7.塔の魔法使い
塔の二階と三階は共同スペースになっているらしい。
二階には食堂や談話室。三階は魔法の実験場があるそうだ。
朝食を終えるとエルザたちは談話室に向かった。
暖炉のある落ち着いた雰囲気のその部屋には、すでに人の姿があった。
一人掛けのソファには年配の男性が座っていて、少し離れた窓辺では、エルザと同い年くらいの女の子と十歳くらいの男の子が座り込んで手遊びをしている。
「ヴィエイ、ロロット、マルク。集まってくれてありがとう」
ユリスが声をかけると三人の視線がこちらに向けられた。
「暇でしたので」
おっとりと言い、ヴィエイと呼ばれた白髪まじりの男性は目を細めた。
「来なかったらあんた来るまでうるさいでしょ。伝言を繰り返させられるライルがかわいそうだわ」
つんと女の子はそっぽを向き、男の子はこくりと無言で頷く。
「ユリス様にあんたなどと不敬な」
彼女の可愛らしいまるっとした目が冷ややかにすがめられる。
「はいはい今日も忠犬ご苦労さま」
美人というよりは可愛らしい子で、エルザよりもほんの少しだけ身長が高い。
琥珀色の目には意志の強さが宿っていて力強く、やわらかく波うつ金髪の髪はベージュっぽい色合いでほわっとして見えた。
綺麗な髪だ。エルザは自分の赤茶けた髪が好きではないから少し羨ましく思ってしまう。
何度も繰り返してきた羨望を横にやり隣にいる男の子に目を向けると、彼はこげ茶色の髪と目をしていた。色彩もだが、顔立ちも彼女と似ていない。
仲が良さそうに見えるが姉弟ではないのだろうか。
「話を流すなロロット」
「あーうるさいうるさい」
「マルクがお前の真似をするようになったらどうするんだ。子どもの面倒を見るならもっとちゃんとしろ」
「ご心配いただかなくてもマルクはとっても良い子です」
男の子は二人をただじっと見つめていたが、言い合いが続くと、てててっとグレイブに近寄り服の裾を引っ張った。
「どうした?」
グレイブはしゃがんでマルクと視線を合わせた。マルクはロロットに目を向けたあとまたグレイブに視線を戻しこくこくと二度頷いた。無口な子だ。
「ロロットはちゃんとしてると言いたいのか?」
意図をくんだグレイブが問うと、今度は身体ぜんぶを使ってマルクが強く頷く。
「マルク……!」
感極まったのかロロットがマルクに抱きつきに行った。びっくりしながらもそんな彼女の様子を見てマルクも嬉しそうにしている。
「あのふたりは姉弟じゃないよ。ロロットがマルクと一番年が近いから面倒を見てもらってるんだ」
「でも、仲が良いんですね」
いいな。と思わず胸の内からわきあがった羨望をエルザは口にできなかった。
「弟にはなれないけど、僕ならいくらでもエルザと仲良しになる自信があるよ」
「あ、いや……遠慮しておきます……」
だがわきあがった感傷は、少し慣れてきたユリスの発言によって吹き飛んだ。距離をとるエルザを見てユリスはにこにこ笑っている。
「おい小娘、ユリス様の申し出を即答で断るんじゃない」
「エルザはいいんだよ」
「いいそうだ」
グレイブの反応を見てロロットの顔が引きつっている。
「あんた、本当……」
「文句でもあるのか」
「あるわよ。なによあのユリス、なんか変なものでも食べたの?」
「ユリス様に失礼なことを言うな」
「疑問にも思わないわけ?」
「俺には及びもつかないお考えがあるのだろう」
「忠犬すぎてなんも考えてないだけでしょ」
「お前のその態度の方が俺には不思議だ。尊ぶべき人がいるというのにどうしてそうなるんだ」
そんな平行線の会話にじれたロロットは、きっとまなじりをつりあげた。
「ああもう、この犬! 話になんない!」
マルクと手を繋ぐとロロットは暖炉前のソファにどかりと座り込んだ。行儀悪く背もたれに腕をかけている。
「まったくあいつはいつまでたっても、すみませんユリス様」
「いいよ、気にしてない」
ユリスに頭を下げたグレイブは、顔をあげるとユリスの隣で目をぱちぱちしているエルザを見て怪訝な表情をした。
「なんだ呆けた顔をして」
「いえ、あの、グレイブ……怒らないんですね……」
「怒っているだろう。あいつはいつもユリス様を軽んじすぎだ」
「いえ、そうではなく」
「じゃあなんだ」
「犬、なんて言われてるのに怒らないんだなって……」
エルザの印象では、なんとなく彼はもっととっつきにくくて怒りやすい気がしていた。
それなのにさっきから怒っているのは彼女のユリスに対する態度だけで、自分に対する物言いには怒りを見せていない。
「犬はかわいいだろう」
「え?」
「だから、犬はかわいいだろう」
かわいい、だなんて彼の口から出てくるとは思わなくて反応が遅れる。
「え、あ、はい……。かわいい、ですね、はい。犬はかわいいです」
「そうだろう。忌避されるような動物に例えられたわけでもないのだから怒る道理がない」
「なるほど……?」
なんだろう。すごく意外だった。そしてさっきよりも彼と会話するのに緊張しなくなった気がエルザはしていた。
「犬はかわいいの? エルザ」
何が琴線にふれたのか、ひょいっとエルザの表情をのぞき込むようにユリスが尋ねた。
「……かわいいと思います」
「でも鷲もかわいいと思わない?」
「鷲って、ライルのことですか? そう、ですね。……鷲も、かわいいとは思います」
「そう、良かった。まあ犬もちょっとはかわいいよね。でも絶対に犬より鷲のほうがかわいいと思うよ」
「……はあ」
一体この人は何に張り合っているんだろう。だがユリスは一先ずエルザが頷いたことに満足したようだった。
「さて本題に入ろうか」
ユリスの呼びかけに、我関せずとでもいうように黙っていたヴィエイもこちらを向く。
「彼女はエルザ。八人目の塔の魔法使いだ」
「そうですか。どうぞよろしくお願いします」
ソファから立ち上がってヴィエイが挨拶をする。穏やかな雰囲気で、これまで会った魔法使いのなかでは一番話しやすそうだ。
「彼女は昨日初めて魔法を使ったんだ。色々と困ることもあるだろうから力になってあげてほしい」
「……え?」
目を大きく見開いたロロットがエルザに視線を向ける。
「あんた、いくつ?」
「十六才、ですけど……」
「じゃあ、なに、その年までたったの一度も魔法を使わずに、普通に生きてきたってわけ?」
とげとげしい声音だった。
「ふつ、う」
普通だろうか。エルザのこれまでは普通だっただろうか。
親に愛されないことも、婚約者がすぐいなくなってしまうことも、貴族には普通だろうか。
肯定も否定もできないエルザに苛立ったのか、ロロットは更に語調を強くした。
「これまで自由に塔の外で生きてきたってこと?」
戸惑いながらも、この塔の外で育ったことは事実なので頷く。するとロロットの表情がぐしゃりと歪んだ。
「冗談でしょ?」
怒っているようにも、泣いているようにも見える顔だった。
「ロロット。今日の午後は、教会への定期巡回だっただろう。それにエルザを同行させてくれないか」
「本気?」
「君は面倒見がいいだろう。適任だ」
さっきのロロットとのやり取りを聞いていなかったようなユリスの提案にエルザは焦った。
だって気まずすぎる。
「ゆ、ユリス……」
「大丈夫だよエルザ」
何が大丈夫だと言うのだろう。彼女の表情が見えていないのだろうか。
「マルクにスプーンの持ち方から教えてあげたように、エルザにもここのことを教えてやってくれるかい?」
「嫌よ……なんて拒絶は、最初から選択肢にないんでしょう?」
憎々しげなロロットに、ユリスはたのしそうに微笑んだ。
「嫌な男」
「失礼だぞ」
反射的にグレイブが声をあげた。
普段通りの彼の様子を見て冷静になったのか、ロロットの肩から力が抜ける。
「はいはい、盲目でいられてお幸せねグレイブ」
「ヴィエイ。マルクのことを頼めるか」
「勿論です、おいでマルク」
渋々だがこくりとロロットが頷くと、マルクはソファからおりヴィエイにかけよった。
「お土産買ってくるからね」
やさしげな目をしてロロットが言うと、マルクは嬉しそうに頷く。
次にエルザに目を向けるとロロットは先程までの表情を一転して、ぎっと睨みつけてきた。
「仕方ないから連れていってあげる。感謝しなさいよ」
「はい……あ、り、がとう、ございます……」
助けを求めるようにユリスを見る。だが彼はのほほんとエルザに笑いかけてくるだけだった。
「習うより慣れろだよエルザ。気負わずにいってらっしゃい」
どうやら今回に限っては、助けてはくれないようだった。