった自分自身への、身を焦がすような悔恨だった。


 部屋の隅でそれを見守るロカの指が、剣の柄に深く食い込む。

 帝国の書庫。静寂の中で、三人の歪な感情が、音を立てて絡み合っていた。

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