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失意を極めたる撤退

 楽しげにくつろぐ辰巳たちとは対照的に、瀬戸大将が率いる軍勢は沈痛な雰囲気の中で江戸へと撤退していた。


「……」


 進軍中とは打って変わって、馬上の瀬戸大将はほとんど口を開くことなくうつむいている。


「……」


 同様に、間近で朧車部隊が壊滅する様を目撃した子泣き爺も失意のどん底にあった。


「瀬戸大将様、口裂け女様の部隊が到着しました」


 小走りでやって来た骸骨武者は、瀬戸大将に救援部隊の到着を告げた。


「……口裂け女殿の部隊?」


 瀬戸大将は明らかに覇気のない声で返答した。


「はい、撤退支援でやって来たとのことで、負傷者等がいれば朧車で収容するとのことです」


「わかった。子泣き爺、今一度負傷者を確認して、朧車への収容を差配してくれ。俺は口裂け女殿に挨拶してくる」


 瀬戸大将は子泣き爺に指示を出すと、口裂け女のところへと向かった。


「どうも、瀬戸大将さん」


 暗闇の中、真っ赤な着物に身を包んだ口裂け女は、ペコっと可愛らしくお辞儀をした。鼻から上は整った顔立ちをしているが、口は耳元まで大きく裂けており、右手には長めのハサミが握られている。


「撤退支援に来たとのことだが、河越攻めはどうなったんだ?」


「中止よ中止。小田原攻めに兵力を集中させるんだってさ。理由は……言う必要もないか」


「……」


 自身の敗北が戦略変更の原因であることなど、瀬戸大将は容易に理解できた。


「それにしても、随分と派手に負けたわよねぇ。そんなに向こうは強かったの?」


 口裂け女は軽い感じで聞いた。


「強い。全く歯が立たなかった……」


「そう。で、その強い連中はこっちに向かって来てるの?」


「向かっては来ている。ただ、追撃しているという感じはないな」


「確かに、こっちも追われてるような感じはないね」


 瀬戸大将の軍勢には、追撃されているような焦りはなかった。


「ところで、小田原攻めの兵はお主らの後に続いているのか?」


「ううん。言ったでしょ、兵力を“集中”させるって」


「……そういうことか。しかし、乗り物は足りるのか?」


「もう浮かべばなんでもいいやって感じで、今必死になって集めてんのよ」


 瀬戸大将の懸念に対し、口裂け女は苦笑しながら答える。


「……ということは、強力なる小田原の軍勢をしっかりと江戸へ引き付けることが、敗残兵たる我らに課せられた使命なのか」


「あ、それは大丈夫だから。ちょっかいを出したりして相手を引き付ける役はあたしらがやるんで、瀬戸大将さんたちはそのまま江戸へ撤退しちゃってください」


「敗残兵は用なしだと申すのか」


 瀬戸大将の声は明らかに怒気を含んでいた。


「用なしというか、追撃されていない時点で、ちょっかいを出してもたぶん無意味でしょ」


「……」


 口裂け女の正直な意見に、瀬戸大将はぐうの音も出ない。


「そもそも、江戸に向かってきてるのであれば、ちょっかいを出したりする必要もないんだけどね。だからさ、瀬戸大将さんたちは江戸で雪辱を果たしたらいいんだよ」


「……わかった」


 瀬戸大将は悲しげにうなずいた。

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