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乱心

 その日の丑三つ時、江戸城内で女性の悲鳴が響き渡った。


「な、何事だ!?」


 所用からお城に詰めていた勝之助は、それを聞いて飛び起きた。


「……と、とりあえず殿のご様子を確認せねば」


 賊の侵入を危惧した勝之助は、寝間着のままで自室を出た。


「一体何が起こったのか? ……気のせいか、何やら変な雰囲気が漂っているような気がする……」


 何とも言えない違和感を覚えた勝之助は、氏吉のもとへと急ぐ。


「こ、これは……」


 氏吉の部屋のそばまで来たところで、勝之助は眼前に広がる惨状を見て絶句する。


 床や壁は傷つき、廊下には息絶えた女中や小姓の遺体が無残にも転がっていた。


「と、殿はご無事なのか? 殿、殿!」


 大慌てで部屋へ入ると、そこには寝間着姿で立つ氏吉の姿があった。


「殿、ご無事で……殿?」


 勝之助はすぐさま異変に気づく。


 氏吉の着衣は乱れ、右手には血塗られた刀が握られている。足もとには側室の亡骸があり、さらに畳の上には幾何学模様の魔法陣が描かれていた。


「爺か」


 氏吉は不気味な笑みを浮かべながら勝之助のことを見た。


「な、何をなされたのでございますか?」


「見ればわかるだろう。刃向かう者どもを手討ちにしたのだ」


「……それは偽りでございましょう」


 勝之助は恐れつつも断言した。


「ほぉ、爺も余に刃向かうのか?」


 氏吉は刀の刃先を勝之助の首筋につけた。


「……」


 勝之助は死をも覚悟したうえで、氏吉の目をじっと見た。


 視線のぶつかり合いは十数秒ほど続き、やがて氏吉は笑いながら刀を下ろした。


「ここで殺してもおもしろくないな。……爺よ、北条家が滅びゆく様、しかと見届けるがいい。行くぞ」


 いずこから現れたのか、氏吉の傍らにはのっぺらぼうの鎧武者と火の玉がおり、氏吉はそれらを引き連れて部屋を後にした。


「殿は、もののけを()び出されたのか? それとも、殿ご自身が……」


 勝之助は畳に描かれた魔方陣を見つめながら、そう結論づけた。


「……あっ、こうしてはおれん。急ぎ若君と御簾中ごれんじゅう様を城から逃がさねば」


 勝之助は慌てて部屋から駆け出した。




「勝之助、それは真なのか?」


 氏吉の嫡男である吉親よしちかは、勝之助から父親の所業を聞いて言葉を失った。


「残念ながら事実にございます」


「……止めてまいる」


「おやめください!」


 勝之助は、氏吉のところへ向かおうとする吉親の体に掴みかかって強引に制止する。


「離せ勝之助」


「離しませぬ」


 吉親は勝之助のことを振り払おうとしたが、勝之助も必死にしがみついて離れない。


「吉親、おやめなさい」


 凛とした声で吉親を制した女性が、氏吉の正室であり吉親の生母であるとくだ。


「母上まで、なぜ止めるのですか?」


「あなたにどうこうできる問題だとは思えないからです。おそらく殿のもとへ行ったところで、切り殺されるだけですよ。ですよね、勝之助殿?」


 徳はとても肝が据わっており、この異様な状況も冷静に受け止めていた。


「左様にございます。正直に申しまして、今の殿のご様子は尋常ならざるもので、人にあらずといった不気味さがございました。ですので、今は一刻も早く城を脱出し、小田原へお逃げください」


 勝之助は必死の形相で懇願する。


「……わかった」


 吉親は城から脱出することを受け入れた。


「では、こちらへ。馬車の用意がしてあります」


 吉親と徳は寝間着姿のまま、勝之助の後に続いて馬車へと向かう。


 城内は徐々に混乱が拡大しており、悲鳴や怒号、戦闘音らしき音があちこちで響き始めていた。


「なんたることだ……」


 吉親は悲痛な表情を浮かべながら先へと急ぐ。


 幸い、特にもののけなどの襲撃を受けることなく、三人は無事に馬車へと到着した。


「さ、急いで乗ってください」


 馬車では六人の忍者たちが待機しており、リーダー格の忍者が馬車の扉を開けた。


「少人数ではございますが、いずれも腕に覚えのある精鋭でございます。どうかご安心くださいませ」


「勝之助、お前はどうするのだ?」


 吉親の問いに対し、勝之助は決死の面持ちで答える。


「私めはここに残って、力の及ぶ限り殿をお諫めいたします。それが、私の務めでございますから」


「わかった。父上のこと、頼んだぞ」


「は」


 吉親と徳は馬車へと乗り込んだ。


「後は頼んだぞ」


「任せておけ。オヤジもあんまり無理すんなよ」


 リーダー格の忍者である吉田光之助(よしだみつのすけ)は、しゃがれ声でそう答え、馬車の屋根に飛び乗った。


「出せ」


 光之助の声を合図に、馬車は小田原へ向けて出発した。

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