揉め事の理由
辰巳、ユノウ、吉右衛門、奈々の四人は、今後のことを話し合うために大道寺家の屋敷へと移動した。
「私は父に話をしてきますので、みなさんは先に私の部屋へ行っていてください」
奈々は金貸しのことを相談するために直孝の部屋へと向かい、残りの三人は奈々の部屋に案内された。
「あたしたちが泊まってる部屋よりずっと広いね」
部屋の広さは二〇畳で、高級そうな桐の箪笥や蒔絵の施された飾り棚が置かれ、壁には奈々ご自慢の戦扇子コレクションが飾られていた。
「ほぉ、これは中々のものだな」
吉右衛門が戦扇子に関心を示すのを見て、辰巳は慌てて釘を刺す。
「羽田さん、大道寺さんに戦扇子の話題を振らないでくださいね。話し出すと止まらなくなりますから」
「その口ぶりからすると、辰巳殿は長話に巻き込まれたようだな。わかった、注意しておこう」
「お願いします。……あ、誰か来ますね。一応、座っておきましょうか」
廊下から足音が聞こえてきたので、辰巳たちは用意された座布団に腰を下ろした。
障子がスッと開き、奈々と一緒に大柄の侍が部屋へと入ってきた。
「お待たせしました」
奈々は辰巳たちと向かい合うように座ると、隣に座った侍のことを紹介した。
「兄の直道です」
「お初にお目にかかる。某は大道寺直道と申す。妹から話は聞いたが、咲のところで借金取りを追い払ったとのこと。某からも礼を言わせてもらう」
いかつい顔にガラガラのかすれ声と、見た目は怖そうな一方で、口調からは善人さがあふれ出ていた。
「こちらこそ初めまして、旅芸人兼冒険者の辰巳です」
「冒険者のユノウです」
「同じく、冒険者の羽田吉右衛門だ。それで奈々殿、借金の件について、お父上の協力は得られたか?」
吉右衛門の問いかけに対し、奈々は力なく首を横に振った。
「窮状は理解してもらえましたが、色よい返事はもらえませんでした」
「『上狂屋』は熊木様とよしみを通じているからな。父上とて、容易に手出しはできんのよ」
その口ぶりから、直道が熊木という人物を嫌っていることがはっきりとわかる。
同時に直道を見る奈々の表情から、直道が口を滑らせていることも想像できた。
「熊木様というのは?」
吉右衛門が尋ねた。
「熊木様は父上と同じ家老の一人で、仁仙を擁護しているやっかいなお方だ」
直道は非常に素直な性格なのか、初対面の人たちを前に本音をはっきりと口にした。
ちなみに、家老の熊木長久は直孝に次ぐ実力者である。
「奈々殿の話によれば、仁仙を擁護している者たちの中には、貴殿らのお父上に反感を抱く者がいるとのことであったが、熊木様もその一人か?」
「いかにも。熊木様は前々から父上のことを煙たく思っていて、仁仙を擁護しているのも、占いを利用して父上を追い落とすために違いない。まったく、江戸様の手先かもしれぬのに」
「兄上!」
「それ以上はダメです」といった感じで、奈々は声を上げて直道を制す。
「なんだ?」
「お話があります。みなさん、ちょっと失礼します」
奈々は直道の腕を掴むと、強引に部屋の外へと連れ出した。
「あれはしゃべりすぎだな」
吉右衛門が漏らした感想に、辰巳とユノウも同意した。
「良い人そうでしたけどね」
僅かな時間ではあったが、辰巳は直道に対して好印象を抱いていた。
「良い人には違いないだろうが、交渉事や謀には不向きだな。良いにしろ悪いにしろ、裏表がなさそうな男だ。ところで、辰巳殿とユノウ殿は、江戸様が誰のことを指しておるか、わかっておるかな?」
「ごめんなさい、ちょっとわからないです」
「あたしもです」
「そうか。では、簡単に北条家のことを説明しておこう。辰巳殿は知っておると思うが、北条家は小田原を本拠にしておる、東国屈指の大大名だ。今の小田原城主は、重政公から見て長兄にあたる、氏元公が務めておる。で、話に出ていた江戸様だが、これは江戸城主を務めておる、次兄の氏吉公のことだ」
辰巳は説明を聞きながら、「北条氏元ねぇ……日本史的には五代で終わってるけど、小田原征伐がなかったら、氏直の先にそんな名前の人が当主になっていたとしても、おかしくはないなぁ」と、改めて倭国と日本の歴史が微妙に異なっていることを実感していた。
しばらくして、奈々が一人で部屋に戻ってきた。
「失礼しました」
「おや、直道殿は?」
「兄は所用があるとかで、先ほど家を出ました」
奈々の答えを聞いて、ユノウは辰巳にだけ聞こえるようにつぶやいた。
「出されたのはイエローじゃなくて、レッドだったみたいですね」
「うん、退場だもんな」
「ただ、ちょっと出すのが遅かったかもしれないですね」
ユノウの言うとおりだった。
「それは残念だ。色々と聞きたいことがあったのだが……。仕方がない、代わりに奈々殿に伺おう。先ほど、直道殿が江戸様の手先かもしれないと言っておったが、その辺のことを教えてもらえないかな」
奈々はしばらく黙っていたが、やがて観念したように大きなため息をついた。
「……仕方がありませんね。ただし、この件は内密に願います」
辰巳たちがうなずくのを見て、奈々は話を続ける。
「今城内で、仁仙は江戸の氏吉様が、重政様の評判を落とすために仕向けた刺客ではないか、という噂が立っているのです」
「評判を落とす? なぜそのようなことをする必要があるのだ」
「お世継ぎ問題です」
「世継ぎ? はて、確か小田原の氏元様には、嫡男の氏勝様がいたはずだが」
「実はここだけの話、その氏勝様が病に臥せっており、万が一の時は氏吉様か重政様、いずれかのお子を氏元様の養子にして、お世継ぎにしてはとの話がなされているらしいのです」
「なるほど。つまり、評判を落とすことによって、自身の子が世継ぎに指名されやすい状況を作っているということか」
「そういうことです」
二人の会話を聞いて、辰巳は困惑した。
大名家のお世継ぎ問題という、どう考えても面倒くささ全開の案件に首を突っ込んでしまったからだ。
一方で、ユノウは心なしか嬉しそうな顔をしていた。
「なんで嬉しそうなの?」
「あたし、こういうの好きなんですよ。権力争いとか遺産相続とか、そういう人間関係のごたごたっていうのが。辰巳さんはこういうの嫌いですか?」
「嫌いっていうか、見てるだけならいいよ。見てるだけならね」
無論、そんな都合のいい願いが叶うわけもなく、辰巳は諦めたようにため息を漏らした。




