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白黒のツヴァイ  作者: 曉茉夜
序章 邂逅編
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7.調子のいい大人

「そうだ……今日、真美に線香あげてないんだ。数珠はいつも仏壇の引き出しにしまってるから、朝起きたら線香あげるついでにつけてたのに、そもそも今日は仏壇の前にすら行ってねぇ……はあぁ……やっちまった」


 今朝からずっと抱いていた違和感……「何かを忘れている気がする」という不安にも似た気持ち悪さの正体が、ここで明らかになってその場にしゃがみ込む。

 そう……尊にとっては、真美を──今はもうこの世に存在しない姉を(いた)むことは、欠かせない日課だったのだ。

 寝坊した衝撃ですっかり頭から抜け落ちていたが、これまで何があっても絶対に毎朝欠かさずしていたことを忘れ、その事実に愕然とする。

 道の端で小さくなり、打ちひしがれたようにブロック塀に寄り掛かる尊。そんな彼の背を軽く叩いた香織は、元気づけるように明るく笑いかけた。


「ま、まぁまぁ! 一日くらいなら、真美さんだって許してくれるよ。帰ってすぐお線香あげればいいし! そ、それよりほら、ムムがわざわざ学校まで来るのって珍しくない? 何か用事でもあったんじゃないの?」


 身振り手振りを用いて必死に話題を変えようとする香織に、尊は己の失態に気落ちしつつも、あまり心配をかけるのも良くないと頭を切り替える。

 そして香織の言う通り、ムムがわざわざ学校まで来るのは珍しいことだった。

 ムムにはとある重要な役目がある。それは『尊の弟、鈴夢の登下校に付き添うこと』。

 堂島邸は山の上にあるが、あの山は丸ごと代々堂島家の一族が所有してきた、個人の資産である。それは行き場を無くした妖怪たちが、次の安寧の地を見つけるまでの居場所にするためなので、山にはそれはもうたくさんの妖怪が行き交っている。

 そんな中をまだ小学生の鈴夢が一人で歩くには、危険が大きすぎるのだ。山に来る妖怪は決して、堂島の人間に対し恩を感じる者ばかりではない。

 なので普段からムムは護衛のため鈴夢のランドセルに忍び込み、登下校から学校にいる間もずっと付き添っている。そういう時は大抵、ムムは鈴夢と共に帰宅すると、尊が帰るまで家で待っているのだ。

 しかし、そんなムムは珍しく自分から尊を迎えに来た。

 それには何か理由があるのかと頭上の毛玉を手の上に移動させ、顔を見て問いかける。

 すると待ってましたと言わんばかりにぴょんぴょん飛び跳ねたムムは、頭のてっぺんから丸められた一枚の紙をにょきにょきと生やした。


「……毎度思うけど、お前の体どうなってんだ……」

「ム?」

「すごい……虚空から紙が出てきた……」


 妖怪とは、人類の理屈では説明がつかない人智を超えた存在であるが、それを理解していても頭頂から物が出てくる原理に疑問を抱いてしまう。

 そもそも、胴の概念が無いのがムムの種族の特性だ。もはや出てきたところが頭頂なのかすらも怪しい。

 にょきにょきと生えてきた紙はぽんっと勢いよく飛び出て、尊の手の上に乗った。

 再びムムを頭の上に乗せてから丸められた紙を開くと、見覚えのある筆跡が連なっている。


『ハロー、学校お疲れ~。どうせお前今日もヒマだろ? 尊敬するお父様の(たっと)い仕事を手伝いたまえ。以下に現場の住所と時間書いとくから、遅れないようにヨロ~』


 文末には下手くそなピースの絵が描かれており、それがこの軽薄な文章と相まって余計に尊の向かっ腹を刺激した。

 怒りで震える手に力がこもり、紙の端がくしゃりと歪む。

 その下にはさらに『追伸。お前数珠も忘れていればスマホも忘れてんのな。頼むから親より先にボケんなよ』という煽り文句と、こちらを指さして「プギャー」と嘲笑(ちょうしょう)するような顔文字が添えられている。

 ぷっつりと堪忍袋の緒が切れた尊は、紙をぐしゃりと握りつぶし、地を這うような低い声を捻りだした。


「あ、ん、の、クソ親父ぃい……!」

「尊のお父さん……相変わらず調子いいね……」


 横から紙の内容を覗き見ていた香織は、同情するように尊の肩にぽんと手を添える。

 そして深い深いため息をつきながら力を抜き、ガシガシと頭を掻いて握りつぶしたメモを広げた。


「くっそ……やっぱり茶菓子の件、母さんにチクってやる」


 据わった目でそう呟いた尊は、その直後に隣から放たれた「というか、数珠だけじゃなくスマホも忘れてるなんて……珍しくちょっとポンコツじゃない?」という香織の呆れた声にとどめを刺され、返す言葉もなく黙り込む。

 尊は、普段からあまりスマートフォンを触らないタイプだった。基本的に連絡ツールかカメラアプリしか使用せず、ゲームも動画視聴もしないという、今どき珍しい男子高校生なのだ。

 そのため、そもそも忘れていることさえ気づいていなかったのである。


「数珠もスマホも無いってなると、ちょっとお仕事するには厳しいんじゃない? 一旦家に帰って、支度してから向かったら?」

「そうしたいのは山々だけど……香織、今何時だ?」


 険しい表情でメモの内容に目を通していた尊に問われ、肩にかけていたスクールバッグからスマートフォンを取り出すと、香織は液晶に映し出された時刻を声でなぞった。


「十六時九分。バスが来るまであと三分くらいね」


 ずっとメモに書かれた時間を捉えていた尊は、その言葉に何度目かもわからぬため息をついて肩を落とした。


「無理だな……一件、十六時半からの仕事がある。今から家に帰ったら三十分かかるし、そこから現場に向かっても間に合わない……唯一の救いは、今から向かえばギリギリ間に合いそうってことだな」

「ヒスイに頼んで、乗せてってもらうのは?」

「あいつ、今日は会合があるんだよ……ったく、親父め……俺が数珠を忘れたこと気づいてるくせに、こんな直近の仕事押し付けんなよな」


 今朝、別れ際に「何かあればすぐにお喚び下さい!」と鼻息荒くしていたヒスイだが、彼は一族の次期頭領候補だ。そんな立場にある者が、いくら主従の契約を結んだ相手からの召喚であっても、一族の会を抜け出すのは心証が宜しくない。

 確認した現場の住所は、一応今から向かえば時間に間に合うところであるし、自力で解決できるならそれに越したことはないだろう。

 そもそも、尊が使用する数珠はあくまで補助具なのだ。術を展開する際の霊力の操作を補助し、より少ない霊力で術を発動するためのものであって、それが無ければ何もできない訳ではない。

 だが、それが無ければ霊力の消耗が激しくなり、あまり高度な術を連発するには危険が伴うのも事実だった。


「ムゥ……」

「ん? なんだよムム、お前が気にすることじゃないって。さすがの親父も、数珠を忘れた人間にそんなハードな仕事は任せないだろうし……たぶん」


 妖怪は多くの場合、数珠などの霊具に触れることができない。

 それは霊具がまとう霊力と、妖怪の持つ妖力が反発しあうせいなのだが、例に漏れず妖怪のムムでは数珠を持って来られなかったのだろう。

 けれど、今回のことは寝坊により忘れ物をした尊の自業自得である。お前に非はないと頭上で落ち込む毛玉を撫で、安心させるように柔い声音で励ました。


「さて、それじゃあ俺は逆方向だからここで。またな」

「うん、また。くれぐれも、怪我しないようにね」


 メモを畳んでワイシャツの胸ポケットにしまい、香織に背を向け反対側のバス停へ走り出す。

 念を押すような香織の硬い声にひらりと手を振って、丁度やってきたバスに乗り込んだ。


「……相談、したかったけど……尊が気づかないってことは、大丈夫だよね」


 尊を乗せたバスが遠ざかっていく様を見つめ、ぽつりと独り言のように落とされた言葉は、誰にも拾われることなく淡い五月の空に消えていった。

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