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8/11

日々

 翌朝、薄暗い光が共同部屋の壁を這う頃、扉を叩く音がした。

 ウルメスが身を起こすより早く、扉が開く。顔を出したのはロトロトだった。いつもの軽い笑みは、ほんの少し影を落としている。

「よー、起きてるか?」

 部屋の中を一瞥し、ロトロトは小さく息を吐いた。

「まぁ、無理もねぇか。昨日はきつかったろ。お前たち若そうに見えるしな。何歳だ?お前ら」

「俺は十七です。ミラも同じ歳です」

「そうか、そりゃ衝撃的だよな。慣れろ、それしかない」

「……はい」

 ミラは寝台に腰掛けたまま、俯いている。目の腫れを隠すように、髪が頬に落ちていた。

 ロトロトは話を切り出す。

「本題だ。ウルメス、お前、戦闘部隊に入れ」

 あまりにも唐突な言葉だった。ミラが息を呑む音が、やけに大きく聞こえた。

「……戦闘部隊、ですか」

 ウルメスは静かに聞き返した。それを見て、ロトロトは小さく頷く。

「大将の判断だ」

 ウルメスは諦観した気持ちで俯いた。

 また俺は、人を殺さなくちゃならないのか……

「訓練場に行く、今からだ。訓練場は拠点の北側にある。ここを出て左だ。次、ミラ」

 ミラは力なくロトロトへ顔を向ける。

「お前は畑だ。水管理と作物の世話な。やった事あるか?畑仕事」

 ミラは虚ろな目で答える。

「はい」

「それはよかった。最初から動ける奴が入ってくれるのは助かる。ミラはここを出たら右な。行けば分かる。皆んな歓迎してくれると思うぞ」

 ミラは小さく頷いた。

「二人ともその服装のままでいいから支度したら行け。あとは担当の人間がお前たちの面倒を見てくれる、外で待ってる、それじゃあな」

 ロトロトは踵を返しかけた。

「ちょっと」

 ウルメスがロトロトを引き止める。ロトロトは眉を上げた。

「なんだ?」

 ウルメスは深々と頭を下げて礼をした

「色々と教えてくださり、ありがとうございます」

 ロトロトは照れ隠しのように鼻の頭を掻き、軽く手を振る。

「良いってことよ」

 ロトロトは最後にミラへと視線をやる。だが、声はかけず、ただ一度だけ頷くと、そのまま通路の向こうへ消えていった。

「ごめんね、ウルメス。こんなんじゃ駄目だよね、私。もっとしっかりしなきゃ」

 ミラの声は小さく、どこか自分に言い聞かせるようだった。俯いたまま、指先を強く握りしめている。

「……ゆっくりでいいよ、ミラ」

ウルメスは、間を置いてからそう言った。言葉を選ぶように、一つひとつ確かめるように。

「大切な人を亡くしたんだ。そんな簡単に、元通りになれるはずがない」

 ミラが、わずかに顔を上げる。

 「傷が癒えるには、時間がかかる。その間は……俺がいるから、そばに」

 一瞬、言葉に詰まってから、付け足す。

「俺でよければ、だけど……」

 控えめで、不器用で、どこか臆病なその言い方が、ミラには少しだけおかしくて、同時にどうしようもなく愛おしかった。

 胸の奥が、じんわりと温かくなる。

「……ありがとう、ウルメス」

「支度して、行こうか」

「うん」

二人は並んで歩き出す。まだ重たいものを胸に抱えたまま、それでも同じ方向へ。

 ウルメスは訓練場に着いた。広大な砂地に、いくつもの訓練区画が無造作に並んでいる。

 銃声や、剣と剣が擦れる高い音が空気を裂く。ロトロトに連れられ、兵士達が組み手を行っている区画に到着した。そこには数十名の兵士と、それを眺めるリーガンの姿があった。

 リーガンを見て、憎しみが湧き上がる。ウルメスの顔から朗らかさが消える。

 リーガンが口を開いた。

「ウルメス、昨晩は眠れたか?」

「ええ」

「そうか、それは良かった」

 次に、リーガンはその巨大な手を何度か叩き、声を張った。

「皆、聞いてくれ!新しい仲間を紹介する!」

 リーガンはウルメスの方へと手を向けた。

「ウルメスだ!仲良くしてやってくれ!よろしく頼む!」

 すると、兵士達は一斉に、

「了解、大将」

 と言った。

 兵士達がウルメスの周りに集まる。一人の青年がウルメスに話しかけてきた。身長はウルメスと同じくらいで、紺色の、癖毛が目立つ短髪の髪型をしている。瞳は透き通るようなサファイア色をしている。

「やあ、ウルメス。俺はダリア。所属はもう決まっているのかい?」

「まだ何も聞いてないです」

「なんだよウルメス、タメで良いって」

 そう言ってダリアはウルメスの肩を手の甲で軽く叩いた。

 リーガンが横から付け足す。

「ダリア、お前達と同じ部隊だ」

 ダリアは嬉しそうに笑みを浮かべた。

「おー!入隊早々に俺たちと同じ部隊か。元々イェナの軍にいたとか?」

 ダリアの隣にいた男が話を遮る。

「俺たちの部隊に?いきなり?そんなに戦えそうには見えませんがねぇ、大将」

 身長は百九十はある高身長で、ショッキングピンクの長髪に紫紺色の瞳が目立つ。リーガンが答える。

「カイザー、お前の言いたい事も分かる。だが、訓練こそしていないが、素質はある。ウルメス、赤熱化してみろ」

 男の名はカイザーと言った。

 リーガンに言われた言葉の意味が、ウルメスは分からなかった。

「赤熱化、ですか?」

「そうだ、こうする」

 そう言って、リーガンはゆっくりと右腕を前に出す。次の瞬間、皮膚の下を流れるように金属光沢が浮かび上がった。骨格に沿って、筋肉が盛り上がり、腕全体が鈍い鋼色へと変質していった。

 深く息を吸い込み、ブォンッと鈍い音。

 同時に、空気が揺れた。

「……!」

 ウルメスは思わず目を見開く。リーガンの心臓が、強く、荒々しく燃焼を始めたのが分かった。脈動が外へ漏れ出し、鋼鉄化した右腕へと熱が流れ込んでいく。次の瞬間、リーガンの腕が赤黄色く染まった。

鋼は赤熱し、まるで炉から引き抜いたばかりの鉄塊のように、揺らめく熱気を放っている。

 桁違いだった。心臓の燃焼音と、爆風とも思える熱風。ウルメスはリーガンが只者ではない事を分かっていたつもりだった。だが、それはつもりに過ぎなかったようだ。リーガンという人間は明らかに、到達点まで来ている、ウルメスはそう思った。

「これが赤熱化だ。鋼鉄化した部位に、心臓の燃焼を流し込む。やってみろ」

「分かりました」

 (確かに何度か成功させた事はあるけど、どれも怒りに任せての事だった。出来るのか……?今……)

 ウルメスは呼吸を整え、腕に意識を集中させた。そして、鋼鉄化。成功した。

 (ここからだ。ここからが本番だ)

 ウルメスは深く息を吸い込む。そして全力で心臓を燃焼させた。

 鈍い音を立てる心臓。ドクン、ドクンと脈打つたび、体内を流れる熱が腕へと集まっていくのが分かった。

 鋼鉄化した右腕の内側から、灼けるような感覚が広がる。

 ウルメスは奥歯を噛み締め、さらに心臓を燃やす。

 鋼鉄化した腕が、赤く、橙に染まり、表面から揺らめく熱気が立ち昇る。砂地に落ちた汗が、一瞬で蒸発した。

「おお……」

 周りに居た者が思わず息を漏らす。

「何の訓練も受けず赤熱化出来るなんて、凄いじゃないか!ウルメス!」

 ダリアが言った。続けて、ニヤついてカイザーが言う。

「なるほどねぇ、面白ぇじゃねぇか」

 リーガンはもう一度巨大な手を叩き、大声で言う。

「さ、お前達、訓練に戻れ!」

 皆は一斉に、

「了解、大将」

 と言った。

 後ろからウルメスを肩を叩く者が居た。ロトロトだった。にこやかに話しかけて来る。

「俺も同じ部隊だ。よろしくな、ウルメス。訓練は優しくねぇが、頑張ってついてこいよ」

「はい」

 ウルメスは真っ直ぐな目で答えた。

 ミラはウルメスと別れた後、農場へと向かっていた。拠点の喧騒から少し離れると、空気は驚くほど静かになる。足元の砂を踏む音がやけに大きく感じられた。

 胸の奥が、きゅっと縮む。

(大丈夫……大丈夫……)

 自分にそう言い聞かせながら、ミラは両手をぎゅっと握りしめる。ウルメスと別れた背中が、まだ視界に焼きついていた。

 もし、嫌われたら。もし、ここでも疎まれたら。

 そんな考えが、勝手に湧き上がっては胸を締め付ける。農場は想像していたよりも広かった。乾いた大地に溝が掘られ、簡素な水路が張り巡らされている。ところどころに芽吹いた作物が、必死に根を張っていた。

 そこには、数人の女性と年配の男がいた。皆、日焼けした肌に無骨な作業着をまとい、黙々と手を動かしている。多分、もっと人数は多いけれど、今日のところはこの人数、といったところだろうか。

ミラは一歩、足を踏み出す。

「あの……」

 声が思った以上に小さく、掠れてしまう。

 近くにいた女性が顔を上げた。

年はミラより少し上だろうか。鋭い目つきをしているが、ミラを見る眼差しは柔らかかった。

「聞いてるよ。今日から?」

 慣れた口調でミラに質問する。鋭く、凛としたその顔からは想像もつかない、包みこむような可憐さを持った声だ。

「……はい。今日から、畑を……」

 するとその女性は手を差し出して自己紹介をした。

「私、アルル。あんたは?」

「えっと、ミラです」

「ミラね、よろしく」

 ミラは恐る恐るといった様子でアルルの手を握った。すると力強く握り返され、少し驚いてしまったが、その握手でアルルの人柄が少し分かったような気がした。

 その後、ミラは早速仕事を教え込まれた。

 マラーが地区外でも生活圏を形成している理由は水源にあった。ここは何百人もの人間が食っていけるだけの作物を育てる豊富な水源があった。砂漠の奇跡、そう言うしかないと思えるほど、ここは環境に恵まれていた。

 水源の周囲には段々畑が築かれ、麦、根菜、豆、乾燥に強い果樹が植えられている。土は黒く、踏みしめると柔らかい。砂漠の只中とは思えないほど、生命の匂いがあった。

「じゃあ、まずは水路からだ。ここは水が命だからね。見て覚えるより、やって覚えた方が早い」

「は、はい……」

 ミラは少し緊張したまま、アルルの後を追った。

「水門は朝と夕方に調整する。出し過ぎると根が腐るし、少なすぎると育たない。ほら、ここ」

 アルルはしゃがみ込み、手際よく水門を少しだけ動かす。

「触ってみな。怖くない」

 ミラは恐る恐る手を伸ばし、冷たい水に指先を浸した。ひやりとした感触に、思わず小さく息を呑む。

  他の畑では、何人かの女性や老人が黙々と作業をしていた。だが、誰もミラを咎めるような目で見なかった。むしろ、

「新入りかい?無理しないでね」

「手が痛くなったら言いな」

 そんな声が、ぽつりぽつりとかけられる。胸の奥に張りついていた不安が、少しずつ溶けていくのを、ミラ自身が感じていた。

 日が傾く頃には、土に汚れた手にも、体の疲れにも、不思議と嫌悪感はなかった。

「今日はここまでだね」

 アルルが立ち上がり、伸びをする。

「初日としては上出来だよ。顔、最初より柔らかくなってる」

「……ありがとうございます」

 ミラは、ほんの少しだけ微笑んだ。

 夕暮れの道を戻り、宿舎へ向かう。砂の色が赤く染まり、遠くで鍛造場の金属音が鈍く響いていた。

 宿舎の前で、ウルメスの姿を見つけた瞬間、ミラの胸がきゅっと締まる。

「ウルメス……」

「ミラ」

 ウルメスが続ける。

「どうだった?」

「大丈夫、皆優しかったよ」

 ミラは小さく微笑んで答える。

「そっか、よかった」

 ウルメスは深く息を吐きながら胸を撫で下ろした。張り詰めていたものが、ようやく解けたようだった。

 ミラが聞き返す。

「ウルメスは?」

「俺も大丈夫、皆んな快く受け入れてくれたよ」

 そう言いながらも、訓練で酷使した腕を無意識に押さえているのを、ミラは見逃さなかった。

ウルメスがにこやかな表情で項垂れてみせ、

「今日はもうクタクタだよ。水浴び場があるらしいんだ、ロトロトさんから聞いた、行こ?大丈夫。もちろん男女分けられているからさ」

「そうだね、私も今日沢山汗かいたから水浴びしたいな」

 二人は一度宿舎に帰り、着替えを持ち、水浴びに行った。水浴びを終えた二人は、水浴び場の出口で待ち合わせをして、二人で帰った。月明かりが綺麗な夜道を二人で歩いた。

 部屋に入ったミラは唐突にウルメスの腕を掴んで、まじまじと眺めるように見た。

 いきなり腕を掴まれたものだから、ウルメスは驚いて尋ねた。

「ど、どうしたの、ミラ」

「あ、ごめん、ウルメス。でも、怪我してるでしょ?私が手当してあげるね。待ってて、道具持って来るから」

「これくらい平気だよ、ミラ」

「私が、嫌だから」

 ミラのその言葉はどこか暗い表情を孕んでいた。後ろめたい事があるようにも思えた。

 ミラは小さな鞄を抱えて戻ってきた。中から布と消毒用の薬草を取り出し、慣れた手つきで準備を始める。

「ほら、動かさないで」

「は、はい……」

 ウルメスは言われるがまま、寝台の縁に腰掛けた。ミラはすぐそばに膝をつき、彼の腕をそっと取る。指先が触れた瞬間、びくりと体が強張った。

「かなり深い切り傷だよ……痛む?」

「い、いや。全然……」

 嘘だった。痛みよりも、距離の近さの方がどうしようもなく意識に上っていた。

 ミラは気づかない。ただ真剣な表情で、傷口を確かめ、布で血を拭い、薬を塗る。

 手当されている最中、自分の腕に触れるミラの手に、ウルメスは変に緊張してしまった。

 (二人で抱きよって寝た事もある。だけど、それは感情的になっていたから出来た事で、冷静な時に触れられるとどうも……)

 手当が終わった。

「ありがとう、ミラ」

「うん」

 ミラは顔を上げ、少しだけ困ったように微笑んだ。

「私に出来るの、これくらいだから……」

 ミラのその言葉を聞いた瞬間、ウルメスは妹のフィリアを思い出した。よくその言葉を口にしていた。

 ウルメスは立ち上がり、必死そうに、訴えかけるように言った。

「そんな事ないよ、ミラ」

 近い。体の距離が近かった。ミラは少し動揺し、顔を赤らめた。ウルメスの美しい顔立ちが目立って目に入ってくる。

「そう……かな」

 顔を赤らめるミラを見て、ふとウルメスは我に返った。距離が近い事を今更になり意識する。

「ご、ごめん、近かったね。もう、寝ようか」

「そうだね」

 二人は寝台に寝転んだ。少しして、ミラがウルメスに声をかけた。

「ねぇ、ウルメス、起きてる?」

「起きてるよ」

「今日、何したの?」

「今日は組み手をしたかなぁ。皆、やっぱり強かった。他にも訓練の種類としては、剣術とか、馬術とか色々あったよ」

「何かあったら、言ってね。怪我とか、不安な事とか」

「ありがとうミラ。ミラは?今日どんな事したの?」

「水量の調整と、水路の掃除と、苗の植え替えをしたよ」

「初日だから疲れたんじゃない?」

「うん、でも、不思議と嫌って感覚はないんだ」

「それは良いね」

「話せて良かった。明日も頑張ろうね、ウルメス。お休み」

「うん、お休み」

 一時間が経った時分、ミラは起き上がり、ウルメスの寝台に腰掛けた。

「ウルメス?」

 声をかけられて起きるウルメス。

「どうしたの?ミラ」

「ごめんなさい、今日は……一緒に、横で寝て良い?胸がザワザワするの。眠れないの」

「あ、ああ。分かった。大丈夫かい?」

「ごめんね」

 そう言ってミラはウルメスの布団に入った。

「いいさ、これくらい」

「ねぇ、ウルメス、手を握ってくれる?」

「うん」

 ウルメスはミラの手を握った。その手は異常に冷たく、震えていた。優しく、温めるようにそっと手で包む。

「俺が居るから」

「ありがとう」

 数日後。

 訓練の休憩中、ダリアは井戸の水を飲んでいた。他の兵士やロトロトとダリアはまだ近接戦闘の訓練を行っている。ウルメスも井戸へと向かう。

 ウルメスがダリアに言う。

「お疲れ、ダリア」

「お疲れ様」

「皆、毎日本当に真剣だ。きっと何か戦う理由があるんだろうな」

「そうさ、皆あの腐り切ったイェナを変えたいんだよ。ここに流れ着いた人のほとんどがイェナに恨みを持ってる。カイザーは弟を失っているし、ロトロトさんは奥さんを奪われた。この僕だって……」

 ダリアは言いかけて、言葉を切った。井戸の縁に肘をついたまま、しばらく水面を見つめる。

 ウルメスは何も言わなかった。無理に続きを促す気にもなれなかった。

 ただ、隣に立ち、同じように井戸を覗き込む。水面に映る空は青く、あまりにも穏やかだった。

「僕はイェナを憎んでる。でも、それだけじゃ足りないんだ」

「足りない?」

「憎しみだけでは国は変わらない。変えなきゃいけないのは仕組みなんだ。イェナは人を使い捨てる。力のない者を踏み潰す。それを正しいと教え、疑う者を殺す。だから僕たちは拳を握るんだ。搾取されないために、尊厳を奪われないために。ウルメスもそうなんだろ?」

「ああ。俺には、守りたい人がいる」

「だったら絶対に成功させよう。僕たちの革命を」

「ああ」

 ウルメスの返事には濁りが見えた。

 (そうだ。みんな、自分の信念のために、イェナと戦うんだ。だが、革命で奪われる無関係の命もある。母さんやフィリアのように……)

 ウルメスはダリアの言葉を理解できた。だが、理解できただけで、賛同はできなかった。ウルメスはダリアが、革命により奪われる命の尊さを理解していないように見えたからだった。

 それでもウルメスはマラーで生きていくしかない。いずれ人を殺すことになるだろう。沢山の罪を背負う事になるだろう。

(その罪を背負って、俺は真っ直ぐ立っていられるのだろうか)

 太陽は高く、容赦なく照りつけていた。まるで、この地で生まれるすべての罪を、等しく見下ろすかのように。

 ウルメスは静かに息を吐き、再び前を向いた。逃げる場所は、もうない。だからこそ、それでも前に進むしかなかった。

 三ヶ月後。

 訓練を続けていったウルメスは右肩上がりに、人を殺す技術を高めていった。

 組み手では、相手の重心が手に取るように分かる。

 一歩踏み込めば、殺せる距離。一瞬躊躇すれば、殺される距離。それが今では手に取るように分かる。

 銃を握れば、引き金に指をかけるまでの迷いが消えていく。照準、呼吸、反動。すべてが身体に染み込み、思考を必要としなくなっていた。

 馬上でも同じだった。揺れる視界の中で、標的を捉える。心臓を燃焼させ、鋼鉄化した脚で鞍を締める。落ちない。恐れない。振り落とされない。

 戦うための身体が、完成に近づいて行った。

 ウルメスは類稀なる運動神経の持ち主だった。やってみろ、と言われたら、説明されずともそれが出来た。まさに戦闘の天才であった。

(この手で、どれだけの命を奪うことになるだろう)

 ふと、そんな考えが胸をよぎる。それでもウルメスは剣を握り直した。止まることは許されない。ここで立ち止まれば、守れない。

(ミラを……)

 その名を心の中で呼ぶだけで、身体に再び力が入る。何のために戦うのか。何のために生きるのか。ウルメスの中でその理由が明白になっていく。自分を繋ぎ止める存在を守るため、その理由を明白にしていく。

 訓練を終えたウルメスは宿舎に帰る。もうすっかり夜になっていて、肌寒い空気が頬を撫でる。

 部屋の扉を開けると、ミラが寝台に座っていた。手に何か持っている。ウルメスに気づくと、嬉しそうな顔をして近寄って来た。

「ウルメス、これ見て」

 そう言ってミラが差し出したのはいつの日か見た、白色に光る一つの蝋燭だった。

「ルシュタルトの祷の!」

「そうだよ、アルルがずっと持っていた物をくれたんだ」

「凄いな、もう一生お目にかかれない物だと思ってたよ」

「灯を全部消してさ、これだけつけたら綺麗なんじゃないかな」

「良いね、そうしよう」

 二人は部屋の灯りの蝋燭を消した。ウルメスが譲り、ミラが蝋燭に火をつけた。父と母の名前を呼びながら。

 二人は肩を寄せ合って、床に置いた小さな蝋燭を眺めた。

 ミラがその光にうっとりとしながら、優しく囁いた。

「綺麗だね」

 ウルメスもそれに答える。

「うん、綺麗だ」

「思い出すね、一緒にお団子を食べた事、祷火珠が一緒に落ちた事。どれも昨日の事のように感じられるよ」

「そうだね」

「あの頃はまだ私たち、まだ敬語で話してたよね、笑っちゃう」

「そうそう、二人とも変にかしこまってた」

「もう一度行きたいなぁ、ルシュタルトの祷」

「……」

 でも、もう行けない。その言葉が聞こえてきたような気がした。ミラはウルメスの腕の裾をギュッと握りしめた。それを感じたウルメスはどうにかして彼女を励ましたいと思った。

「行こうよ、また」

「でも……」

「行こう、ルシュタルトの祷。俺が君を連れていくよ。約束だ。俺が絶対に連れていく」

 ミラは少しの間、揺らぐ光に照らされるウルメスの横顔を見ていた。ウルメスは光を見つめている。真っ直ぐな瞳で。ウルメスの気持ちが嬉しくて、そんなの出来っこない事なんて今はどうでも良かった。少し微笑んで、ミラは言った。

「約束だよ」

「ああ、約束だ」

 ミラはウルメスの肩に頭をピッタリとつけて、再び蝋燭を眺めた。

「ミラ、ミラの事、俺に教えてくれるかい?」

「うん」

 その後ウルメスは、ミラの家系の事についてや、自身の生い立ちについて話をした。

 イーリオス人とは、何百年も前、この世界を支配していた人種だったそうだ。だが、ロートヒッツェ人が台頭し、イーリオス人を殲滅していった。追い詰められたイーリオス人はロートヒッツェ人を道連れにするため、この世界を砂漠にしたという。イーリオス人は太陽の欠片という鉱石の力により、魔法のような力を使えたそうだ。地区外に逃げる時、ミラが使った力がそれだろう。歴史や、イーリオス人の力について他にも聞いたけれど、ミラはそれ以上知らなかった。

 ミラは代々地区内で隠れるようにして生きてきたのだと言った。母親が居ないのは、ミラが小さい時に攫われたからだという。それ以来ゲルシュさんと二人で懸命に働きながら生活をしていたのだと言った。

 ふと、ウルメスはミラと最初に出会った時の事を思い出した。

「ねぇ、ミラ。俺がフィリアを担いでミラの家に辿り着いた時、ミラは嫌な顔一つせず迎え入れてくれたよね。その後も、眠れない夜に話を聞いてくれたり、どうして見ず知らずの俺に、あんなに優しくしてくれたの?」

「どうして?んー。どうしてだろう。多分、困っている人を見たら、私、助けたい!って思うからかな」

 ふふっとウルメスは微笑んだ。

「ミラらしい、優しいね」

「そんな事ないよ、当たり前の事をしただけだよ」

「そうだね、当たり前の事、だね」

 ウルメスは時折、ミラを顔を見て、胸が締めつけられる程、ミラの事を愛しく思った。

 (こんな時間が、この先も永遠に続けば良いのに)

 そしてその気持ちが導く導線の先には、

 この人を守りたい

 この人と生きたい

 そんな思いが湧き起こる。

 数週間後。

 その夜は、静かに冷えていた。昼間の熱を失った砂地から、ゆっくりと温度が抜けていく。遠くではマラーの灯りが点々と揺れ、風に運ばれて焚き火の匂いがかすかに届く。

 マラー領地の外れ、小高い岩場に二人は腰を下ろしていた。視界を遮るものはなく、空はどこまでも広い。

「ねぇ、ウルメス、見て」

 ミラが小さく息を弾ませて空を指差した。指差す先で、白い尾を引いた光が夜空を裂いた。遅れて、また一つ、さらにもう一つ。

「流れ星だ……こんなに沢山……」

 ウルメスが呆然と呟くより早く、ミラは立ち上がっていた。

「すごい、すごいよウルメス!私こんなの初めて!」

 裾を踏みそうになりながら、くるりとその場で回る。夜空を仰ぐ顔は、まるで子供のようだった。

「ほら、あっちも!あ、今度は二つ同時!」

「落ち着いて、ミラ。転ぶよ」

「だってウルメス、流れ星ってすっごく珍しいんだよ?!滅多にお目にかかれないんだよ?それをこんなに……、これは興奮せずにはいられないでしょ?」

 そう言って笑うミラの声は、鈴のように軽かった。無邪気にはしゃぐミラ。そんなミラを見守るウルメス。

「ねぇ、願い事しなきゃ!早く!」

「こんな速さじゃ無理だよ」

「遅れてもいいから、一個だけ!一番大事なの!」

 そう言ってミラは、ぎゅっと目を閉じた。真剣そのものの横顔に、ウルメスは少し笑ってしまう。

「ミラ、何を願ったの?」

「言ったら叶わないでしょ?」

「……なんか、ずるい」

「いいから、ほら、ウルメスも」

 ミラはくるりと背を向け、また空を見上げる。

「はいはい」 

 ウルメスも空を仰ぎ、目を閉じる。

 ――何を願う?

 頭に浮かんだのは、戦争でも、未来でも、救いでもなかった。隣にいる温もり。

 今、この瞬間が続けばいいという、あまりにも身勝手で、ささやかな願い。

 目を開けると、ミラがこちらを見ていた。

「ちゃんと願った?」

「ああ」

「嘘じゃない?」

「嘘じゃないよ」

 そう言うと、ミラは満足そうに微笑んだ。そのまま二人並んで、仰向けになり、何も言わずに夜空を見続ける。流星は次第に数を減らし、やがて星だけが残った。

 流星はすでに夜空の奥へ溶けていき、残ったのは静かな星の瞬きだけだった。

 ウルメスは仰向けのまま、ゆっくりと息を吐く。

「ねぇ、ミラ」

「なに?」

「もしさ……もし俺が、どこか遠くに行くことになっても」

 ミラが少しだけ身じろぎする。ウルメスは、空を見たまま続けた。

「この空を見上げればいい。ほら、こんなにたくさん星があるだろ」

「……うん」

「俺はその中の一つになるだけだ。だから、寂しくならない」

 ミラはしばらく黙って夜空を見つめていた。

「でも、思い出して余計寂しくなっちゃうよ」

 ミラはウルメスの方を向き、少しだけ俯いて上目遣いをして言った。

「きっといる。絶対にいるから」

 ミラはその言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。

 そう言って、ウルメスはそっとミラの手を握る。

 ミラは少しだけ目を潤ませてから、いつもの調子で言った。

「じゃあ、星になってもサボらないでね」

「厳しいな」

 ウルメスは笑った。

「だって、一番光ってないと困るもん」

 二人は顔を見合わせて笑った。瞬く星々を二人で眺めた。

 夜空には、もう流星は流れない。けれど、そこにあった光は、確かに胸の奥に残っていた。

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