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白黒のツヴァイ  作者: 曉茉夜
序章 邂逅編
2/16

2.現役高校生の裏の顔

「あっつ……」


 玄関を抜けた尊は、途端に全身を包み込む熱気に肩を落とした。

 まだ五月も中旬に差し掛かったばかりだというのに、まるで八月の真夏日のような暑さである。

 山の奥に位置する堂島邸の周辺は、平地と比べると標高が高いため、少しは涼しいはずだ。

 けれどそんな山の中でさえこの暑さだなんて、下界に降りたら溶けてしまうんじゃないか、と嫌な想像をしてしまう。


「さて、今から走っても間に合わねぇな」


 おにぎりの最後の一口を飲み込んで、ラップの残骸を丸めてポケットに入れると、両手をぱんぱんとはたいて腰に手を当てる。

 先ほど真咲に確認した時点で、時刻は八時を回っていた。

 この場所から尊が通う沫城(あわぎ)高校までの道のりは車で三十分のところにあり、普段なら七時四十分のバスに乗れば、始業時間に余裕を持って登校できる。

 しかしそのバスに乗り遅れると、一時間待たねば次のバスは来ないため、そうなれば遅刻は免れない。山に囲まれた田舎の性だ。

 ならばどうするのかと言えば、尊には一つ策がある。

 と言っても彼自身、本来ならなるべく使いたくなかった手段なのだが、背に腹は代えられないと覚悟を決める。

 じっとりと湿った手をズボンに擦り付けてから、意識を一点に集中させ、素早く手印を結んだ。


「来たれ、我と契りしものよ。汝の名──ヒスイ」


 印の締めにパンと手を打ち鳴らし、そこに息を一つ吹きかける。

 すると次の瞬間、周りの空気を吸い寄せるように、眼前に小さなつむじ風が現れた。

 そのつむじ風は不思議なことに、少しずつその輪郭を膨らませながらも一か所に留まり続けている。

 周囲の落ち葉や砂埃を巻き上げながらどんどん大きくなっていくそれは、やがて尊の身長を超えると、ふわりと瞬く間に霧散した。

 その中心から、先ほどまでは存在しなかったはずの人影が姿を見せる。

 風になびいた美しい白髪がさらりと肩を撫で、頭から生える猫科の耳がぴこりと存在を主張し、()りたての墨のように艶やかな一本角が額で煌めいた。

 神妙な面持ちで目を瞑っていたその男──ヒスイは、風が収まった頃にゆっくりとまぶたを持ち上げ、その瞳に尊を映す。

 まるで絵画から飛び出してきたような美貌と、磨かれた翡翠の宝石のように輝く瞳が、人間離れした蠱惑的(こわくてき)な雰囲気をまとっていた。

 口元を引き結び、緊張した様子の尊は左足を引いて重心を整え、生唾を飲み込む。

 周囲の空気がピリリと張り詰め、そして……──ヒスイは先ほどまでの幻妖な様相を崩し、途端にだらしなく破顔した。


主様(ぬしさま)ぁ~!」


 有名な画家が描き上げた作品にも劣らぬ美貌が、一瞬で台無しになるほどの締まりない表情で、彼は猫なで声をあげながら尊に突進していく。

 すぐさま尊は剣印を結び、宙に五芒星を描いた。


「禁!」


 そう叫ぶと同時に、描かれた五芒星が赤色の輝きを放つ。

 尊とヒスイを隔てるように現れた陣は半透明で頼りないものの、二メートルもの巨体を持つヒスイの突進を難なく弾き返した。

 ばちん、とまるで感電したかのような鋭い音が響くと、ヒスイは大げさなまでに後方へと吹っ飛んだ。

 地面を転がって手足を小刻みに痙攣させながら、体の至る所から煙をしゅうしゅうとあげている大男に、尊は口の端を引きつらせながら手を下ろす。さすがにやりすぎた。

 すると、宙で存在感を放っていた陣が、空気に溶け込むように消えていく。

 完全にその姿が消えたことを確認してから、尊は未だに地面に伏せているヒスイの下へと駆け寄った。


「悪い、ちょっと力加減ミスった」

「く、ふふふ…さ、さすが主様……この我に傷をつけるなど、里の親父殿以来ですぞ……」

「なんでちょっと嬉しそうなんだよ」


 頬を土に密着させたまま、なぜか恍惚とした表情でそう語るヒスイに、差し伸べようとしていた手を引っ込めた。


 ──魑魅魍魎(ちみもうりょう)跋扈(ばっこ)し、人と悪鬼の熾烈な戦いが繰り広げられていた、平安の折より数百年が経った現在。

 あやかし、物の怪、魔物、妖魔、怨霊……様々な呼び名を持つ彼ら異形の者たちは、いつしか『幽霊』『妖怪』『悪霊』の三種類に大きく区別され、それらを総称して『怪異』と呼ぶようになった。

 人と怪異は元来、それぞれの領域を守りながらも共存を果たしてきた。

 時には互いの領域を侵し、争い、傷つけ合いながらも、良き隣人として、共に在ろうとする者たちもいた。

 しかし……各地で都市化が進み、世の中が便利になり、自然と切り離された環境に住まうようになった人々は、いつしか怪異たちの姿をその目に映さなくなっていった。

 そうすると、怪異は人々の生活から姿を消し、誰も立ち入れない裏側の世界でひっそりと暮らし始め──ということもなく。

 憎悪や恨みに心蝕まれた悪霊が、人間を食らうため襲ったり、憑りついたり、攫ったり……

 現代日本は、数百年前とはまた違った混沌の中にいた。

 だが、見える人間がまったくいなくなってしまった、というわけではないのも事実。

 平安と呼ばれた時代より、ずっと人と怪異の間を取り持ち、秩序を保ってきた者たちが存在する。

 彼らは『陰陽師』と呼ばれ、今も昔も変わらず、人と怪異の間に起こるトラブルの解決に死力を尽くしてきた。

 そして──堂島家とは、そんな陰陽師たちの中でも群を抜いて歴史の深い由緒ある家であり、その長男として生まれた尊もまた、将来を期待されている有能な陰陽師の一人である。


「お見事です、主様。以前にも増して、さらにお強くなられたのではありませんか? えぇ、えぇ、我が保証いたしましょう! 今の主様に敵う者などおりませぬ! こうしてはいられません、すぐに近隣の下級妖怪共に主様の力を示し──」

「あーうんうん、そうだな、ありがとな、一旦落ち着け」


 地面に伏せたままひとしきりニマニマとしていたヒスイは突然起き上がり、一点の曇りもないキラキラとした眼差しを向けた。

 身長が二メートルもあるヒスイが立ち上がると、百七十四センチの尊でも強い圧力を感じてしまい、思わず後ずさる。

 マシンガンのように早口で称賛の言葉を投げかける彼の肩を叩き、尊はそれ以上長引かせまいと雑にあしらって、狩衣(かりぎぬ)に付着した土ぼこりを払い落としてやる。

 そんな様子に再度感激したヒスイは、しかし尊の服装に意識が留まり、言い足りないとは思いつつも賛美の台詞を飲み込んだ。


「して、主様。我をお喚びになるのは珍しいですな? そちらの装いをしていらっしゃるということは、これから学校とやらに行かれるのでは……?」


 顎に手を当てて首を傾げるヒスイの真っ直ぐな瞳から、尊は逃れるように目をそらす。

 ヒスイは、尊の式だ。一人前となった陰陽師は守護者となる妖怪と主従の契約を結び、それを『式』と呼んで悪霊祓いなどの仕事を補佐してもらう。

 けれど尊は滅多に彼を喚び出さない上、珍しく喚んだかと思えば、その馬鹿らしい理由に罪悪感を抱くのも無理はない。

 だが迷っている時間はないと、尊はヒスイの双眸(そうぼう)を真っ直ぐ見返した。


「ヒスイ。本当にくだらない理由で喚び出して申し訳ないんだけど……寝坊してバスに乗り遅れたから、俺を学校まで送ってくれ」


 ……そう、これこそが遅刻しないための『策』である。

 ハトが豆鉄砲を食らったように呆然としたまま硬直するヒスイに、やっぱりだめか、と内心うなだれた。

 そもそも陰陽師が妖怪と契約する理由は、その多くがほかの怪異とのやり取りを円滑にするためである。

 ヒスイのような位の高い妖怪は、こうして人の言葉を理解し会話することが可能だが、下級の怪異はそれができないことがほとんどだ。

 人に仇成(あだな)す怪異を祓うだけでなく、彼らの声を聴き、共存することを目的とする陰陽師は、怪異とのコミュニケーションが重要になってくる。

 そのような大事な役割を持つ彼に、今回のようなくだらない用を押し付けたくなかった尊だが、もう彼以外に頼みの綱はない。

 普段の陰陽師関連の仕事でだって中々頼ることをしないのに、こんなことで喚び出すのは、やはり彼のプライド的に許されないかと諦めかけた、その時……

 ヒスイは突然脚力を失ったように膝から崩れ落ち、わざとらしくおいおいと泣き声をあげた。

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