5.嘘も方便
「で、旧校舎がなんだって?」
あまり聞きたくないと思いつつ、このまま無視し続けるのも無理そうなので、コーンマヨパンを包むラップを剥きながら渋々問いかける。
するとようやく聞く姿勢を見せた尊に目を輝かせ、郁也は椅子に腰を下ろして内緒話をするように声を潜めた。
「だから、お化けだよお化け。旧校舎にお化けが出るって噂!」
ウキウキと楽し気に頬を上気させる様子に、尊が「はあ」と気の抜けた息を漏らす一方、先ほどまで味方だったはずの灯は途端ににんまりと口角をあげた。
「その噂なら俺も聞いたことあるよ。確か、夜中の一時二十三分四十五秒に旧校舎の理科室に入ると、放置されてるボロボロの骨格標本が動き出す……ってやつっしょ」
「それだよ、それ! さっすが灯、こういうことには詳しいな」
旧校舎とは正式名称を『沫城西高等学校』といい、現在尊たちがいる沫城高校から三キロほど離れた場所にある。十数年前に校舎の老朽化と少子化が原因で、こちらの学校と統合された。
つい数分前はまるで興味がないと言いたげに郁也をスルーしていたのに、そんな記憶はございませんとばかりに知識を披露する灯。ホラーやオカルト系のものが大好きな彼が食いつかないのも珍しいと思っていたが、郁也をからかうために黙っていただけで、予想通り事前にネタを仕入れていたらしい。
思わず半眼になってじっとり睨みつけてしまう尊だが、それに気づけないくらいには彼らは盛り上がっている。
あまり関わりたくない気持ちは強いが、それ以上に彼らを放ってさらなる面倒ごとを起こされるのも御免だ。
尊は咀嚼していたコーンマヨパンを飲み込み、ああでもないこうでもないと熱い議論を交わす二人に口を挟んだ。
「馬鹿馬鹿しい、骨格標本が勝手に動くわけないだろ。ていうか、何で一時二十三分四十五秒なんて中途半端な時間なんだよ」
……ここで改めて補足をしておこう。まるで「幽霊や怪奇現象なんて信じていません」と言いたげな態度の尊だが、これでも彼は陰陽師の端くれである。
幽霊どころか悪霊とドンパチやるのだって日常茶飯事だし、家では当然のように契約した妖怪と寝食を共にしている。
しかし、怪異を見ることのできる人間が減少した今、その事実を大っぴらにしては奇異の目にさらされてしまうだろう。
かといって、中途半端に関心を抱く素振りを見せてはいらぬボロを出す可能性もあるため、徹底的にそういうものを信じない人間を演じていた。
……尊は、郁也や灯に己の家業のことは話していない。それが、彼らとの関係を長続きさせるための最善であると信じているからだ。
つまり、からかわれるのも想定の範囲内である。
「なんだよ、そんなこと言って。どうせ怖いんだろ」
「なるほどね。だから尊、こういう話題の時ってすぐ話逸らそうとするんだ」
ニヤニヤと憎たらしい笑みを浮かべる郁也と、楽しそうに喉奥で笑う灯に、尊は負けじと顎を煽った。
「はんっ。お化けだのなんだのって言うけど、そんな存在しないものをどうやって怖がれっていうんだよ」
代々陰陽師を生業にしてきた先祖への侮辱にも等しい言葉だが、こうでもしないと現代には馴染めない。時代は変わっている。そう語ったのは、父である真咲だ。
なので頼むから祟らないでくれよ、ご先祖様……と内心震えあがる尊だが、そのキリリと吊り上がった瞳にそんな様相は浮かばない。
傍から見れば自信に満ちたようにしか見えないその表情に、友人二人はまんまと騙されている。
「よぉし、そんなに言うなら、三人で真実を確かめに行こうじゃねーか!」
「よしきた! 正直、尊の言う通り時間が中途半端すぎると思うんだよな。絶対どこかで尾ひれがついてるに決まってる! 俺たちで、怪奇現象の正しい発現条件を調査するぞ~!」
「めんどくさ……」
途端に盛り上がって拳を突き上げる二人に対し、尊は頬杖をついて眉根を寄せ、行儀悪く牛乳パックのストローを噛んだ。
決行日はいつにするかと相談を始める友人たちに、無関心を装って聞き耳を立てながら。
◆◆◆
騒がしい昼休みが過ぎ、その後の授業もつつがなく終えてやってきた放課後。
これから部活動がある郁也や灯とは別れ、尊は一人正面玄関へと向かっていた。
(今週の土曜か……念のため、その前に下見に行かなきゃな……)
まばらに生徒たちが行き交う廊下の端を歩きつつ、昼時のことを思い返す。
結局あのあとトントン拍子で話が進み、今週の土曜日に尊を含めた三人で旧校舎に行くことが決まってしまった。
やる気満々の友人たちを止めることは不可能だと知っているので、ならば先回りして危険を潰しておこうと考えた尊である。
(ただの噂で終わっていればいいが……万が一を考えると、このまま黙ってるわけにもいかない)
あのような怪談の類は、九割が作り物だ。
しかし、例え初めは嘘だったとしても、その話が人に伝わり多くの関心を集めてしまえば、それは実体を得て真実となってしまうことがある。
口裂け女やきさらぎ駅、トイレの花子さんなどがその筆頭。
そういった『悪霊』や『異空間』というものたちも、始まりは作り物だった。
それがいつしか多くの人間の心に植え付けられ、恐怖を煽り、やがて『作り話』は『事実』へと形を変える。
人々の関心や恐怖から来る、膨大な想像力の集合体──それが、長い時を経てもなお強い影響力を持ち続ける、悪霊たちの正体だ。
とはいえ、一学校内で囁かれている程度の噂など、本来なら実体を持つほど力を得ることはほとんどない。
仮に実体化したとしてもその力は小さく、噂が風化し皆の記憶から消えれば、簡単に消滅するだろう。
だが、つい数時間前にベテラン陰陽師と白虎の眷属から警告を受けたばかりなのだ。
どれだけ些細でも不安要素は取り除くべき、と尊は辿り着いた靴箱の前で一人頷いた。
「──さっきからなに難しい顔してるの?」
今回からちょっとだけ1話毎の文字数減らしました。