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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

恋愛小説シリーズ

無自覚な亡国の王妃。見習い騎士の純愛。キューピットになった姫。

作者: 青帯

前半はシリアスで、やや残酷な描写があります。

そして恋愛感情は秘められています。


後半から無自覚系ほのぼの歳の差恋愛になります。



 夜空に(あお)く光る月の下で、城が燃えている。


 秘密の抜け道を通って小高い丘に出ると、それまでいたフィンティル国王都の王城(おうじょう)が炎に包まれていた。


「なんてこと」


 信じられないような光景に、私は思わず(つぶや)いていた。


「アグネーテ王妃」


 呼ばれて振り返った。


 美少年が私の娘を抱きかかえている。


「もしラディムが逃げろと言ってくていなかったら、今頃───」


 考えるだけでも恐ろしい。


「騎士見習いの身でありながら独断で出過ぎたことを申しましたが、結果的に正解だったようです」


 ラディムはまだ15歳の騎士見習いだが、数か月前から私と娘の護衛役を引き受けてくれている。

 正式な騎士たちは隣国との戦争で手一杯という理由で、お(はち)が回ってきたらしい。


「本当にありがとう。でもこの子ったら、呑気(のんき)なものね」


 今年で5歳になる娘のパウラは、ラディムの腕の中で眠り続けている。


「パウラ姫はぐっすりお休みになっています。このまま私が」


 起こして()支度(じたく)の着替えをさせているときも半分は寝ているような状態で、とても歩けそうになかった。

 最初は私が抱いて歩いていたが、途中でラディムが代わってくれた。


「助かるわ。その子、どんどん重くなっているもの」


「寝る子は育つと言いますしね」


 二人で少し笑うと、やや強めの夜風が吹いた。

 丘の上で風通しが良いからだろう。


 私は風に(なび)く髪を押さえて、(まと)っている外套(マント)の合わせを握った。

 ラディムとパウラも私と同じよう格好をしている。

 遠くに逃げるための旅装(りょそう)だ。

 

 王都には戻れなくなるかもしれない。

 ラディムの言っていたことは現実になってしまった。

 

「城壁内に敵が侵入したかもしれないと騎士たちが騒いでいましたが、やはり本当だったようです」


 王都中央の城が燃えているのは、侵入した敵に火をつけられたからだろう。

 城壁の周りには隣国の部隊がいくつも布陣している。

 王都に雪崩(なだれ)れ込んだ兵の後詰めに違いない。


 隣国とは数か月前から戦争状態で、かなりの領土を奪い取られてしまっている。

 王都にも敵の軍が迫っていることは聞いていた。


「でも、こうも簡単に城壁を突破されてしまうなんて」


「普通ではありあえないことです。内応者が門を開いて敵を招き入れたということなのでしょう」


「裏切者がいるということ?」


「残念ながら」


 だが無理もない。

 単に戦況が不利というだけではない。

 悪名高い王のために命を()けて戦う気にはなれなかったのだろう。

 

 王は隣国の村をいくつも気まぐれのように略奪した。

 しかもそのことを問い質すためにやってきた隣国の宰相(さいしょう)を斬り捨てた。

 明らか王に非があり、隣国が怒って攻め込んできたのも無理はない。


 王の理不尽で残忍な仕打ちは枚挙(まいきょ)(いとま)がない。

 悪政で自国の民からも深く恨まれている。

 先王が早くに亡くなって若くして王位を継ぐと、わずか数年で猛悪無道(もうあくむどう)と言われるようになったほどだ。


 私が嫁いで王妃となったのは王が即位したばかりの頃で、悪評が知れ渡るより早い時期だった。

 6年前、私が19歳のときだ。


 本来であればフィンティル国内の小領主(しょうりょうしゅ)の娘に過ぎない私が王妃になれるはずもなかった。

 だが王がまだ王子だった頃に、妻が二人も相次いで病死してしまったことで妃探しに難儀していたらしい。


 そんな折に「アグネーテ令嬢は美しい」などという田舎(いなか)のささやかな噂がたまたま担当官の耳に入ったらしく、私も候補に挙げられたとのことだった。 


 多額の持参金が提示されており、財政難の家の役に立てるかもしれないと思って候補者に名乗りを上げると、私が王妃に選ばれた。


 だがすぐに後悔した。


 王は頻繁に癇癪(かんしゃく)を起こし、臣下たちには元より私にも当たり前のように手を上げた。

 しかも先の妻は二人とも本当は病死ではなく自分が殴り殺したのだと王に言われたときは、絶望に打ちひしがれた。


 (ねや)でのことも苦痛と恐怖でしかなかった。

 王の欲望を満たすだけに行われ、ことが済むとすぐに自分の寝室に帰された。


 それでも身籠(みごも)ることができたのは幸いだった。

 私が妊娠すると、王はすぐに側女(そばめ)(はべ)らせはじめた。

 嫉妬の感情は一切湧かず、解放されたという思いしかなかった。


 そして何よりも、生まれてきた娘が(いと)おしかった。

 王は男子で無ければ跡継ぎにならないと言って構おうとしなかったが、私は娘にパウラと名付けて一身に愛情を注いだ。


 パウラは健やかに育ってくれた。

 これからもそうであることを切に願っている。

 王がどうなろうと、娘だけは守らなければならない。


「国王陛下の安否は不明ですが、今はパウラ姫の安全を確保することをお考え下さい」


 ラディムも同じことを思ってくれているようだ。


「それにアグネーテ王妃御自身のことを」


 私を見つめるラディムの顔色が、少しだけ赤いような気がした。

 

「く、口惜しいですがフィンティル国の王都は陥落します。落ち延びるほかはありません」


 ラディムが取り繕うように言った。

 

「王妃の御実家に向かいましょう。幸いなことに隣国に侵攻されているのとは反対の方角です。そちらにもいずれは敵が押し寄せてくるかもしれませんが、時間は稼げるはずです」


「───ええ」


 城とは逆方向に、並んで歩き始めた。


「もし王に(とが)められるようなことがあれば、私に無理やり連れて行かれたとおっしゃって下さい」


 私が王を恐れていることを読み取って、ラディムは言ってくれたのだろう。


 隣国からの侵攻が始まってしばらく経った頃に、パウラを連れて実家に疎開したいと王に願い出たことがあったが、決して許さないと言われたばかりか酷く殴られた。


 そのことはラディムにも話してある。


「あなたは私より10歳も年下なのに、本当にしっかりしているわね。心強いわ」


 あどけなさが残る美麗な顔つきがどこか大人びて見える。


「半人前の騎士見習いに過ぎない私などに、もったいないお言葉です」


 ラディムがまた少し顔を赤くしてはにかみを見せた。

 こういうときは年相応の少年に見える。


 騎士見習いは特定の騎士を(あるじ)と仰いで師事する。

 何年にもわたって様々なことを学んだ末に、主の叙任(じょにん)を受けて正式な騎士となり、王に忠誠を尽くして国のために戦うようになる。

 ラディムは、まだ修行中の身だ。


「せめて王妃たちを乗せることができる馬があれば。持たない身である自分が恨めしいです」


 いつの間にかラディムが表情を曇らせていた。


「そんな顔をしないで頂戴。もしあったとしても、馬では地下通路を通れなかったわ」


「おっしゃる通りです。城壁の外には敵も布陣していますし、馬での脱出は難しかったでしょう。失礼しました」


 ラディムはそう言うと、少しパウラを動かして腰の剣に視線を送ったようだった。


「私は父の形見(かたみ)の剣ぐらいしか持っていません」


 数年前に父が病死して身寄りがいなくなると、今の主に引き取られたと聞いている。

 家も馬も持たないラディムにとって、あの剣は大切なものなのだろう。


「いざとなれば、これで」


 ラディムはまた大人びた表情に戻っていた。

 

 丘を下ると林道(はやしみち)に入った。

 月のおかげで歩けないほど暗くはない。


「そういえば、定期的に実家とやりとりをしていた手紙の返事が途絶えているのが少し気になっているのだけど」


「おかしいですね。方角的に届け手が隣国の手勢に捕らえられるとも考えにくいですし。はっ!?」


 背後から馬蹄(ばてい)の響きが聞こえた。

 敵の追手かもしれない。

 体を緊張が包んだ。


(あるじ)


 ラディムが呟いた。

 その通りで、馬に乗って向かってくるのはラディムが師事している騎士だ。

 私は胸を撫で下ろした。


「ラディム。ここにいたか」


 騎士は近くまで来るとそう言って馬を降りた。


「王妃。それに姫も、ご無事そうで何よりです。城の抜け道を使われましたか?」


「ええ」


「そうかもしれないと思い、出口の周囲を探してみたところ案の定でした」


 騎士は喜んだようだったが、すぐに神妙な顔つきになって片膝をついた。


「辛いことをお伝えしなければなりません。国王陛下はご自害なされました」


 聞いた瞬間、風が強く吹いて林の(こずえ)がざわめいた。


「王城を敵に取り囲まれると、虜囚(りょしゅう)となって(はずかし)めを受けるくらいならと、自ら命を絶たれました」


「そう、なのですね」


「はい。みすみす城を敵に明け渡しはしないと火を放たれると、すぐに」


 私やパウラが脱出したとは知らなかったはずなの城に火を放つ。

 王はそういう人だ。


「ですが、王妃や姫が城を脱出しておられたのは幸いでした」


「ラディムのおかげです」


「そうでしたか。でかしたぞ、ラディム。護衛の務めを全うしたな」


 騎士が立ち上がって言った。


「まだ、これからです。安全な場所にお連れしなければ」


「その通りだ。どこに行くつもりだった?」


「ひとまず、父の元に身を寄せるつもりです」


 私が代わりに答えると、騎士が首を横に振った。


「それは不可能です」


「不可能? 一体どうして?」


「国王陛下から箝口令(かんこうれい)が敷かれていましたが、亡くなられた以上、隠していても仕方ありますまい。お父上は既に戦死されています」


「───父が、戦死?」


 思わず耳を疑った。


「はい。敵が侵攻を開始すると、王命で早々に出兵して、御最期(ごさいご)を迎えられました」


「そんな。小領主に過ぎない父はほとんど手勢など持たないのに、王命で出兵を?」


()へいとして駆り出されたと聞いています」


「死に兵?」


「犠牲を前提とした、ほぼ助かる見込みのない任務を与えられる兵のことです」


 体が震えた。


「形式上は(しゅうと)である父に、陛下はそんな命令を?」


「むしろ王妃たちがいらっしゃるから断れない。陛下はそうお考えになったのでしょう」


 だから王は疎開を許さなかったのか。

 つまり私や娘は人質同然だった。

 そのせいで父は───。


「なんてこと。ですが、それなら母を慰めるためにも、なおのこと実家に行かなければなりません」


 怒りや居たたまれなさを飲み込んで、決意を告げた。


「残念ながら、お母上やご家中(かちゅう)の方々も(みな)お亡くなりになっています」


 衝撃が体を貫いた。


「なんですって!?」


「主、どういうことですか!?」


 ラディムも信じられないといった様子で問い掛けた。


「出兵して手薄になったところを馬賊(ばぞく)に襲われてしまったのだ。そのときに金品ばかりでなく、王妃のお身内の命も奪われてしまったと聞いている」


「そんな」


 眩暈(めまい)に襲われた。


「王妃! お気を確かに!」


 ほんの一瞬だが気を失ってしまったようだ。

 気が付くとラディムに支えられていた。

 パウラを抱いているのとは逆の方の腕でだ。


「ごめんなさい。もう大丈夫よ」


 眠っているパウラの顔を見ると、わずかだが気分が落ち着いた。


「良かった。───ですが、もうしばらくこのままで聞いて下さい」


 ラディムが耳に顔を近づけて小声で囁いてきた。


「主の様子が何やら変です。おそらく、敵に寝返っています」


「───っ!」


 驚きで上げそうになった声を何とか飲み込んだ。

 ラディムの主の騎士をちらりと見た。

 少し離れているので、小声での会話は聞こえないだろう。


「これから不快なことを言うかもしれませんが、どうか私を信じて下さい」


 ラディムは小声で言うと、パウラを抱いたまま私から体を離した。


「主。王妃たちを追って来た理由は?」


「お守りするために決まっているだろう」


「本当に? 丘から見ましたが城壁の外には敵が布陣していました。馬で突破できるとは考えにくいです。敵に味方していれば別ですが」


「何が言いたい?」


「城壁の門を開いた内応者は、主ですね?」


 騎士は薄ら笑いを浮かべた。

 ぞくりとするような嫌な顔だった。


「良く分かったな。もっとも、実際に城壁の門を開けたのは別の仲間だが。俺は城にいて、抜け道を使った形跡を掴んだ」


「なるほど。王妃たちを追ってきた本当の理由は、敵に引き渡すためですね?」


「ああ。フィンティル国の王族は隣国にとって怨嗟(えんさ)の対象だからな。連れて行けば相当な手柄になる」


 騎士の表情が一層下卑(げび)たものになった。


「という訳で、王妃。どうか観念なさって下さい。王族を恨んでいるのはこの国の民や領主も同じ。国内のどこに逃げようと、捕えられて敵に突き出されるのが落ちです」


「そんな。私は、政治に関わったことも王に政策を進言したこともありません。ましてや娘は5歳ですよ? 恨まれる覚えなど───」


「残念なことに、王族で一括(ひとくく)りにされてしまうのですよ」


 騎士が高笑いした。


「ところで、追って来たのは主一人ですか?」


 不意にラディム訊ねた。


「ああ。手柄の取り分を減らしたくはないからな」


「ですが、私もあやかりたいものです」


 ラディムの本心ではないことが分かる。

 だが騎士は気付いていないようだ。


「いいだろう。手を貸せ。そのまま姫を抱い付いてこい」


「分かりました。主は王妃をお願いします」


 騎士は満足そうにうなずくと、こちらに近づいてきた。


「上手くいったら分け前をやるだけでなく、正式な騎士として叙任(じょにん)してやろう。だからこれからも俺にしたが───」


 騎士は言葉の途中で目を見開くと、地面に腰を落として足を投げ出すようにした。

 後ろから右足を刺されたからだ。


「王妃と姫を敵に売り渡すなど不忠の極み。そんな騎士から受ける叙任など、願い下げだ」


 ラディムが毅然(きぜん)と言い放った。

 左腕にパウラを抱いたまま、右手に剣を握っている。

 切っ先に付いた血の一滴が地面に落ちた。


「くっ! ラディム。これまで面倒を見てやった恩を忘れたか」


 騎士が苦しそうに言った。


「命までは取らなかったのは、主だったあなたへの情けだ。だが馬はもらっていく。王妃、乗れますか?」


「え、ええ」


 少しだけだが乗馬の心得はある。

 私は二人を避けて馬に近づくと、(くら)(またが)った。


「パウラ姫が眠ったままで良かった。血生臭(ちなまぐさ)い光景を見せずに済みました」


 騎士を警戒しながら馬の下まで来たラディムから、パウラを受け取った。


「逃げ切れると思っているのか? 言っておくが、王妃の父が死に兵としてくたばったことや、家族が馬賊に襲われて皆殺しにされた話は本当だぞ」


 身を切られるような思いだが、父も母も亡くなっているのは事実だろう。

 手紙の往診が途絶えている。私が家臣に任せた手紙は、届け先もないので握りつぶされていたに違いない。


「だからこの国のどこにも逃げ場はない。それにフィンティル国は早々に滅ぶ。その二人は亡国の王妃と姫に成り下がるが、亡命先などないぞ。猛悪無道の王を恨んでいるのは他の諸国も同じだ。分かったら大人しく───、ひいっ!」


 ラディムが騎士の足の間の地面に剣を突き立てた。


「王妃と姫は必ず安全な場所まで連れする。たとえ地の果てまで行くことになろうとも」


 ラディムはそう言って剣を引き抜いた。

 油断なく騎士に向けられた剣は、馬の近くまで来たときに鞘に納められた。

 地面に突き刺したことで血は(ぬぐ)われたようだ。


「王妃。少し前に()めて頂けますか?」


「これでいいかしら?」


「はい。失礼します」


 言われた通りにすると、後ろにラディムが跨った。


手綱(たずな)は私が持ちます。姫をしっかりと抱いていてください」


「分かったわ」


「行きます。それっ!」


 馬が駆け始めた。


「騎士見習いのお前に何ができる! 後悔するぞ!」


 後ろから騎士の捨て台詞が聞こえた。


「王妃と姫は、私の命に代えても必ず守り抜く」


 ラディムは振り返ることなく呟いた。


 やがて林道を抜けて視界が開けた。

 馬は蒼い月に照らされた草原を駆け続けている。


「申し訳ありません」


 しばらく無言だったラディムが口を開いた。


「何を謝っているの?」


「王妃や姫を敵に引き渡すのに協力するようなことを言ってしまいました」


「ああ、そのこと。あらかじめ不快なことを言うかもしれないと言ってくれていたじゃない。あの男を油断させるためでしょう?」


「はい。相手は熟練の騎士で私の師。騎士見習いの私が確実に王妃と姫をお守りするためには、卑怯な手を使わざるを得ませんでした」


「あなたの鼓動が激しいのは、その罪悪感からなのかしら?」


 背中に密着したラディムの胸は早鐘(はやがね)を打ち続けている。


「嫌な思いをさせてしまったわね」


「いえ、あの、その」


 すぐ後ろで顔は良く見えなかったが、ラディムの声はしどろもどろだった。


「感謝しているわ。幼いこの子にはまだ早いけれど、いつかあなたの武勇伝を聞かせるわね。ふふ。あれだけの騒ぎで起きないなんて、本当に呑気な子」


「んー」


 腕の中のパウラが、わずかに寝息を立てた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 王都陥落からそれほど時を置くことなく、フィンティル国は滅亡した。


 だがフィンティル国を滅ぼした隣国も、急激な政変によっていくつにも分裂してしまったと聞いた。

 遥か遠くのこの国まで、追手を差し向けてくるようなことはないだろう。


 追手の不安。

 両親を失った悲しみ。

 国が滅んだと聞いた時の郷愁(きょうしゅう)

 どれも過去のものになりつつある。


 王都を逃れてから、もう五年が経過した。

 城で王妃として暮らしていた日々もどこか遠く感じる。


 今では反物(たんもの)卸業(おろしぎょう)で生計を立てている。

 どうやら向いていたらしい。

 元々が貧しい小領主の娘で、家計の節約のために計算を覚えて物の購入先などをあれこれ検討していた経験が役立っている気がする。


 商売が軌道(きどう)に乗ってずいぶんと経つ。

 今日も街で仕入れをしてきた。

 運転している荷馬車が少し揺れた。

 街外れの家に向かって夕暮れの小道(こみち)を進んでいる最中だ。


 そして、王都を脱出した夜のことを語って聞かせている。


「───と、いうことがあったのよ」


「えー、お母様の嘘つき。そんな大変なことがあったら、私が眠ったままだったはずがないもの」


 隣に座っているパウラが唇を尖らせた。

 もう10歳で、あのときと比べてずいぶんと大きくなった。


「本当のことよ。私たちが生き延びられたのはラディムのおかげなの。王都を脱出したときに限ったことではないわ」


 幼い娘を連れた私だけでは、この国まで到底辿り着けなかった。

 私たちを隣国に付き出そうとする者に出くわすことはなかったものの、六、七人の野盗に二度も襲われた。

 そのときもラディムが必死に戦って二回とも撃退してくれた。


 この国に着いてからも、ラディムがいなかったら暮らしは立ち行かなかった。

 旅で資金は底を突いていたが、パウラが小さかった時期で、私は働きに出ることもままならなかった。


 ラディムは生活費を稼ぐために、身を粉にして働いてくれた。

 農作業の手伝いから荷役(にえき)まで何でもやってくれた。


「だからラディムに感謝なさい」


「もちろんしているわよ」


 パウラは城で暮らしていた頃からラディムに(なつ)いていた。

 そのラディムの影響なのだろう。

 仕事の手伝いは(いと)わないし、姫だった頃のような贅沢(ぜいたく)をさせろと言うこともない。

 ちょっと生意気だと思うこともあるが、それは愛嬌(あいきょう)範疇(はんちゅう)だ。


 良い子に育ってくれたと思う。


 だが最近になって、聞き捨てならないことを言うようになった。


「だけどラディムがいなくたって、もう大丈夫よ」


 これだ。

 パウラがこんなことを言うようになったのが気になっている。

 だから10歳の子供にはまだ早いかもしれないと思いつつも、城から逃れたときのことを詳しく話した。


 ラディムにしっかりと感謝して欲しかったからだ。


「まだそんなことを言うの? 本当に恩知らずな子ね」


「違うわよ。感謝はしているけど、もうお母様と私の二人で大丈夫だと言っているの。商売は順調でしょ? 私も手伝えるようになったし、ラディムがいなくても平気よ」


 確かにラディムがいなくても、もう路頭に迷うようなことはないだろう。

 それでも、それを言うのはやはり恩知らずというものだ。


 まだパウラには伝えていないことがある。

 今の商売を始めたときの資金を、ラディムがどうやって捻出(ねんしゅつ)してくれたのか。

 それも話すべきか迷ったが、思い止まった。


 小道の先から人が向かって来てもいる。

 近づくにつれて近所に住んでいる母娘だと分かった。

 二人ともチェニックを着て頭には三角巾(カーチフ)という、庶民女性の標準的な服装をしている。

 私とパウラも同じような格好だ。


「アグネーテさん。お帰りなさい」


「奥さん。ただいま」


 荷馬車を止めて挨拶をした。


「パウラちゃんも、お手伝いご苦労様」


「どうもー、こんにちは」


 元王妃と姫では何かと面倒なので、戦乱から逃れてきた商家の未亡人と娘ということにしてある。

 そのおかげなのか人間関係も上手く行っている。

 母親同士の交流は楽しいし、パウラも近所の子供たちと仲良しだ。


「仕事帰りよね? それなのにラディムがいないみたいだけど」


 ラディムも一緒に逃れてきた下働きということにしてある。

 仕事で出掛ける時は大抵は一緒だ。


「今日はちょっとお休みしていて」


 パウラがいなくても大丈夫だからと言って休ませようそすると、ラディムも言われた通りにしていた。


「珍しいわね」


「そうなの」


 仕事熱心でこれまで休むことなどなかったのに、首を傾げたくなる。


「それにしても、急に寒くなったわね」


「本当にそうだわ」


 肌寒さは冬の訪れを感じさせる。


「お母さん。買い物行くんでしょ」


 幼い子供が母親のスカートの裾を引っ張っている。


「はいはい。そういうことだから、失礼するわ。ほら、挨拶して」


「はーい。パオラお姉ちゃーん。さよならー」


「またねー」


 パウラが笑みを浮かべて手を振った。


「おばさんも、さよならー」


「はい、さようなら」


 子供に笑顔で言われて私も微笑んだ。


 呼ばれ方に抵抗はない。

 もう30歳になった。

 近所では自分より若い母親も子供たちにそう呼ばれている。


 荷馬車を再び走らせて街外れの自宅に戻ってきた。

 去年購入した一軒家で、庭には馬小屋や離れもある。

 もっと前から住んでいたが、借家だったものを去年買い取った。


「お帰りなさいませ。アグネーテ様」


「ただいま。ラディム」


 庭に荷馬車をとめていると、ラディムが家から出てきた。


 5年前は美少年だったが、いつの間にか凛々しい美青年へと成長していた。

 確か20歳になっているはずだ。

 服装は男性用のチェニックだ。

 腰に剣は無い。


「パウラ様もお帰りなさいませ。お仕事はどうでしたか?」


「ラディムがいなくても、全然問題なかったわ」


 パウラが平然と言うとラディムが苦笑した。


「アグネーテ様。休んでしまって申し訳ありません」


「構わないけれど、体調でも悪いの?」


「いえ、そういうわけでは。さて。反物を家の地下倉庫にしまわなければなりませんね。馬も馬小屋に入れて世話をしないと。それは私が」


「ラディムはいいの」


 パウラがぴしゃりと言った。


「ですが」


「いいと言ったらいいの」


 結局パウラが押し切り、私と二人で最後まで仕事をこなした。


「もう。食事の支度(したく)もしなくて良かったのに」


 パウラはそう言うと、ラディムが作ってくれたスープを口に運んだ。


 三人でテーブルを囲んで夕食を取っている。

 窓の外は暗くなり、テーブルには料理の他にも火を灯した蝋燭(ろうそく)が置いてある。


 暖炉(だんろ)にも火をくべてある。

 寒くなったので今日から使い始めた。


「失礼しました。パウラ様。味はいかがですか?」


「美味しいのは認めるけど」


「本当に美味しいわ。この子ったら、作ってもらったのに文句を言って」


「私が作るつもりだったの。ラディムがいなくても平気なんだから」


「またそんなことを。本当にごめんなさい、ラディム」


「どうかお気になさらず」


 パウラはラディムに楽をさせたいと思っているのだろうか。

 だが、それならいなくても大丈夫などとは言わないだろう。


 こうやって三人で五年間暮らしてきた。

 血は繋がっていなくても、ラディムは間違いなく家族だ。

 パウラは懐いていたはずのラディムを、急に邪魔だと思うようになってしまったのだろうか。


 それにラディムについても、少し気になることがある。

 一緒に暮らすことを幸せだと思ってくれているとは思う。

 だが団欒(だんらん)の最中などに、不意に寂しそうな顔をすることがある。


 今もそうだ。

 亡くした父親や家族に思いを馳せているのだろうか。

 あるいは騎士になれなかったことへの悔悟(かいご)だろうか。


 分からないまま食事が終わった。


「片づけは私たちがやるから、ラディムはいいわ」


 予想していた通りのことをパウラが言った。


「ではお言葉に甘えて。私は離れに戻らせて頂きます。お休みなさい」


 ラディムは一礼すると、いつも通り家屋(かおく)から出て行った。


「パウラ。先に片づけをしていて頂戴」


 私は一人で外に出た。

 暖炉で温まっていた中との落差で、予想以上の肌寒さを感じた。


 その寒空の下でラディムは(たたず)んでいた。

 離れには入らずに庭で空を見上げている。


「ラディム、どうしたの?」


「アグネーテ様」


 近づいて呼び掛けると、ようやく気付いた。


「フィンティル国の王都を脱出した夜も、こんな月が出ていたことを思い出しまして」


 ラディムが再び夜空を見上げたので、私もそうした。

 月が(あお)く輝いている。


「覚えているわ。あの夜、もしラディムがいなかったら、私もパウラも命を落としていたでしょうね」


「私は王妃と姫の護衛を命じられていました。お守りするのは当然です」


「でもあなたは15歳の騎士見習いだった。それなのに、主の騎士よりずっと立派だったわ。あらためてお礼を言わせて。ありがとう」


滅相(めっそう)もありません」


「ふふ。あなたの主から奪った馬にもお礼を言わなくちゃ。ラディムと私とパウラの三人を乗せて走ってくれたんだもの。重かったでしょうね」


 あの馬に乗って数ヶ月旅をして、この国に辿り着いた。

 荷馬車に使っている馬は、余裕が出来てから購入した別の馬だ。


 ちらりとラディムを見た。

 うつむいて顔を赤くしている。


「あら? どうかしたの?」


「いえ、あの、その」


 ラディムが慌てて視線を上に戻した。

 私は首を傾げたが、また空の月を眺めながら昔のことに思いを()せた。


 この国に着く頃には、手持ちの資金のほとんどを使い果たしていた。

 だからあの馬を売って資金に換えた。

 住み始めたのが粗末な長屋の一部屋で、馬をとめておけるような場所がなかったということもある。


 それでも家賃はむしり取られ、馬を売った資金も、それほど時を置かずに生活費に消えた。


「この国に辿り着いて間もない頃は、本当にご苦労をお掛けしました」


「何を言うの。私は幼いパウラの世話で働けなかったから、ラディムが一人で」


「ですが、私の稼ぎは知れたものでした」


 ラディムは懸命に働いてくれたが、移民だったことや少年という理由で足元を見られて、収入は微々(びび)たるものだった。


「そのせいで、アグネーテ様に、あのような───」


 生活はジリ貧で、やがて資金が底を突くのは明らかだった。

 私は男に体を(ゆだ)ねて資金を得ることを決意した。


「だけどそのときも、ラディムは助けてくれたわ。大事な剣を売って」


 ラディムが剣を手放したのはそのときだ。

 かなりの名剣で、相当な高値が付いた。

 そのおかげで私は身を(やつ)さずに済んだ。

 生活を立て直して商売を始めることもできた。


「もっと早くそうするべきでした」


「お父上の形見の大切なものだったのでしょう? ラディムが手放すのを躊躇(ためら)っていたのも無理はないわ」


「ですが───。本当に、申し訳ありませんでした」


「お願い。謝らないで。私たちはラディム助けてもらった立場だもの。居たたまれなくなってしまうわ」


「その分の代価はしっかりとお支払い頂いたではないですか。それに毎月充分過ぎるほどの給与を頂戴しています。気になさらないで下さい」


「それは商売が軌道に乗ってからのことでしょう? 元手が無かったら、どうにもならなかったわ」


 二人とも無言になり、どちらからともなく蒼い月を見上げた。


「あなたが剣を手放したときのことは、まだパウラに話していないの。伝えた方がいいかしら? 最近、あなたがいなくても大丈夫だなんて、恩知らずなことばかり言うでしょう?」


「どうかおやめください」


「でも」


「パウラ様は決して恩知らずなどではありませんよ」


「そうかしら?」


「そうですとも。むしろ───」


 ラディムが口をつぐんだので視線を移した。

 寂しそうな顔で月を見つめている。


「ねえ。あなたはどうして、時々寂しそうな顔をするの?」


 ラディムがはっとした様子を見せた。


「もしかして、お父上の形見の剣を手放してしまったことを後悔しているの?」


「断じて違います。振るうのとは別の形であっても、アグネーテ様とパウラ様を守るのにあの剣を役立てることができました。後悔はありません」


 ラディムの口ぶりは真実だと思えた。


「なら、騎士になれなかったことを悔やんでいるの?」


「それも違います。私は騎士には程遠い人間です。騎士見習いがせいぜいです」


「どうして、そんなふうに思うの?」


「それは───。ここは冷えます。どうか家にお戻りください」


 ラディムは目を伏せて、話を逸らすようなことを言った。


「それなら、あなたも一緒に家に戻らない? もう冬だもの。暖炉のない寒い離れで寝ることはないでしょう?」


「毛布にくるまっていれば大丈夫です」


「またそんなことを言って。離れといっても納屋(なや)じゃないの」


 私はため息をついた。


「あなたは長屋で暮らしていた頃から、私たちと同じ部屋で寝ようとはしなかったわね」


「女性と寝所(しんじょ)を共にするわけには参りません」


「でも、私たちはもう家族でしょう? それに女性といっても、おばさんと子供じゃないの」


「アグネーテ様。やめて下さい」


 ラディムが寂しそうな微笑みを浮かべた。


「だから、どうしてそんなに寂しそうに───」


「お母様。ラディムが困っているわ」


 パウラが家のドアを開けて顔を覗かせている。


「そうね。ごめんなさい」


「そんな。今日はもう失礼します。今度こそおやすみなさい」


 ラディムは一礼すると、庭を横切って離れに入って行った。


 パウラと家に戻って片づけを済ませると、同じベッドに入った。


「お母様。お休みなさい」


 パウラはすぐに寝息を立て始めた。

 昔から寝つきの良い子だった。


 だが私はなかなか眠れなかった。


 ラディムとパウラは一体何を考えているのだろう。

 何か悩みでもあるのだろうか。


 自分のことで、悩みは無い。

 反物の卸業はやりがいがあって上手く行っている。

 収入も順調に増えて、貯金もある。

 仕切りのない一部屋だけの家屋だが、庭付きの持ち家も買えた。


 城での暮らしとは比べ物にならないが、庶民としては充分裕福な部類だ。

 そして王妃だった頃よりも間違いなく幸せだ。

 王は恐怖の対象でしかなく、愛すべき夫には程遠かった。


 そういった存在に巡り合うことなく年を取ってしまったことが少しだけ残念だが、それを求めるのは高望みしすぎだろう。

 パウラとラディムという、最高の家族に恵まれたのだから。


 二人の幸せ以外に、もう望むものは無い。


 隣で眠っているパウラに少し触れた。

 そうしていると、パウラを抱きながら馬に乗っていた頃のことを思い出した。


 ラディムは後ろに乗って手綱を握っていた。

 背中にラディムの胸が触れたとき、鼓動が早鐘のように激かったことを覚えている。

 そういう体質なのかと不思議に思ったものだ。


「んー。お母様ったら私に似て美人なのに、自覚が無いんだから」


 パウラの寝言を聞いて、頬が緩むのを感じた。


「子供が親に似る訳がないでしょう。それに自分のことを美人なんて言って、生意気」


 パウラの寝顔を愛しいと思って眺めているうちに、私もだんだんと眠りに落ちて行った。


 翌朝、目覚めるといつも通り三人で朝食を取った。

 特に昨晩のことには触れなかった。


「今日は反物を卸しに行く日よ」


「そうね。でも、お母様。ラディムは今日もお休みよ」


「申し訳ありませんが、そうさせて頂きます」


 怪訝に思いつつも、ラディムに見送られながら荷馬車で出発した。


 昨日とは別の街に到着すると、順番に店を回って反物を届けて行った。

 順調で、最後の一軒を残すだけになった。


「ほらね。ラディムがいなくても平気でしょ」


 荷馬車の隣のパウラが笑顔で言った。

 もう注意する気にもなれず、ため息をついた。


「御主人、お届けに上がりました」


「ありがとう、アグネーテさん」


 最後の店に反物を卸し終えた。


「パウラちゃんも、お手伝いとは感心だねえ」


「はい。今後とも、どうぞ御贔屓(ごひいき)に」


 パウラの一人前のような口ぶりに、店の主人が笑った。


「ところでラディムは? 話したいことがあったんだがね」


「今日は休んでいるのですが、ラディムに何か?」


「実は、ウチの娘がラディムに()れちまってね」


「あら」


「あいつは男ぶりがいいからねぇ。それに仕事ぶりも真面目ときている。ウチの店の跡取りになってくれたら嬉しいんだが」


「つまり、縁談ですか?」


「そういうことだ。ウチの娘は19歳で、ラディムは確か20歳だろう? お似合いだと思うんだがねえ」


 言われてみると、ラディムは結婚適齢期になっている。

 それにこの店の娘は気立てのいい可愛らしい子だ。

 年齢も近いし、確かにお似合いかもしれない。


「いいですね。本人に聞いてみ───」


「駄目!」


 不意にパウラが大声で叫んだ。


「パウラ?」


「ラディムと結婚なんて私が許さないんだから! 駄目ったら駄目!」


「こら、この子ってば!」


 パウラは血相を変えて言い散らし続けている。

 叱っても収まらない。

 心配になって店の主人を見たが、怒ってはおらずむしろ微笑んでいた。


「ははあ。さてはパウラちゃんもか。だけどまだ早いだろう。それにラディムとは10歳も違うんじゃないかい?」


「もう充分待ったもの! それに10歳ぐらいの差なんて、どうってことないわ!」


「もう、やめなさい! ご主人、どうも失礼しました。この話はまたの機会に」


 パウラを店の外に連れ出した。


 荷馬車に乗って帰路についても、パウラは(ふく)れっ(つら)のままだった。


「ねえ、パウラ。あなた、ラディムのことが好きなの? 家族としてではなく、その、恋愛の対象として」


 恐る恐る訊ねると、パウラがため息をついた。


「違うわよ。そうじゃなくて、ラディムには好きな女性がいるの。ずっと前から」


「まあ」


 思ってもいなかったことだ。

 だがそれが本当なら、色々なことが()に落ちる。


「ラディムがときどき寂しそうな顔をしていたのは、その人のことを思っていたからだったのね」


「そうよ」


「だからパウラは、ラディムがなくても大丈夫と言っていたのね? ラディムが安心してその人と一緒になれるようにするために。所帯を持つことになれば家を出て行くことになるだろうし、仕事も変えなければならなくなるかもしれないし」


「そっちはハズレ」


「えっ?」


 驚いてパウラを見ると、どこか遠い目をしていた。


「それは告白して駄目だったときのためよ」


 意味が分からなかった。


「もしラディムが失恋してしまったとしても、家を出て行く必要も、仕事を辞める必要もないでしょう?」


「あるの。それに、相手の人が断れるようにするためでもあるわ」


 ますます分からない。


「ねえ、ラディムが好きな人が誰なのか、パウラは知っているの?」


「もちろん。だけど私よりも、お母様のほうが詳しく知っている人よ」


「ええっ!?」


 考えてみたが、まるで見当がつかない。


「うーん。一体、誰なのかしら?」


 パウラがガックリとうなだれた。


「もういいわ。ラディムに直接聞いて頂戴」


「そうね。本人に内緒で、あなたに聞いたりするのは良くないと思うし」


 そのまま荷馬車を走らせた。


「お母様。あの丘の上でラディムに告白されたら、女性は喜ぶと思う?」


 家まであと少しという場所まで来たとき、パウラが訊ねてきた。


「そうね。いいのではないかしら」


 道の横には草原の丘があり、その上には大きな木が一本そびえている。

 なかなかいい情景だ。


「お母様。ちょっと見てきて。ラディムの告白を成功させてあげたいでしょ?」


「もう。分かったわ」


 少し妙に思ったが、馬車を停めて丘を登り始めた。


「ラディムを呼んでくるわ。あの木の下で待ってて」


「あっ、パウラ」


 丘の中腹あたりに来たとき、パウラが荷馬車を走らせ始めた。


「平気よ。これまでも何回か運転していたでしょ?」


「でも、気を付けるのよ」


「はーい」


 家とはそれほど離れていない場所だ。

 大丈夫だろう。


 私は丘を登り切って木の下に辿り着いた。

 思った通り眺めがいい。

 今のような夕暮れどきなら特にそうだ。

 告白にはうってつけだろう。


 ラディムには愛する女性と結ばれて幸せになって欲しい。

 そう思いながら、パウラが戻ってくるのを待った。


 少し待っていると、下の道を馬が走って来た。

 外套(マント)を羽織った人物が乗っている。


 距離が近くなると、それがラディムだと分かった。

 荷馬車に乗ってパウラと一緒に来ると思っていたので意外だった。


 ラディムは丘の下まで来ると馬を降りた。

 手頃な細い木に手綱(たづな)を結んで馬をひと撫ですると、丘を登って来た。


 近くまで来ると、ラディムがはにかむように笑った。


 やはり凛々(りり)しい美青年だ。

 相手の女性も告白されればきっと喜ぶに違いない。

 私もなんとなくソワソワしてきた。


「パウラ様に、ここでアグネーテ様が待っていると言われました」


「そう。あの子は家にいるのかしら?」


「そのはずです」


「パウラから聞いたわ。好きな女性がいるんですって?」


「はい」


 ラディムが少し顔を赤くしてうつむいた。


「ふふ。ここは告白にはもってこいの場所ね。上手く行くことを願っているわ」


「ありがとう、ございます」


「だけど、そんな格好でどうしたの? なんだか旅支度(たびじたく)のように見えるのだけど」


「その通りです」


 ラディムの外套(マント)が風に(なび)いた。


「荷馬車の馬にも乗って来たわよね? もしかしてその女性は遠くに住んでいて、これから会いに行こうとしているの?」


「いえ、そうではないのですが」


 嫌な考えが頭をよぎった。

 まさか、(さら)って逃げる準備───。


「ねえ。その女性とあなたは歳が10離れているというようなことをパウラが言っていた気がするのだけど、10歳の女の子を好きという訳ではないわよね?」


「違います」


 ラディムが苦笑するのを見て、胸を撫で下ろした。


「ということは、あなたが好きな女性は、10歳年上の30歳ということなのかしら? 私と同じ歳の」


「はい」


 ラディムの笑みが寂しそうなものに変わった気がした。


「もし拒絶されたら、そのまま立ち去るつもりでした」


「拒絶されたら立ち去る? 家には戻らないということ?」


「そうです」


 私は頭をひねった末に、ようやく答えに辿り着いた。


「ああ。そんなに歳の離れた女性との結婚なんて認めないと私に拒絶された場合は、家を出て行くつもりだったということね」


 思わず口元を押さえて笑ってしまった。


「ラディムは大切な家族だもの。夫や恋人のいる女性と結婚したがっているなら反対もするわ。でも真面目なあなたのことだから、違うわよね?」


 ラディムがうなずいた。


「なら拒絶なんてしないわよ。パウラが言っていたことだけど、10歳ぐらいの差なんて、どうってことないわ」


 私は励ますように言った。


「ずっと前から、その女性のことを好きだったのよね?」


「はい」


「私も良く知っている女性だと、パウラは言っていたわ」


「その、通りです」


 ラディムが顔を赤くしうつむいている。

 青年というより、まるで純情な少年のようだった。


「教えてもらえるかしら? ラディムの好きは人はだあれ?」


 私が微笑みながら訊ねると、ラディムは意を決したように顔を上げた。


「それは───。私の目の前にいる方です」


 ラディムは前を見据えている。

 後ろを見てみたが、丘には誰も居ない。

 振り返った。

 ラディムが真っすぐに私を見つめていることに気付いた。


「私がずっと愛していた女性は、アグネーテ様です」


「え」


 思わずきょとんとした。

 確認するように自分の顔に人差し指を向けると、ラディムがうなずいた。


「ちょ、ちょっと。何を言っているの!」


 顔が火照(ほて)って体が熱くなるのを感じた。


「だ、だって、私たちは家族でしょう?」


「そうですね。愛するアグネーテ様と家族として一緒に暮らす日々は、私にとって幸せなものでした。同時に、家族ではあっても伴侶(はんりょ)ではないということが、辛くもありました」


 ラディムが寂しそうに微笑むのを見て、本心なのだと思った。


「───いつから、私のことを?」


「五年前に護衛を命じられて、アグネーテ様のお(そば)にいられるようになってすぐにです」


「そんなに昔から?」


「はい」


 私が25歳、ラディムが15歳の頃からということになる。

 パウラを生んではいたが、今より若かった。


 純情な少年の憧れの対象になるようなことも、有り得なくはないかもしれないが───。


「でも、それならどうしてずっと黙っていたの? 逃亡中やこの国にきて間もない頃、あなたの助けがなければ、私もパウラも生きては行けなかったわ。そのときに同じことを言われていれば、受け入れるしかなかったはずよ」


「それが嫌で、想いを胸に秘めていました」


 ラディムが目を伏せて首を横に振った。


「アグネーテ様はパウラ様を守るためなら、嫌でも私の想いに応えて下さることは分かっていました。それだけは避けたくて、胸に秘めたままにしていました」


 胸を衝かれた。


「あなたは自分の主から私たちを守ってくれたのよ。野盗からも二回も救ってくれた。想いに応えろと言う権利ぐらいあったはずだわ」


 ラディムが目をつぶった。


「私が体を売ろうとしたとき、お父上の形見の剣を手放して止めてくれたわよね? その代わりに自分にだけは身を(ゆだ)ねろとあなたが言えば、私はそうして───」


「やめて下さい!」


 ラディムが叫んだ。


「愛しているアグネーテ様を傷つけるようなことだけはしたくなかった。傷つくのを見たくなかった」


 ラディムがまた寂しげな笑みを浮かべた。


「愛しているアグネーテ様が辛い思いをされることが、私にとっても何よりも辛いことなのです」


 私は何も言えなかった。


「そして、愛しているアグネーテ様が幸せになって下さることが、私にとっても何よりも幸せなことなのです」


 私はラディムの言うことを、黙って聞いているしかなかった。


「だから、微力ながらアグネーテ様とパウラ様をお守りしてきました」


 それっきり、しばらく沈黙が続いた。


 胸の奥に何かが込み上げてきていることに気付いた。

 そして、それが決して不快なものではないということにも───。

 

「ラディム」


 私は口を開いた。


「───これを伝えるのがアグネーテ様を困らせることなのは、分かっていました。だからずっと胸に秘めているつもりでした」


「でも、パウラに伝えるように言われたのね?」


「はい。私とお母様はもうラディムに守ってもらわなくても大丈夫だから、想いを伝えても強制にはならない。だから安心して告白しなさいと」


「ふふ。生意気な子」


「かもしれません。ですが、決して恩知らずなどではありませんよ」


「そうね」


 少し笑い合って、そして見つめ合った。


「拒絶されても、仕方ないと思っています。王がご存命の頃から、私はアグネーテ様をお慕いしておりました。許されないことです」


「それは気にしないで。夫婦ではあっても、王との間に愛は無かったわ」


 私は首を横に振った。


「それよりいいの? 私は10歳も歳上で、大きな子供もいるおばさんよ? あなたが最初に好きになってくれた頃より、だいぶ歳を取ってしまったし。あなたのことが好きで結婚したがっている若い子もいるのだけど」


 今度はラディムが首を横に振った。


「私が愛する女性はアグネーテ様だけです。そして、昔も、今も、これからも、私にとって、世界で一番美しい方です」


 それは幻想だろう。

 それでも嬉しい。


「10歳ぐらいの差なんて、どうってことないわと言ってしまった後だものね。信じるわ」


 私はラディムを見つめた。

 少年の頃から私と娘を守り続けてきてくれた。

 それは同情ではなく愛だった。

 

「ラディム。あなたの愛を、受け入れます」


 そう言った瞬間、ラディムの目から一粒の涙がこぼれた。


「もったいないお言葉です。騎士見習いの頃から、道ならぬ想いを抱いていた私に」


 ラディムが指先で涙を(ぬぐ)った。


「あなたは私の騎士(ナイト)よ。だから、キスして下さる?」


「は、はい」


 ラディムが(ひざまず)いて片膝立ちになった。


「あら?」


「あの、手を」


「ええと? こうかしら?」


 私は首を傾げながら少し右手を上げた。

 それをラディムが手に取った。

 手の甲にささやかな唇の感触。


 私は反対の手で口元を押さえてクスリと笑った。


「違うわよ。立って」


 ラディムが立ち上がった。


 私は背伸びして、両手でラディムの頬を包んだ。


「えっ? アグネーテさ───」


 ラディムは最後まで言葉を発することができなかった。

 なぜなら、私が唇を塞いでしまったから。


 唇を離すと、ラディムは目を見開いて真っ赤になっていた。


「キスして欲しいのは唇によ。もう一度───」


 再び唇を重ねると、ラディムに抱き寄せられた。

 これまでに感じたことのない甘美な幸せが私を満たしている。


 長い口付けが終わると、私はラディムの胸に顔を埋めた。

 いつまでもこうしていたい。

 心の底からそう思った。


()ーちゃった」


 はっとして、声のした方向を見た。

 木の裏からパウラが顔を出している。

 ラディムと共に、慌てて体を離した。


「私って、二人を結び付けたキューピットよね」


 パウラが満足そうにうなずいている。


「パ、パウラ様。確か家で待っているはずでは」


 ラディムがしどろもどろになって言った。


「心配になって見に来たの。でも告白は成功ね。良かったじゃない」


「この子ったら(のぞ)いたりして!」


 私が追いかけると、パウラがはしゃぎながら逃げ回った。


「待ちなさい!」


「捕まらないわよー。きゃー」


 私よりずっと速い。

 私が息切れして足を止めると、パウラは丘を駆け降りていった。

 丘を下り終えると、家に向かって道を走り始めた。

 やがて遠ざかってパウラは見えなくなった。


 そうなってから二人で顔を見合わせた。

 ラディムの顔は真っ赤だ。

 私もきっと同じだろう。


「か、帰りましょうか。私たちも」


「は、はい」


 お互いにうつむいたまま丘を下った。


 ラディムが木に結び付けてあった馬の手綱をほどく。


「あの。アグネーテ様。どうかお乗りください」


「ええ、そうね」


 私は馬に(またが)った。


 ラディムは手綱を()いて歩き出した。


「あなたも乗って」


「ですが」


「昔はそうしていたじゃない」


 ラディムは少しだけ躊躇(ためら)う様子をみせたが───。


「では、失礼します」


 馬を止めると、ラディムも私の後ろに跨った。

 私の体を腕で挟むようにして手綱を握る。


「アグネーテ様。気を付けて下さい」


 馬がゆっくりと進み始めた。


「良かったわ。あなたがこの馬で立ち去ることにならなくて。こうして一緒に帰ることができるんだもの」


「───はい」


「それにしても懐かしいわね。フィンティル国からこの国に来るまで、ずっとこうやって一緒に乗っていたわ」


「───はい」


「パウラは私が抱いていたけれど、もう無理ね。ずいぶん大きくなったもの」


「───はい」


「ラディムも、あの頃よりちょっと(たくま)しくなったんじゃない?」


「あっ」


 私が少し後ろに体重を預けると、ラディムが小さく声を上げた。


 背中にラディムの胸が密着する。

 早鐘(はやがね)のような鼓動。

 それは騎士見習いだった頃と同じだ。


 10歳年上の子供を持つ女性との微かな触れ合いにも、純情な少年として思うところはあったのだろう。

 あの頃から、ラディムは私に思いを寄せていたのだから。

 それでも紳士として、(かたく)なに寝所を別にしてきた。

 だが、それも───。


 ほどなく家に戻って来ると、庭でパウラが待っていた。

 その少し手前でラディムが馬を止めた。


「お帰りなさい。お母様」


「ただいま」


 満面の笑みを浮かべているパウラに微笑み返した。


「それにラディム、じゃなくて、お父様もお帰りなさい」


「おと───」


 ラディムが言葉を詰まらせた。


「あっ、そうだわ。今夜からは、私が離れで寝てあげる」


 パウラが悪戯(いたずら)っぽい上目遣いを向けてきた。


「この子ったら、もう」


 私は苦笑した。


「ご飯の支度するわね」


 パウラが家に入って行く。


 それでもラディムは止めた馬に乗ったまま固まっていた。


 私は後ろに体重を預けて、暗くなりかけた空を見上げた。

 蒼白い月が屋根の少し上に出ている。

 もう日が暮れる時間だ。


 背中に感じるラディムの鼓動は、これ以上ないという程に激しい。


 ちょっと心配。

 今夜から大丈夫かしら?




―― fin ――




お読みいただき、ありがとうございました!

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