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生活

「ウルメス、時間だ、もう上がっていいぞ」

 長城修繕の資材を肩に乗せて運んでいたウルメスに班長が声をかけた。ウルメスの髪は深い紺色の髪で短く、ところどころに葡萄色の毛が混じっている。濃紺の双眸にハイライトが光る。鼻はすらっと高く、自然と優しさが感じられる、つり上がりすぎない目元をしていて、顔立ちにはどこかあどけなさが残る。

 粗末な麻布のシャツを身につけ、所々に補修の縫い目がある。頭には強烈な日差しを防ぐための巻き布をしている。厚手でごわごわのズボンにも、膝に革を縫い付けてある。

「はい、これを運び終えたら」

 班長は関心したように腰に手をやり、

「それにしてもお前は本当に屈強だな。ロートヒッツェ人の中でも群を抜いてるよ」

 班長と呼ばれる、ウルメスと同じ格好をした中年で魁傑の男が言った。

 資材置き場に長城の壁となる石材を運び終える。今日の仕事はこれで終わりだ。まだ近くにいた班長に尋ねたい事があった。

「班長あの、質問いいですか」

「なんだ?ウルメス」

「この長城は一体なんのために……?」

「おい、ウルメス。お前理由も知らずに何ヶ月も働いてたのか?」

「聞く機会がなかったものですから」

「そりゃあ決まってんだろ。砂漠化の防止と地区の分割、それと地区外の人間を地区内に入れない役割もあるな」

 実のところウルメスは何故長城が存在するのか知っている、と思っていた。しかし、地区外に人間がいる事は初耳だった。今までは砂漠化の防止だけの役割だと、そう思っていた。

「地区外にも人がいるんですか?」

「いる、だけどな、地区外は人肉を喰らい、血の香りを好むような奴らばかりだ、治安も悪いなんてもんじゃない。外に出たもんなら殺されて終わりだな。そう考えるとイェナ軍の兵士には頭が上がらないよ。治安維持のために地区外に遠征に行くんだからな」

「そうですか」

「それと、今日は給料日だぞウルメス、広場に行って、忘れずに受け取っておけよ」

「分かりました、教えて頂いてありがとうございます」

 長城の近くに現場用の簡易的な広場が作られている。広場には石材の山や漆喰の樽、物置小屋や、水樽が置かれている。

 ウルメスは公務官に今月分の給料を貰う。銀貨と銅貨が細い糸で束ねられている。給料の少なさにウルメスは思わず声が出る。

「これだけ……」

 貨幣を見つめているウルメスに公務官が言う。

「おい、お前、さっさとどけ。次の者が待っているだろうが」

「ど、どうして……こんなにも少ないのですか?先月はもう少し多かったはずですが、何故減っているのでしょうか」

「評議会の決定により予算が減らされた、分かったらどけ」

 後ろに並んでいた中年の男が割り込んできた。

「もういいだろ小僧」

 ウルメスは呆然としていた。

「母さんと妹を養っていけるギリギリのお金じゃないか」

 周りにいた労働者も同じだった。不満の声が聞こえてくる。

「貴族の豚共め、あいつらエーリモスの俺たちなんて気にもとめてねぇんだ」

「どうせあいつらが不正に搾取しているに違いない、こうなったら俺もマラーに入って……」

「どうすりゃいいんだ、これじゃ生活が……」

 諦念したウルメスは帰路についた。辺りは暗くなり始めている。街へ続く道の周囲には荒涼とした砂漠が広がっているだけだ。枯れた背の低い木々がまばらに見える。

 七キロメートル程歩くと、眼前に街が広がってきた。名はラックライト、下層民居住区だ。家々は石と木を組み合わせた粗末な建物ばかりで、壁はひび割れ、屋根は雨除け程度。砂嵐の影響で常に砂に埋もれ、通りは赤茶けた砂に覆われている。水路や井戸は少なく、生活用水は配給制となっている。

 玄関のドアの前に立つウルメス、眉間に皺を寄せていた顔を無理矢理明るい笑顔に変える。

「ただいま」

「お帰り、ウルメス」

「お帰り、お兄ちゃん」

 夕飯の支度をしている母のミリエと、ベットで寝ていた妹のフィリアが起き上がって歓迎した。ミリエは美しい黒の長髪で、ウェーブがかかっている。顔立ちは凛として美しく、優しそうな目元はウルメスとそっくりだ。少し痩せた体型で、薄手の麻のシャツとスカートを身につけている。フィリアはショートカットで、髪色は茶色。目は垂れていて、おおらかな印象を持っている。

「お腹空いたでしょ、もうちょっとでできるからね」

「ありがとう母さん、まだ洗濯物干してあったよね、着替えてから入れてくる」

「座っていればいいのに、でもありがとう」

 洗濯物を入れ終えたウルメスをフィリアが呼ぶ。

「お兄ちゃん、これ」

 渡されたのは厚手の革の手袋だった。

「これフィリアが作ってくれたのか?」

「お母さんに教えてもらって。手袋があったら重い物を持ち上げる時も滑らないし、手を守れるでしょう?」

「ありがとうフィリア。うん、すごく助かるよ」

「こんな事しかできないから……」

 嬉しそうに笑う影に悲しみが見えた。フィリアは体が弱く、ベッドに寝ている事が多い。家族の役に立ちたいと願っているが、体がそうさせてくれない。

「こんなことしか、じゃないよ、フィリア。ほら見て、俺の手。傷だらけだ。この手袋のおかげでもう痛い思いをしないで済むよ。ありがとう」

「うん……」

 今度のフィリアの微笑みは真っ直ぐで嬉しそうな笑顔だった。

「できたよ、ウルメス、フィリア。さ、食べようか」

 食卓に並んだのはコップ一杯の水と、畑で取れた野菜の入ったスープと、黒パン。野菜はミリエの畑で採れたものだ。夕食の水は必ずコップ一杯だけと決めている。水が配給制である以上、使い過ぎると無くなってしまい、命に関わる。

 ランプの灯りが揺れ、狭い部屋を温かく照らしている。質素なはずなのに、食卓を三人で囲むと、不思議と心が満たされる。

「今日はどんな事したの?」

 母ミリエがウルメスに尋ねた。

「また石材運びだよ、いつもと変わらない。でも、班長が俺の事を褒めてくれたな、屈強だって」

「やっぱりお兄ちゃんは優秀なんだね、凄いや。私もお兄ちゃんみたいになりたいな」

 照れ臭くなって少し視線を落として、

「ただ石を運んでいるだけだよ」

 そう言いつつも、心のどこかで誇らしげな気持ちになった。

「それだけでも十分に凄い事だと思うよ。重い物を朝から晩まで運ぶなんてね。ありがとうウルメス、お父さんの代わりにいつも働いてくれて。きっとお父さんもウルメスの事褒めていると思うよ」

「うん」

 ウルメスの父は流行り病にかかって一年前に死んだ。もともと畑仕事などを手伝っていたウルメスは父の代わりに懸命に働いた。日雇いの仕事や短期の仕事を掛け持ちしながら家計を支えた。今の防壁修繕の職に着いたのは五ヶ月程前だった。

 ウルメスがミリエの食器に目をやった時、あることに気づく。スープの量が明らかに少ない。ミリエはいつも子供達に多く食事を与えて、自分の食べる分は少なくする。だから痩せているんだ。ウルメスは言いかけた「そんな事しなくていい」と。

「母さん……」

「なに?ウルメス」

 だがそれを言ってしまうと、ミリエの優しさを否定してしまう気がして、言えなかった。

「いや、なんでもないよ」

「そう?」

 ウルメスは心に痛みを覚えると同時にミリエに感謝した。ありがとうだけじゃ伝わらない、強い感謝の気持ち。そしてミリエの事を「愛しいな」と思った。

 俺はこの人を必ず、必ず幸せにするんだ。そう思った。

「そうだお兄ちゃん、今日畑にお花が咲いてたの。見てこのお花、見た事ないの。でも、とってもきれい。これお兄ちゃんにあげるね」

 そう言ってフィリアはウルメスに花を手渡す。手にとって眺める。コスモスのような、白色が美しい花だ。

「本当だ、きれいだね。きっと幸運の花に違いないよ」

 微笑みを浮かべて嬉しそうにウルメスを見つめるフィリア。ウルメスはその笑顔を尊く感じる。すぐに壊れてしまいそうな、そんな笑顔だと思った。そこにある事が奇跡だとも思えた。失いたくないと思った。

 三人は食事を終え、寝る支度をした。ベッドに入ったウルメスは二人の事を考えていた。

「母さんとフィリア、二人の事を支えるのは自分なんだ、もっと頑張らないと。俺が二人を守るんだ」

 翌日、フィリアが体調を崩し、熱を出した。フィリアは心臓と肺が弱い。激しい運動は出来ないし、体調を崩す事も頻繁にあった。今は食事を摂ることもままならない。

「フィリア、大丈夫か?母さんがお粥作ってくれたぞ。俺が食べさせてやるから、ほら」

 お粥をスプーンで少しずつとって、一口ずつ食べさせてやる。こぼれないように、スプーンに手をやって。

「ごめんなさい、お兄ちゃん。私、一人でご飯も食べられないなんて……」

 フィリアは悔しくて涙を流した。そうだよな、一人でしたいよな、食事くらい。

「謝らなくていいよ、フィリア。熱くないか?」

「うん、大丈夫」

 フィリアにお粥を食べさせ終わると、ウルメスは支度をして仕事に向かった。

 今日も石材運びだ。いつものように仕事をしていると、後ろで噂話が聞こえてきた。

「近いうちにマラーが第六地区の反乱軍と手を組んで軍の武器庫を襲うらしい」

「マラーって、あのマラーか?」

「国崩しを狙う奴らのことだ。目的が合致すれば、反乱軍も強い味方になるってことだろ」

 この世界に国家は一つしかない。イェナだ。世界は砂漠化が進み、残される人類生存可能地域は極端に限られている。だが、イェナは腐った貴族が支配し、貴族たち上層階級の者と、昔他国から流れてきた移民や貧困層を下層民に区別し、格差社会が生まれている。

 貴族たちはシュトーと呼ばれる残された緑地を独占し、エーリモスと呼ばれる荒廃した砂漠に下層民を縛り付けている。長城の外、地区外を拠点とする勢力マラーは、今の国家体制を根本から変えようとするテロリストの集団であり、マラーは地区内の反乱軍と手を組みイェナに反旗を翻そうというのだ。

 ウルメスはただ思う。「やめてくれ」と。「そんな事をしたら一体どれだけの罪のない人の命が失われると思っているんだ。それに母さん、フィリアの命だって危険に晒される。みんな貧しいながらに一生懸命生きているんだ。平和を作るために平和を壊す?そんなの間違いだ」

 だがウルメスは反乱が起こらない事を願う事しかできなかった。

 夕方になり、仕事を終え、帰路につく。丘を越え、街が見えてきたところで、ウルメスは息を呑んだ。

 あちこちから黒い煙がたちのぼり、夕焼けを塗りつぶすように空を焦がしている。屋根の上では赤い炎が跳ね、乾いた木材を噛み砕く音が風に乗って届いた。

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