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蜂起

「嘘……だろ……」

 ウルメスの胸は激しく高鳴った。守らなければという焦燥が全身を貫く。

 足はすでに走り出していた。

「母さん!フィリア!今行く……!」

 武器庫襲撃は今日決行された。

 石畳の道に足を踏み入れた瞬間、熱気と喧騒が全身を打った。通りの両脇の家々から火の手が上がり、崩れ落ちた梁の間で人々が泣き叫んでいる。

「反乱軍だ!捕らえろ!」

「火を消せ!武器庫を守れ!」

 怒号が飛び交い、鋼鉄がぶつかる甲高い音が響き渡る。

黒煙が喉に絡み、視界は赤と黒に染められていた。

 ウルメスはただ、一直線に走った。

 炎に包まれた屋根が崩れ落ち、火花が降りかかる中を。腕で顔を覆いながら駆け抜ける。耳に飛び込むのは、助けを呼ぶ声ばかりであった。助けたいと思った。しかし、家には母とフィリアが居る。立ち止まる事はできなかった。

 焼け焦げた匂いと、悲鳴の渦の中を走り抜け、ようやく見慣れた路地へとたどり着く。

 角を曲がった先に、我が家の屋根が見えた。まだ炎には呑まれていない。

 ウルメスは全力で駆け寄った。そして扉を開け叫ぶ。

「母さん!フィリア!」

 家の中は暗く、窓の外から赤い炎の光だけが差し込んでいた。母ミリエとフィリアが怯えた目でこちらを見つめている。入ってきたのがウルメスだと気づくと、声を揃えて叫んだ。

「ウルメス!」

「よかった……!二人とも無事で……!」

「ウルメスこそ無事でよかった……」

 ミリエはウルメスを抱きしめて頬に涙を伝わせた。

 張り詰めた空気のなかウルメスが問う。

「母さん、フィリアの状態は?」

「朝から変わってない、でも逃げるしかない」

「そうだね、俺がフィリアを担いで逃げるよ。フィリア、ごめんな、揺れるだろうけど少しの辛抱だ」

「ごめんね、お兄ちゃん」

 ウルメスがフィリアを担ぐ。

「行こう!」

 と玄関の扉を開けようとした瞬間、その言葉が終わるより早く、

 ガシャァァァァンッ!!

 窓ガラスが粉々に砕け散り、血走った目の男が転がり込んできた。

「なんだ……!?」

 振り返る間もなく、今度は扉が轟音を立てて吹き飛び、鉄砲を持った兵士が入ってくる。

 吹き飛ばされるウルメスが尻もちをつく。すかさずフィリアに声をかける。

「大丈夫か?!フィリア」

「うん……大丈夫」

 辛そうにしている。熱が高いのだ。

「ウルメス!フィリア!」

 そう言ってミリエが二人に駆け寄る。

「逃すか……!反逆者め……」

「チッ!」

 兵士と反乱軍の二人は心臓を燃焼させた。ブォンと鈍く低い音が鳴り響き、筋肉に莫大なエネルギーを送り込む。体の周りには陽炎ができ、拳から肘にかけて黒く変色し、拳から手首にかけては高温になっているのか、赤熱化している。

 戦闘が始まる。

 互いの呼吸は荒く、狭い空間でぶつかり合う。兵士が鉄砲を撃つが、反乱軍の男はそれを阻止するように攻撃を浴びせる。

机が蹴り倒され、皿が床に散らばり、パンの欠片が踏み潰される。家族で笑っていた食卓が、一瞬で戦場に変わっていた。

兵士が体当たりで押し込み、反乱軍の男が椅子を掴んで叩きつける。

 ウルメスは二人を守るように抱きしめていた。

混沌の渦の中で、鉄と鉄がぶつかり合う鈍い響きだけが、家を震わせた。

 勝負は決した。

 兵士の撃った弾丸が、反乱軍の男の心臓を貫く。ドッと音を立てて崩れ落ちる男。辺りに血が溢れる。

 呆然としていたウルメスだが、我を取り戻し、フィリアを側に座らせ、すぐに兵士に声をかける。

「兵士の方、どうか俺たちを安全なところまで護衛してはもらえないでしょうか?」

「黙れ!」

「え……?」

 兵士はウルメスに銃を向けた。

「騙そうとしても無駄だぞ、反逆者……!こいつを匿うために家に入れたのだろう?!」

 兵士は死んだ反乱軍の男を指差す。

「違う!俺たちはなんの関係もないんだ!本当だ!信じてくれ!」

「そうやって何人殺したんだ!俺の仲間を……!」

 引き金を引く兵士。

 その瞬間、ミリエがウルメスの前に身を投げうった。

 撃たれたのは、ミリエだった。ミリエの胸を弾丸が貫通する。ミリエが身代わりになったことによって弾丸の軌道がそれて、ウルメスには当たらず、後ろの壁にめり込む。ウルメスの頬と石壁が赤く染まる。

 糸の切れた人形のように床に崩れ落ちるミリエ。

「母さんっ!」

 喉が張り裂ける程強く叫んだ。

 ウルメスは膝をつき、その体を抱きとめた。血の温かさが腕を伝う。だが、その温もりは、無情にも刻一刻と失われていく。

「お母さん!」

 フィリアが弱い声で叫ぶ。

 床に血がじわじわと広がり、赤黒い湖のように木板を濡らしていく。

 ミリエが掠れた声を振り絞る。

「ごめんね、ウルメス、フィリア。もっと……いい暮らし、させて……あげたかった……」

「母さん!嫌だ!死なないでくれ!嫌だ……そんな……嫌だ!母さんっ!」

 血のついた手で、優しくウルメスの頬に触れ、

「ウルメス、フィリア、愛してる……」

 そう言い残して、ミリエの手は力なくウルメスの頬から離れていく。

 ウルメスは悔しそうに、やるせなく俯き、

「母さん……母さんッ……!」

 と叫んだ。フィリアもミリエに手を伸ばす。

「お母さん!いやぁ!」

 兵士がその光景を見て、当惑する。

「まさか、お前たちは本当に……」

 ウルメスの中で何かが弾けた。

 ドクン――!

 心臓が爆ぜるように鳴り、血潮が灼熱の奔流となって全身を駆け巡る。皮膚の下で金属細胞がうねり、赤熱化した拳が灯火のように輝いた。

「貴様ァアアアアア!!」

 床を蹴った瞬間、木の板が砕け散る。次の瞬間には、兵士の眼前に迫っていた。

「何?!」

 ウルメスの拳が兵士の顔面を叩き砕いた。爆ぜるような衝撃音と共に、火花と血飛沫が飛び散る。

 壁に叩きつけられた兵士の首は不自然に折れ曲がり、二度と動くことはなかった。

 ウルメスの胸は荒々しく上下し、瞳は炎に照らされて紅く燃えていた。

 ウルメスは荒い息を吐きながら、目の前の光景を見下ろした。血に濡れ、ぐしゃりと潰れた顔。二度と動かない人間の肉塊。

 我に帰る。

「ああ……なんてことを……してしまったんだ、俺は」

「お兄ちゃん……」

 震える声が耳に届いた。振り返れば、フィリアがそこにいた。小さな両手で母の亡骸を抱きしめ、涙で濡れた瞳がウルメスを見上げている。

 ウルメスは奥歯を噛みしめ、頭を振った。

「ああ……俺が嘆いてどうする……!」

 今はフィリアを助ける事が大切なんだ……!

 立ち上がりフィリアの元へ歩み寄る。

「フィリア、行こう」

「お兄ちゃん、でも……。お母さんをここに置いて行くの?」

「俺だって嫌だよ……でも、このままじゃ危ないんだ、行かなきゃ」

「嫌だ、嫌だよ、お兄ちゃん、お母さんを置いていけない……」

「ごめん、フィリア……!」

 フィリアを抱き抱えるその瞳は涙でいっぱいになっていた。無理矢理にフィリアを連れて行く。

 ごめん、ごめんな、フィリア……

「お母さん、お母さん!」

 母さん……!

 横たわるミリエに届かない手を伸ばし続けるフィリア。

 家の外に出たウルメスは家の周囲は既に炎に包まれていることを確認した。

 いずれ自分の家も焼かれるだろう。早くこの街を出て、街外れまで行くんだ。そこに住んでいる人にフィリアの体調が回復する間だけでも泊めさせてもらえれば……そうすれば隣街まで行けるかもしれない。隣街の修道院に行けば助かるかも……。

 もう、そんな微かな希望に全てを託すしかなかった。だが、隣街までは何キロメートルあるか分からなかった。

 だが長距離の移動でフィリアの体調がもつかどうか……そうだ、そんなの無謀だ。この熱暑の中をフィリアが耐えられるはずがない。ましては水も無いんだ。でも、それ以外にフィリアを守る方法なんて……。やるしか、ないのか。

 炎は夜空を赤く染め、黒煙が喉を焼いた。ウルメスは背にフィリアを背負い、燃え盛る家々の間を縫うように走った。泣き叫ぶ声、兵士の怒号、崩れ落ちる屋根の轟音。すべてを振り払うように足を動かす。

「大丈夫だフィリア。俺がいる。俺が絶対に守ってやる……!お前だけは絶対に……!」

 息が切れても、声を途切れさせなかった。

フィリアに聞かせるためでもあり、そして自分を奮い立たせるためでもあった。

 ――そして遂に、ウルメスは街を抜けた。

 夜の砂漠の冷たい風が頬を打ち、燃え盛る街を背後に残す。

 街外れの灯りを目指し、ウルメスはようやく人の気配を見つけた。

 藁葺きの屋根から淡い灯りが漏れる家を見つけ、ウルメスは駆け寄った。ドアをノックする。

 軋む音を立ててドアがわずかに開いた。隙間から顔を覗かせたのは、粗末な上着をまとった中年の男だった。

「なんですか?」

 訝しげな目が、背に背負われたフィリアをとらえる。背にフィリアを負ったまま、ウルメスは膝を折って頭を下げた。

「一晩だけでいいんです、妹だけでも、どうか泊めてくれませんか?妹が……弱っていて……」

 縋るしかなかった。もう、自分にできる事は頭下げる事だけだった。

 男は唇を固く結び、しばらく言葉を失っていた。

 だが、男はウルメスにこの世の残酷を突きつける。

「無理だ……」

「え……」

「私たちも食い扶持が足りてないんだ。それに、誰かを入れれば、軍に疑われる。俺たちまで死ぬんだ……。だから……すまない……」

 ドアの向こう側にちらりと子供と妻がいるのが見えた。

 ウルメスは理解していた。下層民に見ず知らずの他人を養うほどの余裕を持った人間はいないのだと。それでも、ドアを叩かずにはいられなかった。

「そうですか……」

 ドアは軋みながら閉まった。

 ウルメスは下を俯いたままだった。行き場を失ったウルメスは、ただ砂漠を歩き始めた。その瞳には涙が滲んでいた。ウルメスは静かに泣いていた。

「お兄……ちゃん?」

 弱ったフィリアの声が静寂を切る。優しく返事を返す。涙は止まらない。

「どうした?フィリア」

「泣いてるの……?」

「泣いてないよ」

「何が……あったの?」

 気絶していたのか、フィリアは状況が飲み込めていない。

「なんでもないよ、あともう少しで修道院に着くよ。きっと水もベッドもある。俺たち助かるんだ」

「そう……それは……よか……った」

「フィリア?」

「……」

「フィリア!」

 フィリアは返事をしなくなった。母親の死のショックにより、病状がさらに悪化していた。ウルメスはフィリアの額に手をやる。

「熱い……。フィリア……お願いだよ、行かないで、行かないでくれ……ああ、神様……」

 ウルメスは歯を食いしばり、闇雲に走り出した。もうそれしか出来なかった。月明かりだけが頼りの砂漠を走り続ける。

 夜空の月は無情に彼を照らす。その光の下を、ウルメスは影のように駆けていた。

背中のフィリアはぐったりと重く、その体温は今にも消えてしまいそうだった。

「……フィリア……耐えてくれ……」

自分の足音と荒い息遣いだけが、無限の闇に響いていた。

祈りも、涙も、もうとっくに乾いていた。

ただ背中の小さな命を失わないために、足を止めることはできなかった。

 やがて、空が白み始める。

東の地平から、金色の光が世界を切り裂くように昇ってきた。朝日が眩しい。だが、その輝きが皮肉にも胸を締めつける。

「……頼む、どこか……」

そのときだった。砂の向こうに、瓦屋根と白壁の小さな家が見えた。まるで蜃気楼のように、朝日に浮かび上がる。

ウルメスは喉の奥から声を絞り出した。

「……フィリアを……!」

ふらつく足を引きずり、全力でその家へ駆け寄った。

拳で扉を叩く。

ドンドンッ――。

「誰か……!妹が……!フィリアが……!」

その声は掠れていたが、必死さだけは確かに伝わる響きだった。

 扉を叩く音に反応して、少女の声が聞こえた。

「誰ですか?」

 ウルメスは声にならない声を上げる。

「妹が……!フィリアが死にそうなんだ……!助けてくれ……!妹だけでもいい……から……お願いだ……俺の一番大切な人なんだ……」

 次の瞬間、鍵の外れる音がするとともに、勢いよく扉が開いた。

 現れたのは、薄い桜色の髪の美しい少女だった。髪は肩まで伸ばしてあり、顔の形は細部に至るまで、辣腕の彫刻家が彫ったヴィーナスのようだ。ルビーピンクの空にフクシア色の星を散りばめたような綺麗な瞳が輝く。白のワンピースを着ている。

 少女の瞳は驚きと同時に迷いのない決断を宿していた。

「お父さん!手伝って!」

 家の奥からその少女の父親が出てきた。髪は濃い紫色で短髪。上着は分厚い麻のチュニック。ズボンは膝下までゆったりとした布ズボンを身につけている。

「どうした、ミラ、って大丈夫か!君!血だらけだしその背中の子は?!早く家の中へ!」

 ミラは急いで布団を敷き、水を汲み、手ぬぐいを湿らせる。フィリアの顔を優しく拭う。

 しかし、フィリアの容体を見て、察する。

「……この子、もう……」

 ウルメスは床に膝をつき、フィリアの手を握りしめる。

「頑張れ、フィリア……!頑張れ……!俺がいる、俺はここに居るぞ……!フィリア……!フィリア……!」

 光景は悲惨だった。ミラはただ、ウルメスの姿を、唇を噛み締めて見つめた。父は深く目を伏せた。すると微かにフィリアが声を発した。

「お兄…………ちゃん…………」

「なんだ!フィリア!」

「ごめん……なさい……、私……最後まで……迷惑……役に立てなか…………った」

「そうなことない、そんなことないよ、フィリア!フィリアのいつも頑張ってくれてありがとうって、その言葉にどれだけ救われたか……その笑顔にどれだけ……。生まれてきてくれてありがとう、フィリアが居てくれるだけで、俺は幸せだよ、だから……」

「お兄…………ちゃん…………大好き」

「俺もフィリアの事が大好きだよ、世界で一番、フィリアの事を愛してる」

「うれ……しい……」

 フィリアは微笑みを浮かべて、事切れた。

 握っていた手は力なくウルメスの手から滑り落ちていく。何度掴んでも、また、滑り落ちる。

「…………フィリア……うぅ。ああ……!」

 大粒の涙で服を濡らす。

「守れなかった……俺が守るって、あの夜に……誓ったのに、二人とも……守れなかった……」

 ミラも涙を流していた。ミラはウルメスの肩に手をやった。ただ、この青年の絶望を少しでも支えられるようにと。

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