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3.塔

 その塔は、突然現れた。

「ようこそ、御使いの塔へ。君を歓迎するよ」

 首の限界まで見上げてやっと先が見えるくらいに高い白亜の塔。

 本来なら遠目からでも目立つはずのそれは、城に続く道の途中にひっそりと隠された門をくぐりぬけてはじめて存在を見せた。

「きれい」

「気に入ったのならよかった。ここが今日から君が暮らす家だよ」

 馬車から下りてすぐに感嘆の声をもらしたエルザを見ると、ユリスは嬉しそうに笑みを浮かべた。

「え?」

 だが、彼の一言はエルザを我に返らせた。

 度重なる衝撃的な出来事の連続で、ぼうっとした思考のままユリスの導きによりここまで来てしまったが、自分は彼がどこの誰かも知らないのだ。

 彼が善人である保証だって、どこにもないのに。

「階数が無駄に多いのが難点だけれど、まあ住めば慣れるよ」

「いえ、そうではなくて、待ってください。家ってどういうことですか?」

「そのままの意味だけど」

 疑問をもつこと自体不思議な様子でユリスはきょとんとしている。

「家は、家だよ。住居。君が暮らす空間。毎日を過ごす場所」

「それは、わかりますけど。私の住む家はダンテス家です」

「君はそこにいることを望んでいるの?」

「……それは」

 言葉に詰まった。ダンテス家に望んでいたいわけではない。けれど結婚以外で出られると思って来なかったので戸惑う。だってそれがこの世界の常識だったから。

「ならいいんじゃない? 今日からここに住んだって」

 貴族令嬢にそんな自由は存在しない。なのに彼は簡単に言ってくる。

「でも、だってそんな、勝手なこと」

「誰がそれを許さないの?」

 誰が? 誰がといえばそれはきっと父だ。そして母だってこんな勝手は許さないだろう。

 何年もろくに会話をしていなくともわかる。

 エルザは彼らの所有物だ。貴族令嬢とはそういう扱いなのだ。ここで過ごした十六年の人生でエルザはそれを知った。

「僕はねえ、こう見えて偉いんだ。君が家に縛られていたとしてもどうということはない」

 エルザの困惑を余所に、それにね、とユリスは軽やかに言葉を続ける。

「僕らの居場所はここだけさ、例外はないよ」

「ここだけって、どういう」

「あれ? 君もしかして本当に何も知らないの?」

 訝しげにするユリス。何故だろう。すごく嫌な予感がする。ばくばく鳴る心臓の音がうるさい。

「僕たちはさ、」

 どうしてこの人は、さっきから「僕ら」「僕たち」というのだろう。

「ユリス、ちょっと待て」

 ノアがユリスの左肩を引きながら彼を止めた。物理的にユリスから距離が離れたことで少し冷静になり、自分が息を詰めていたことに気づく。

「僕はもう散々待ったよ。エルザは今日からここで暮らすんだ」

 子どものような彼に頭が痛くなったのかノアは眉間を手で押さえた。

「そうじゃなく……。説明くらいもっとちゃんとしてやれ」

「えええええ? そんなのいる? いらないよねえ、エルザ」

 身長差があるので身体を屈めてユリスが視線を合わせてくる。

「い、いります」

「え! そうなのエルザ? いるの? そういうものなの?」

 驚きのあまりユリスがエルザの両肩を掴み顔を近づけてくる。至近距離で見ても本当に綺麗な男だ。

 綺麗すぎるからか近寄られてもやはり恐怖心は浮かんでこなかった。

 だが美術品のような造作のわりに子どもっぽい言動に、彼がどういう人間なのかますますわからなくなる。

「説明は、してほしいです」

「……そういうもの?」

「そういうものだ。凡人に合わせるということもいい加減覚えろユリス」

 嘆息しながらノアはユリスの襟首をつかむとエルザから引き離した。

「あと近い。彼女は貴族令嬢だ、淑女への接し方をしろ」

 どうやら彼はユリスに比べれば常識人らしい。

「ありがとうございます。……ノア、様」

「ノアでいい」

「わかりました、ノア。あなたたちは一体」

 きっと彼ならエルザの疑問にも答えてくれるだろう。そう思って問いかけた時、ユリスが不満そうな声をあげた。

「ずるい。抜け駆けだ。ねえエルザ、僕のこともユリスって呼んで」

「……ユリス」

 呼ばなければ子どものように駄々をこねそうだ。仕方なく彼の名を口にすると、ユリスは幸福そうに頬をゆるめた。

「うん、そうだよ。ありがとう、エルザ」

 目を細め、愛おしげにこちらを見てくる。その眼差しにたじろいだ。

 どうしてか泣きだしてしまいたくもなった。

 親から愛されなくても、婚約者に逃げられても、涙なんて出なかったのに。

「ユリス」

「なあに、エルザ」

「私たち……会ったこと……ないですよね……」

 どうして彼はずっと好意的な態度なのだろう。エルザは社交デビューもしていないから、どこかで見初められたという可能性だってない。

 どうやって、どこで、自分のことを知ったのだろう。

 エルザの問いには答えずユリスはただ静かに微笑んだ。

「ふう、疲れたよ。そろそろ中に入らない?」

 そして飄々とわざとらしげに息をつく。

「ちょっと立って歩いただけだろうが」

「僕にとっては十分すぎるよ」

 ひらひらと手を振ると、ユリスは塔に向かって歩き出す。

「彼女の部屋はあるのか?」

「もうできてるよ」

「話はどこで?」

「応接室でいいんじゃない。お茶の用意をしてもらおう」

 ユリスに続いて先に進みだしたノアだったが、エルザがついてきてないことに気づき振り返る。

「ついてきなさい、エルザ嬢」

 黒い男が、白亜の塔へ導く。

「おいで、エルザ」

 白い男が、こちらへ手を伸ばす。

 もう二度とこれまでの生活には戻れない予感がしながらも、エルザは彼らのあとを追いかけた。

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