八咫烏は見ている - その4
「烏はうちの象徴でね、家紋にも描かれているんだ。そして、中でもこの八咫烏は『導きの神』とも称されている。そしてこの部屋は、『神殿』であり、『聖域』だ。」
そう言いながら、孝標は持っていた鍵を使い烏の間の扉を開く。
それを一目見て、思い浮かんだ言葉は『神々しい』だった。
白色を基調とした洋装の中、墨で中心に八咫烏の文様が描かれている。そして、神饌などはなく、ただ幣帛であるかのように膨らんだ紫色の巾着がたった一つ供えられていた。
「これが見たかったのだろう?どうした、入らないのかい?」
部屋に立ち入ろうとしていた足にその意思を再起させるにはあまりにも気圧される威圧感がその部屋から放たれていた。まるで、一歩進めば焼き殺されてしまうような、そんな感覚。自他よりもさらに高次の次元から覗かれているような気色悪さ。その部屋にまるで何かが居るような感覚がいつまでたってもこの身から離れない。
一刻でも早くこの場から離れるべきであると脳は語りかけているのに、この身体は言うことが効かない。
これは、この感覚は…、そうだ。この感覚は『畏怖』だ。
あの時、DEM社の海上研究要塞メルクリウス崩壊の時の文野先輩の時に感じた以来の感覚。そうだ、あの時。あの時の感覚から僕は成長を遂げた。『畏怖』は僕に成長の糧をくれる。
そうやって、僕の意識は勝手に部屋へと向かおうとする。しかし、それでも足は進まない。なぜだ、両方の眼球を後ろに向ける。見えない。首を捻って更に後方を確認する。
やっと見えた。桃花が僕の服の裾をつまんでいた。彼女の眼は、少し暗く濁っていた。だが、それでも僕の事を真っ直ぐに見つめていた。
そうだ、あの時と同じだ…。あの時もこうやって、桃花を置いていこうとしていたんだっけか。
一度、深呼吸をする。落ち着きを取り戻す。そして、ちゃんと桃花と向き合う。さっきから変なスイッチが入っていたみたいだ。
しっかりと、桃花の眼を見て、ゆっくりと瞬きをする。それに返すように、桃花は三回、素早く瞬きをする。これが僕たちのバレない会話方法だ。
そして、意を決して振り向き、一歩、また一歩と烏の間へと踏み入る。
鈍重な空気感に気圧されそうになる。だが、それでも立ち止まることはない。傍から孝標がこちらを見つめている。しかし、その彼の口から何か言葉を発されることはない。ただ、物静かにこちらを薄ら笑みを浮かべて見つめていた。
そのまま進み、そして紫色の巾着をまじまじと見る。
「これはいったい何が入っているんですか?」孝標に問う。
「…それは、お守りです。ただ、もう少し細かく言うのであればお守りよりもご神体のようなものですが。」
「ご神体...?それは何とも信心深いもので。ちなみに、この袋。中を見てもいいですか?」
「…まあ、気になるのでしたらどうぞ。止めはしませんとも。」
その返答に驚いた。本来このようなものは中身を見てはいけないのが決まりだ。見てしまっては効力が切れてしまう。意味をなさなくなってしまうからだ。
「おや、驚きになっているみたいで。あなたが思っているよりも、そこまでこれ自体は重要ではないのです。結局のところ、大切なのは偶像ではなく信仰心ですから。」
ふむ、確かに言われた通りではあるか。キリスト教の宗派も偶像崇拝の有無によって別たれているものもある。実際そこはナーバスな話題だが、どのみち信仰心が重要であるのには変わりない。しかしながら、このような場で祀られているのであろう物を不用意に触るのは信仰上良くはないだろう。
「そうなんですか。まあ、罰が当たったら嫌なんで触りはしませんけれど…。」
薄ら笑みを浮かべて彼の方へと振り向きながらそう言葉を返す。すると、
「あれ、孝標さんなぜ此処に?」と探索を終えたのであろう岩崎夫妻と楠さんが廊下の先から声をかけられる。
「ああ、楠君。いやなに、せっかくだからこの目で見たくってね。そしたらたまたま彼女らに出会ってね、せっかくだから見せてあげているのさ。」
「そうなんですか。それで、風倉様、星宮様、風の間の方へご案内いたしましょうか?」と楠さんから聞かれるが、
「いや、大丈夫だ。それに、桧の表情を見る限り特に有益な情報は見つからなかったようだからね。ここからはフィールドワークでもした方が見つかる確率は高いと思うね。」
「そうですか...でしたらお見送りの方させていただきます。」
そう彼女は言うと僕たちを玄関口へと案内する。
そこから時間が長々と経つことはなく、
「それでは皆様。お気を付け下さいませ。」そう言われながら僕たち4人は孝標と楠さんに見送られてその場を去って行った。




