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2.人体発火

 火の粉がぱらぱらとエルザのもとまで飛んでくる。

 男は必死に身体中をはたいて火を消そうとしているが、燃え盛る炎は全身を覆おうとしていた。

 騒ぎを聞きつけたのか通りからこちらをのぞいた人が、火の手を目にし火事だと叫んでいる。

 その声を聞いたら、こんな事態なのに心の片隅で助かったという安堵が浮かんだ。

 助かった。これから人が大勢ここにやって来る。そうなれば男たちももうエルザを害することはできないだろう。

 助かった。助かったのだ。

 よかった。

「なんだよこれ」

 無事だったもう一人の男が呆然と言葉をもらす。

 ひやりと先程の恐怖とはまた違う冷たさが内臓を重くした。

 いま自分は何を思った。

 目の前で男が燃えているのに、助かってよかったと思わなかったか。

「お前か」

 エルザに向かって男が一歩足を踏み出す。

 火元もないのに男は突然発火した。

 自然現象ではあり得ない。そしてあがった火の手は男が掴んでいたエルザの手首付近から発生していたのだ。

「お前がやったのか」

「ち、ちが……」

 エルザが何かをしたのだと思われても仕方のない状況ではある。だが、そうではない。

 どうして男が燃えているのか、エルザだって何もわからないのだ。

「化け物」

 恐怖で怯える目が自分を捉える。

 わからない。誰が悪いの? どうして男は燃えているの?

 この男は、死ぬ。炎に食われ、このままでは遠からず命を落とすだろう。

 エルザが殺すのか。

 理不尽に、こんな男たちに踏みにじられたくなかった。

 死んでしまえと、あの瞬間に思った。

 思ったけれど、思っただけのはずだった。

 わからない。エルザにそんな力はない。ないはずだ。

 でも、もしも、もしも本当に、男が言ったように自分が化け物なのだとしたら。

 今から自分は、人殺しになるのか。

「動くな!」

 強く制止する声と同時に、空中に突如出現した水が燃える男に降りそそいだ。

 滝のようだったそれは轟音をたてたあと一瞬で止み、先程までの騒ぎが嘘みたいに静寂が訪れる。

 叫びながら己の火を消そうともがいていた男は、水の勢いに押されたのかうつ伏せに倒れていた。

「怪我は?」

 先程張り上げられたのと同じ声で尋ねてきたのは夜のような男だった。

 髪も服装も真っ黒なのに目だけが金色に輝いている。

「あ、あ……あの……」

 ちゃんと話したいのに声が震えた。息が荒い。酸素がまともに吸い込めなくて、すぐ吐き出す。

「あの、男……は、」

 死んでしまった?

 エルザの怯えに気づくと男はゆっくり言い聞かせた。

「大丈夫だ。あの男はまだ死んでいない、あなたは誰も殺していない」

「死んで……ない……?」

「あなたは自分の身を守ろうとしただけだ。頑張ったな」

 労る言葉に身体から力が抜けた。

 ぱしゃりと水音を立てて地面に崩れ落ちる。

「やはりどこか怪我を……?」

 男はすっとしゃがみこんで、様子を確認しようとしてこちらに手を伸ばした。

 エルザはひどくその手が、恐ろしかった。

「ひっ……!」

 反射的な恐怖で後退る。その怯えに驚いたように、男は数度目を瞬いた。

「……すまない。軽率な行動だった」

「いえ、あの……ごめんなさい」

 水を吸い込んだドレスがどんどん重くなっていく。濡れた服が肌にはりついて気持ち悪い。

 けれど立てなかった。

 疲れていた。

 婚約者に見捨てられて、理不尽に男たちに襲われかけて、恐ろしい現象が目の前で起こった。

 箱入りの貴族令嬢なら、それだけで心に傷を負うのには十分すぎる。

 だがそれだけではなかった。

 たった一日の間で発生した過ぎたストレスは、それまで見て見ぬ振りができていたはずのことまでからめとっていった。

 どうして、こんな目にあわなくてはならないのだろう。

 身勝手に殺されて、望んでないのに価値観の異なる世界に生まれ変わった。

 日本人として身につけた常識が悲しみを増幅する。

 食文化が違う。スマホがない。車もない。女の価値が軽い。ドレスが重い。夜が暗い。

 父も、母も、エルザを愛さない。

 婚約者は誰も彼もエルザの前から姿を消していく。

 心を許せる相手なんてひとりもいない。

(私、ちっとも幸せじゃない)

 恋を捨てても幸せになれないなら、どうすればいいのだろう。

「やっと会えたね。僕の魔法使い」

 それは、この場に不似合いな華やぐ喜びに満ちた声音だった。

「お前……どうやって……」

 驚愕する黒い男の視線を追う。

「そりゃ勿論、脅したにきまってるだろう」

 さらりと物騒なことを言った人は、真っ白いローブを着た裏路地に不釣り合いな神々しい男だった。

 月の光を集めたような淡く光る白金の長い髪が、太陽に透かされてまぶしく輝く。

「監視つきの出会いなんて、無粋でかっこ悪いから嫌だったんだけどね」

 男の背後には白いローブ姿に白面をつけた異様な集団が並んでいた。

 胸の前で手を組み軽く頭を下げた姿勢をした白い集団は、男から鬱陶しそうな視線を向けられてもぴくりとも動かない。

「エルザ・ダンテス子爵令嬢」

 軽やかに近づいてきた男に、すっと手を取られ引っ張りあげられる。

 存在に面食らっていたからか触れられたというのに今度は恐怖心をいだかなかった。

「おや、ドレスがびしょぬれだ」

 それじゃあ気持ち悪いだろうと言い、男が屈んでドレスの裾をはたく。

 すると水を吸って重くなっていたドレスがふっと軽くなった。つまんでみるとすっかり乾いている。ついていたはずの泥汚れまで消えていた。

「もっとスマートに解決できなかったのかい? ノア」

 やれやれとでも言いたげな目が黒い男に向けられる。

「非常事態だったんだよ」

「例え非常事態だったとしても、僕ならもっと上手くやるよ」

「お前、誰の頼みで、俺がこんな、」

「それは僕だねえ。ご苦労様ノア、スマートではなかったけど及第点だよ」

「きゅ、おま、なん、」

 不遜な態度にノアと呼ばれた黒い男は、閉口している。

「…………あの」

「なんだい?」

「一体、今、何を、いえ、あなたは……?」

 何者なんだろう。この人は。

「僕はユリス。ただのユリスだ」

 家名がないということは平民ということなんだろうか。

 まさか、この男が? ここにいる誰よりも立場が上に見えるのに。

「それじゃあ行こうか、僕たちの居場所へ」

「僕、たち?」

「そう。僕と君、そして僕らと同じ子らの居場所」

「………………居場所」

 思い返してみればこの世界に生まれてからは、エルザの居場所なんてものはこれまでなかったように思える。

「ようこそ、御使いの塔へ。君を歓迎するよ」

 そして馬車に揺られたどり着いたのは、白亜の塔だった。

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