1.夢想
タイトルの「白黒」は「ものくろ」と読みます。
タグにある「ホラー」は保険です。それ目的の方には物足りないかもしれません。
バリバリと激しい轟音を立てながら、七色の稲光が走る。
尻餅をついてその様を呆然と見つめるのは、左右で白と黒に分かれた不思議な髪を持つ、少女にも少年にも見える風貌の者。
それを背に立ち塞がる一人の青年の頭上に、巨人のような黒くて太い腕が振り下ろされる度、稲光は激しさを増していく。
二本指で挟んだ一枚の札を真っ直ぐ突き出し、巨大な腕からの攻撃を受け止めていた青年は、今にも己を捻り潰さんとする化け物にも動じず、少しだけ首をひねって背後を振り向いた。
「──なぁ。契約したら、こいつを倒せるんだったよな」
不敵な笑みを浮かべるその額からは血が流れ、もはや右目は開けられない。
言葉にならず何度も頷く白黒の頭に、青年は左手を差し伸べた。
「お前は、俺に大切な物を預けてくれた。だから……俺も、お前に預ける」
なびいた黒髪の奥に覗いた緑の瞳に、どくりと心音が高鳴る。息を呑んで立ち上がり、伸ばされた手を取った。
掴んだ手はぬるりと生温かい鮮血で滑るが、気にせず隣に立って青年を見上げる。
次の瞬間、化け物の巨大な体が吹き飛ばされた。
体育館のステージまで飛んでいった化け物に目もくれず、青年は自分より小柄なその相手と向き直ると、繋いだ手の指を絡めとって目を伏せる。
「もし失敗して俺が死んだら、毎晩枕元に化けて出てやるからな」
冗談めかした青年の言葉にぷっと噴き出して、血まみれの手を握り返しながら、ふにゃりと気の抜けた笑みを浮かべた。
「それは無理かなぁ。だって────僕、死神だもん」
一件突拍子もない言葉に「そうだったな」と呆れた笑いを零すと、青年は途端にそれまでの気安い口調を改めて、古の言葉を紡いだ。
最後の一音まではっきり打ち出すと、死神と名乗ったその者の体が光に包まれる。
夏の日差しのような強い光に視界が眩み、青年はまるで風を失った凧のように膝から地面に倒れ伏した。
「僕は七詞の死神が一人、暴食の魂──ツヴァイ。今宵、君の魂を解放しよう」
血で塞がれた視界の代わりに聴覚が、死神の──ツヴァイの存在を認識する。
同時に、遠くから化け物の咆哮が轟いた。
しかしそれを最後に全身から力が抜け落ちて、襲い来る強烈な眠気に抗えないまま、青年の意識は闇へと沈んでいく。
あぁ、どうしてこんな、死にかける羽目になったんだろう。
今朝から続いた不運がここに来て最高潮になった事実に、青年はまどろみながらも内心で愚痴を零す。
もしかすると今日がこんな厄日になることは、今朝から決まっていたことなのかもしれない。
そう……繰り返される悪夢にうなされて飛び起きた、あの瞬間に──
◆◆◆
──目を開けるとそこには、知らない天井……ではなく、見慣れたクリーム色の天井が広がっている。
ここが自室であることを理解した途端、どっと湧き出る冷や汗と共に深く息を吐いた青年は、目元を手の甲で隠した。
「……またあの夢かよ……」
うんざりとした青年の言葉に返す者はなく、彼はカーテンの隙間から覗く朝日をぼんやりと見つめる。
──鬱蒼とした暗い森の中、眼前に咲き誇る真っ赤な花火。
もう朧気になった夢を、それだけは鮮明に覚えていた。
なぜなら、これは彼にとってはただの夢ではなく……彼が実際に過去に体験した出来事を、夢として繰り返しているからである。
あれからすでに九年が経とうとしているのに、悪夢は彼を掴み取って離さない。
体を起こして立てた片膝に額をつけ、固く閉ざしたまぶたの裏で夢と混ざった記憶を反芻する。
己を守るように立ちはだかり、その体躯から花火のような血潮を噴き上げた、あの少女のことを。
「……真美……」
酷く掠れた声は、誰にも拾われないまま部屋の隅へと溶け消えた。
──次の瞬間。
「グッモーニン尊! 優しい優しいお父様がモーニングコールしに来てやったぞ!」
「うっせぇ……コールじゃねぇし……」
突如激しい音を立てて開かれた扉から、着流しをまとう男が現れた。
男のハツラツとした声音に、青年──堂島尊は面倒そうに頭を掻きむしる。
そんな息子の様子に目を丸くすると、父親の真咲は腰に手を当てて首を傾げた。
「なんだ、起きてるじゃないか。お前が起きてこないって聞いたから、二時間しか寝ていないこの老体に鞭打って来てやったのに」
「何が老体だよクソ親父……つか二時間って、何時に寝たらそうなるんだよ」
布団から出てベッドの端に座り直した尊に、真咲は腰まである自身の長い黒髪を指先に巻き付ける。
「何時って、六時だろ。今回は面倒な仕事が多くて、残業しちまってさぁ……」
はぁやだやだと肩をすくめる真咲に対して、急速に嫌な汗が滲んでいくのを感じた尊は、口の端をひくりと引きつらせた。
「六時に寝て二時間……ってことはつまり、今は……」
「八時だな」
「先に言えよ!!」
予想を大幅に過ぎた時刻を告げられた尊は、転びそうになりながらもハンガーに掛けてあった制服をひっ掴み、寝間着を脱ぎ捨てる。
高校に進学して早二か月、無遅刻無欠席の記録を更新し続けている彼にとって、これは由々しき事態だ。
別にそれにこだわっているわけではないが、万が一ここで遅刻してしまうと、遅刻常習犯の友人に仲間認定されてしまう。
それだけは避けたいと意気込んで準備を進める最中、尊はふと毎朝一緒に家を出ていた弟の存在を思い出して、真咲を振り返った。
しかしいつの間にか真咲の姿は消え、開けっぱなしの扉だけが無言で立ちすくんでいる。
「マイペースだな、ほんとに……」
突然騒がしく現れたかと思えば、気配を消してさっさと立ち去る父親の掴みどころの無さに呆れつつ、どんどん進む秒針に慌てて制服の上着を羽織った。
それから愛用しているリュックを持ち、背負いながら部屋を出て、転がり落ちないよう注意しつつ階段を駆け下りていく。
そのままリビングの前を通り過ぎて玄関に向かうのだが、なぜかリビングの扉が開きっぱなしになっていた。
それを訝しみながらも素通りしようとしたその時、突然リビングの方から何かが飛んできて、とっさに右手で受け止める。
じんわりとした温かさを帯びるそれは、ラップに包まれたおにぎりだった。
「ナイスキャ~ッチ」
おにぎりが飛んできた方向に目をやると、真咲が親指を立ててイタズラが成功した子供のように笑っている。
急に投げるなよと文句が口をつきそうになるが、それよりも気になることがある尊は、ラップを剥きながら問いかけた。
「なぁ、鈴夢は? まさか一人で行ったんじゃないよな」
「ムムが一緒に行ったらしいから安心しろ。というかお前、今日学校に行って大丈夫なのか?」
「むぐ……? なんで」
気弱な弟が一人で家を出たわけではないことに安堵すると、続いた言葉に意味が解らないと首を振って、おにぎりを頬張りつつ玄関へ向かう。
その後を追いながら、真咲は呆れたように眉を下げ、自分の頬を指でとんとんと叩いた。
「また昔の夢でも見たんだろ。顔、真っ青だぞ。最近はこの辺りを妙なものがうろついてるって噂もあるし、無理して行く必要はないんじゃないか?」
おにぎり片手に靴を履きながら、先ほどまでの喧しさとは百八十度違う父親の声音に、尊は内心身震いする。
普段の胡散臭くててきとうな彼からは考えられない、その殊勝な態度に思わず振り返った。
けれど、向かい合って見た真咲の表情からは、本当に純粋な心配の感情だけが滲んでおり、尊はばつが悪くなって目をそらす。
いつも無茶ばかり言ってくるこの父がここまで心配するということは、それほど今の自分は酷い様子なんだろうか。
だがそれでも、彼の中に『学校を休む』という選択肢は生まれなかった。
「大丈夫だって、このくらい。また学校サボるようになったら、今度こそ真美に合わせる顔なくなるし」
「……そうか。あーあ、お前が休んでくれたら、残ってる仕事片付けさせるつもりだったんだがなぁ」
「おい、親だろあんた」
本気か冗談かわかりにくい真咲を冷ややかな目でひと睨みしてから、尊は今度こそ玄関の扉に手をかけた。
「それじゃ、いってきます」
「あい、いってらぁ。気ィつけろよー」
慌ただしく出ていった尊に手を振り、真咲は大きなあくびをしながらのろのろとリビングに戻る。
そのままリビングと続き間になっている和室に入り、隅に設置された立派な仏壇の前に座りこんで、慣れた手つきで線香をあげた。
よく磨かれているその仏壇の端で、快活そうに笑う少女に目を向けると、いつもと変わらないはずのその笑顔が、今日は少しだけ寂しそうに陰りを帯びているような気がした。
それが気のせいだとわかっていても、真咲はすぐにそこから去ることができず、そのまま懺悔するような乾いた声を漏らす。
「『今度こそ真美に合わせる顔がなくなる』だってよ……線香あげ忘れるほどパニックになってるやつが、何を強がってんだってな……なぁ、真美。今日一日くらいは、許してやってくれねぇか」
本来なら今頃、尊や鈴夢と同じようにドタバタと騒がしく学校へ出かけているはずだった娘の名を呼び、目を細めた。
そしてぽつりと、彼女を悼むことを日課としていた尊を擁護するような、言い訳めいたことを一人呟く。
当然それに返答はなく、写真に写る少女の笑みが崩れることもなかった。
不定期更新です。
最低でも週に一回は更新したいですが、自分と相談しつつのんびり頑張ります。