死闘
地の底を叩くような振動が、遅れて伝わってきた。
ウルメスの視界の端、遠くの街区の向こうで、黒い爆煙が立ち上っているのが見えた。夜の闇を押し退けるように、炎を孕んだ煙が、ゆっくりと空へ昇っていく。
思わず、視線がそちらへ引き寄せられる。
(……今のは……?)
胸の奥が、理由もなくざわついた。
嫌な予感、言葉にする前に、感覚だけが先に訴えてくる。
その瞬間。
「よそ見をするな!」
鋭い声と同時に、殺気が叩きつけられた。
反射的に身を捻る。
次の瞬間、先ほどまで首があった場所を、赤熱した拳が掠めて通り過ぎた。
エヴルが、すぐ目の前に立っていた。
「ここは戦場だ。考え事をする場所じゃない」
冷えた瞳。感情を削ぎ落とした声。ウルメスは歯を食いしばり、視線を戻す。
ウルメスとエヴルは、数歩の距離を挟んで向かい合っている。
どちらも息が荒い。どちらも、もう無傷ではない。
鋼鉄化した腕には無数の亀裂。赤熱化した皮膚の下で、心臓が悲鳴を上げている。
エヴルが先に動いた。直線的で、無駄のない踏み込み。
拳が飛ぶ。
ウルメスの拳がエヴルの頬をかすめ、エヴルの肘がウルメスの顎を打つ。
互いに、決定打がない。
拳が当たる。だが、倒れない。
蹴りが入る。だが、崩れない。
読み合いは、既に限界に達していた。
わずかに遅れる反応。ほんの一瞬、重心が流れる癖。
疲労。
それは、同じだった。
二人は同時に、心臓をさらに燃やす。鼓動が跳ね上がる。
拳と拳がぶつかる。ゴン、という鈍い音。互いの腕が砕けそうになるほどの衝撃。
次の攻撃。
エヴルの拳がウルメスの脇腹に突き刺さる。同時に、ウルメスの拳がエヴルの胸を打ち抜く。
二人とも、吹き飛んだ。地面に叩きつけられ、砂塵が舞う。
先に起き上がったのは――
ほとんど同時だった。
だが。
エヴルの足が、僅かに、もつれた。ウルメスは、それを見逃さなかった。
「……ッ!」
残った力を、全て拳に込める。
前に出る。
拳が、エヴルの顔面を捉えた。
重い一撃が、当たった。
エヴルの身体が宙に浮き、背中から地面に叩きつけられる。
静寂。
ウルメスは、その場に膝をついた。息が荒い。
「はぁっはぁっはあっはあっ!」
それでも、目だけはエヴルから離さなかった。
エヴルは、仰向けのまま、しばらく動かなかった。やがて、小さく息を吐く。
「……君の、勝ちだな」
「……」
「どうせ……殺さないんだろ……?」
「……」
「やはり……君は甘いな」
それだけを言い残し、エヴルは動かなくなった。
ウルメスは、しばらくその場から動けなかった。胸の奥で、心臓が乱れた鼓動を打ち続けている。
地面に滴る血は、どちらのものか分からない。
——勝った。
その言葉だけが、重く、頭の中に落ちてきた。辺りでは争いの喧騒が絶えない。
「早く……カイザー達の加勢に行かないと……」
ウルメスは、先ほど爆炎が立ち上った方角へ身体を向けた。
その瞬間だった。
——何かが目の前に飛んできた。
地面を削るように転がり、ウルメスの足元で止まる。黒く焦げ、形を失った肉塊。
一瞬、それが何なのか分からなかった。人間だと認識するまで、ほんのわずかな時間が必要だった。
……カイザーだ。
「……カイザー」
ウルメスはぽつりとカイザーの名を呼んだ。
遅れて、理解が追いつく。胸が、嫌な音を立てて軋んだ。
近づくと、かすかに胸が上下している。
——生きている。まだ、息があった。だが、その呼吸はあまりにも小さく、すぐに止まる事は、考えなくても分かる事だった。
ウルメスは、ゆっくりと顔を上げた。飛んできた、その先。
砂煙の向こうから、一人の男が歩いてくる。
ウルフだった。
足取りは緩慢で、急ぐ様子はない。まるで、散歩でもするかのように。
カイザーを投げてよこしたのは、こいつだ。
ウルフが肩を回しながら言う。
「こいつのせいで……」
ウルフは肩をすくめ、緩める。そして吐き捨てるように言った。
「とんだ目にあったぜ」
ウルフを見た瞬間、底知れぬ怒りが込み上げてきた。ウルメスは叫んでいた。
「お前!人をこんな風に投げ捨てて、心は痛まないのか!」
「心が痛むだと?痛む訳がねぇだろうが。マラーのドブネズミが」
ウルフ、こいつは、人間の尊厳を冒涜する悪だ。更に怒りが込み上げる。
ウルメスは立ち上がり言った。
「俺はお前を許さない……」
「許さない?マラーのドブネズミがどの面さげて正義をかたるんだよ。冗談も大概にしろよ、お前……」
ウルメスは構えた。
(カイザー、俺がこいつを成敗してやる。だから……安らかに眠ってくれ……)
「おいおい、そんな状態で俺とやり合おうってのか?エヴルごときにそこまで手こずるお前が、まさか俺に勝とうって気じゃねぇだろうな」
「……」
カイザーは舌打ちをして言った。
「気にくわねぇ目しやがって……」
二人は心臓を燃焼させた。
あれ程までに消耗していたはずの体が、不思議な程動く。これも怒りの力なのだろうか。
ウルメスの拳が、ウルフを捉えた。
重い。
確かな手応え。
「……っ!」
一歩、ウルフの体が後退する。
「……こいつ……!」
ウルフの目が、見開かれた。
「この体で……まだ、ここまで動けるのかっ!」
怒りに突き動かされた一撃。技も理屈もない、ただの執念。
だが、それが——押していた。
ウルメスは倒れなかった。
引かなかった。ただ、前に出続けた。
拳が砕けようが、骨が軋もうが関係ない。
ウルフが舌打ちをした。それは、初めて見せる“苛立ち”だった。
「いいだろう……」
ウルフの背筋が、ゆっくりと伸びる。
「本気を出してやる」
心臓の鼓動が、異様な音を立て始めた。さっきまでとは、明らかに違う。
鋼鉄化した腕が、鈍く唸る。赤熱した熱が、空気を歪ませる。
「遊びは終わりだ」
ウルフが、地を蹴った。踏み込み一つで、距離が消える。
拳と拳が真正面から激突した。衝撃波が、周囲の瓦礫を吹き飛ばす。
互角——
だが。
「……っぐ……!」
ウルフの拳が、徐々に前へ出る。殺してきた数が、違う。
それでも、ウルメスは歯を食いしばった。
(負けるな……。ここで……止まるな……!)
ウルフの目にも、迷いはなかった。
「潰す……!」
ウルフの低い声が響く。
その時、瓦礫の陰から、小さな泣き声が聞こえた。
ウルメスの視界の端に、倒れた建物とその下敷きになっている女の子の姿が映る。
ウルメスは渾身の一撃をウルフに浴びせ、すぐに女の子の元へと向かった。ウルフは瓦礫に飲まれた。
女の子の上にのしかかっている物をどかす。女の子は這い出たが、足が潰れて歩けない。
女の子は大量出血していて、間もなく死ぬだろう。
ウルメスは女の子の痛々しい様子に一瞬、胸を痛めた。
その一瞬だった。
背後からウルフの攻撃。ウルフの鋼鉄化された手が、ウルメスの腹を貫いた。ウルフはその手を引き抜くと同時に、痛みで硬直するウルメスの胴に、回し蹴りを入れた。
建物を貫いて吹き飛んでいくウルメス。壁に激突し、だらんと地面に横たわる。
出血と脳震盪で意識が揺れる。目の前が真っ暗になった。そう思ったら、次は真っ白になり、光が見え始めた。すると、遠くから名前を呼ばれた。
「ウ……」
「ウルメ……」
声は次第に明瞭になっていった。
「ウルメス」
はっと目を覚ます。目を覚ますと、そこは花畑だった。どこまでも続く花畑。風に揺れる花弁が、ゆっくりと揺れている。
「ウルメス」
声のする方、後ろを振り向くと、妹のフィリアと母、ミリエがいた。
「お兄ちゃん」
「ウルメス」
二人を見た瞬間、ウルメスの目から、涙が溢れた。
「フィリア、母さん。二人とも、会いたかった……!会いたかったよ……!」
二人を抱きしめるウルメス。
フィリアが言う。
「私もお兄ちゃんに会いたかったよ」
ミリエが言う。
「よく頑張った。あなたは偉い子よ。私の自慢の子」
ふと我に返る。
「あれ、でもどうして二人はここに?俺は何をしていたんだっけ」
ミリエが言う。
「ウルメス、あなたに伝えなきゃならない事があって来たの」
ウルメスは分からない。
「伝えなきゃ……ならないこと?」
「そう。あなたにとって、大切な人のことよ」
「大切な人……」
フィリアが言う。
「その人の名前を教えたら、私達はここからいなくなる。もう会えなくなる。だけど、私達はそれでいい。お兄ちゃんが、また前を向けるのなら」
ウルメスは動揺した。
「嫌だよ、二人とお別れなんてしたくないよ」
ミリエが言う。
「大丈夫。会えなくても、ずっと見守ってるから。ずっと、ずっと愛してるから」
「私も」
「……俺も、二人のこと、愛してる。ずっと。ずっと……」
フィリアが言う。
「嬉しい」
ミリエが言う。
「ありがとう、ウルメス。ウルメスのような、優しい子の母になれて、私は嬉しいよ」
「二人の事、忘れないから……」
ミリエが優しく頷く。
「元気で、ウルメス」
「うん……」
そして、フィリアがゆっくりと唇をウルメスの耳元へと寄せた。そして囁いた――
「ミラ」
ウルメスの目が見開かれる。その名を聞いた瞬間、ミラの笑顔が脳裏に浮かび上がった。
(そうだ……俺には守らなければいけない人がいる)
光に包まれる。辺りが真っ白になる。
「頑張れ、お兄ちゃん。私達が力を貸すから、どうか、勝ってね……」
ウルフはウルメスが助けた女の子を見ていた。もう、女の子は動かなくなっていた。ただ、ウルフはその光景を、見ていた。そして、誰にも聞こえない声でこう呟く。
「ファナ……」
すると、吹き飛んでいったウルメスの方角から、熱風が吹いてきた。
すかさず目をやると、そこにはウルメスがいた。先ほどのウルメスとは比にならないほどの燃焼力。
あまりに心臓の燃焼力が強いので、周囲に熱風が吹き、ガラスは溶けていった。
ウルフは驚きを隠せなかった。確かに殺したと思っていた。
「何?!」
ウルメスが言った。
「決着をつけよう、ウルフ」
(あの致命傷を負ってもまだ立つか……!この男……!)
「お前、名前は」
ウルフが戦いの相手に名前を聞くのは、これが初めての事だった。
「ウルメス」
「ウルメス……覚えておこう。ここまで俺を追い詰めたのはお前が初めてだ。だが、俺が勝つ」
二人は踏み込んだ。
拳同士が打ち合う。火花が散る。乾いた金属音が、夜の街に叩きつけられた。
ウルメスの拳が弾かれる。ウルフの拳も、わずかに軌道を逸らす。
速い。
さっきまでの動きとは、明らかに違う。
ウルメスは息を吐く。肺が焼ける。視界の端が揺れる。それでも、足は止まらない。
踏み込む。鋼鉄化した腕が、ウルフの胴を掠める。
「クソが……!」
ウルフが距離を取ろうとした。
ウルメスは無理やり体をねじ込み、拳を叩き込む。衝撃が、骨を通して腕に返ってくる。
痛みが走る。
だが、それ以上に確かな手応えがあった。
「うぐっ……!」
ウルフの声に、痛みが混じる。
胸の奥で燃えているのは、帰る場所。
(ミラ……)
名前を呼ぶ代わりに、拳を握りしめる。
もう一歩。
もう一撃。
倒れれば終わる。
ここで負ければ、すべてが奪われる。心臓が、限界を超えて燃え上がる。
赤熱化した拳が、再びウルフへと叩き込まれた。
(あの笑顔、もう歪ませたくない)
ウルフが反撃する。
(俺たちが負けたら、ミラの命だって奪われる。俺は、ミラを守る。そう誓ったんだ)
凄まじい攻防。血が飛び散る。
(悲しい思いなんかさせない。必ず生きて帰る)
帰る場所がある。名前を呼んでくれる声がある。
(俺が真っ直ぐ立っていられる理由。もう一度前を向けた理由。ミラは俺の生きる意味だ。)
あの夜、誓った。
(俺を赦してくれた人だ。こんな俺を待ってくれている人だ)
力が拳にこもる。
(だから俺は……負けられない。負けられないんだ……!)
「あああああ!!!」
(限界を超えろ、燃やせ、もっと熱く)
ほんの一瞬が生死を分ける闘いの中で、ウルメスはウルフの重心がほんの少しずれるのを見逃さなかった。
全身全霊の一撃をウルフの心臓に叩き込む。
「うおおおおお!!!」
当たった。
ウルフの燃焼が解かれる。完全に脱力したウルフにもう一撃を、顔面に喰らわせる。
ウルフは地面に何度もぶつかりながら、建物に突っ込んで行った。倒壊した建物の瓦礫がウルフを覆い尽くす。
ウルメスはしばらくその瓦礫の山を見つめていた。数秒後、予想通りウルフは瓦礫から出てきた。
だが、ウルフはもう燃焼できなかった。足取りがおぼつかない。ゆっくりとウルメスに近づく。
「まだ……だ。まだ……終わり……じゃない」
ウルメスは心臓を燃焼させて見せた。
「終わったんだよ、ウルフ」
ウルフの力ない目が見開かれる。
「そんな……バカな……」
突然、怒号が聞こえてきた。
「ウルフ!撤退だ!」
「司令塔が落ちた!一旦引く!」
イェナ軍の伝令兵が撤退を命じた。
(司令塔を……?リーガンが成し遂げたんだ……)
イェナ兵がウルフの肩を持つ。ウルフは拒絶する。
「離せ、俺はまだやれる」
「無理だ。お前はもう一人では立っていられないし、燃焼出来ない。撤退するぞ」
その時、ダリアとロトロトがその場に駆けつけた。ダリアが言う。
「ウルメス!」
ロトロトが叫ぶ。
「ダリア!ウルフだ!今ならやれる!」
「ロトロトさん!ウルメスを運ぶのが先です!僕たちも万全の状態じゃないし、それにウルフには援護がいます!気持ちはわかります!ですが、今は優先すべき事をしてください!」
ロトロトは一寸考え、
「……クソッ!分かったよ、ダリア」
二人は倒れかけていたウルメスの肩を持った。
「酷い怪我だ……ウルメス、よくあのウルフと闘ったね……!すぐに医療班の元へ連れて行ってやるからな!」
「待って……カイザーが……」
ロトロトが言う。
「カイザー!?まだカイザーが生きてるのか?!」
「あっち……」
ウルメスはカイザーの亡骸がある位置を指差した。少し歩いたところに、カイザーは居た。
ロトロトがカイザーの亡骸に縋る。
「カイザー……お前、無茶しやがって、本当に……」
ロトロトとダリアは泣いていた。
ダリアがカイザーの亡骸にそっと手を重ねた。
「おやすみ、カイザー。ゆっくり休むんだよ」
ウルメスは眉をひそめて、俯いていた。
ダリアが言う。
「悲しんでる時間はない、行こう」
ロトロトはカイザーの亡骸を背負った。再びダリアはウルメスの肩を持ち、後方の医療班のキャンプへとウルメスを運んだ。
リーガンはすぐに兵を街に再配置した。そして、負傷者優先の段階的撤退を開始する。
最終的な撤退と同時に、水脈司令塔は完全にその機能を失う。それまでの時間は三時間であった。
キャンプには、医療班とリーガンが居た。リーガン以外の一班はまだ水脈司令塔に残っているようだった。
リーガンはカイザーの亡骸を見ると、ゆっくりと歩み寄った。そしてカイザーの額に手を当てて、眉間に皺を寄せ目を瞑った。それだけだった。
ウルメスは腹が立った。リーガンがウルフの相手を任せなければ、カイザーは死ななかったのではないか、そう思った。
足を引きずって一歩前に出て、弱々しい声で、ウルメスが言う。
「あなたがカイザーにウルフを任せた。あなたも分かっていたんじゃないですか?カイザーはウルフに勝てない事を」
一拍置いて、リーガンが答えた。
「分かっていた」
その返答を聞いて、我慢ならなかった。
「あんたは俺たちの事を家族と言うくせに、戦争の道具として使う。平民を殺しても飽き足らず、俺たちまでも殺す。あんたは、やってる事が矛盾してる……!」
「……」
リーガンは黙っていた。
「何とか言ったらどうですか!」
「……カイザーは。あいつは最後まで逃げなかった。俺はカイザーの事を誇りに想う」
「自分で殺しておいて……!」
ロトロトが言う。
「ウルメス、落ち着け。大将は俺たちよりもずっと前からカイザーと過ごしてきた人だ。今のお前には分からない事があの二人の間にはあったんだよ。分かってくれ。それにお前も重傷なんだ。安静にしておけ」
リーガンが言う。
「ウルメス、お前はウルフと闘い、勝った。それだけで救われる命が幾つもあった。感謝する」
「……」
(リーガン、この人間は悪魔だ)
ウルメスはリーガンを睨みつけていた。だが、限界が来た。その場に倒れ込むウルメス。
次に目覚めた時には、荷馬車の上だった。身体中包帯でぐるぐる巻きになっている。
ダリアが目を覚ましたウルメスに気づく。
「ウルメス、寝ていなよ。傷が開くよ」
「俺たち、勝ったん……だよな……?」
「そう、勝ったよ、今回の戦いには、ね」
「今回の戦いには……か……。」
(きっともうすぐ水脈司令塔が爆破されるだろう。そうなると、あの区域に住んでいる人もほとんど死ぬことになるだろうな……)
「ウルメス、勝利したのに、全然嬉しそうじゃないね」
その言葉に、ウルメスは酷く不快感を覚えた。
「ダリアだってそうだろ」
「嬉しいさ。でも、今回は失ったものが大きいから……」
黙っていられなかった。
「そういう問題じゃないだろ?ダリア。俺たちの行いによって関係の無い沢山の人々が死ぬんだよ。その代償を経て手に入れた勝利に、俺は喜びなんて感じない」
「じゃあウルメスはあのイェナに、黙って搾取され続けろっていうのか?誰かがやらなくちゃならないんだよ。でも、君はそうは思わないんだろうね」
「ああ、思わない。前回の反乱で俺は家族を失った。革命を起こしたいなんて、思えるわけがない。……カイザーの事は……残念だと思うよ」
「そうだったのか……ウルメス」
ウルメスは目を瞑った。
(家族を失った。だけど、今の俺には帰る場所がある。帰りを待ってくれる人がいる。ミラ、もう少しだけ待っててくれ。今、帰るから)
寝返りをうつ。
(ああ、ミラが恋しい。今すぐにでも会いたい。あの柔らかい腕で抱かれたい。ミラの作る手料理を食べたい。もう一度俺に笑顔を見せてくれ。それだけで俺はどこまでも頑張れるから……)
重傷者を載せた荷馬車の群れが、マラーに到着した。しかし、マラーの活気は失われていた。代わりに薄暗い静けさが充満していた。
ウルメスは起き上がる。が、身体中を激痛が走る。意識も朦朧として、視線が安定しない。それでも、一刻も早くミラのもとへ行きたかった。荷馬車を自力で降りようとするウルメス。それをダリアが支えた。
「さっきはごめん。ウルメス」
「いいんだ、俺も悪かったよ」
そこに、アルルが飛んで走ってきた。そしてウルメスに告げる。
「ウルメス、ミラが!ミラが!」
アルルの顔は蒼白だった。
ウルメスはすぐに、ミラに何かあったのだと察した。
「どこだ……ミラは……」
「こっち……!」
ダリアがウルメスの肩を持つ。二人は必死にアルルについて行った。向かった先は、大広間だった。
その光景を見た瞬間、ウルメスは、憎しみが煮えたぎるのを感じた。
ミラが十字架に縄で縛られ、両手を大きな釘が貫通し、十字架に固定されていた。
そしてマラーの人間達がよってたかってミラに石を投げつけていた。鞭打ちをされた痕跡もある。鞭打ちされた箇所の服が破け、肉が剥き出しになる程酷い傷になっている。




