【9】 やもめ
目の前の男はさすがに10代のころよりは大人びているが、容色は衰えるどころか、装えば女性と言っても通用しそうな麗しさである。お互いに、というところが笑えない。
「変わらないな」
「男に変わらない、は誉め言葉にはなりませんよ。」
はあ、とため息をつくと
「戻る気はありませんし、死んだことにしておいていただけませんか?」
お願いします、と頭を下げる。
「女房はどうした?」
「・・・・7年前に・・・・」
と悲し気に目を伏せる。
(人間に生まれ変わると言って、天界に行って、今さっき貴方の前ですっころびました。)
あ、笑ったらイカン。
「どんな女だ?お前に何もかも捨てさせたのは。」
「彼女に捨てろと言われたわけではないです。わたしがなにもかも捨てて、ついていっただけです。」
幸せだった。
今も幸せだ。
なにもかもまっさらの人間の女の子のはずなのに、時々やっぱりアウロラなんだなあ、と思うことがあって、うれしくて泣きたくなる。
「失礼します。王配・・・」ドラゴン従者がそっと声をかける。
「どうした?」
「魔王君が・・・・」
*
せんせいが結婚してた・・・・。
どうして彼のような人がずっと独身でいたと思っていたのか。
父がオーレリアのお婿さん候補に奥様のいる人をもってきたりはしない。
だから、彼が今現在独身なのは間違いない。
だが、そういうことじゃない。
(せんせいには奥様がいた。)
やさしい先生がオーレリア以外の女性を妻にしていた。
きっと、きっと、オーレリアにしてくれていたように、優しくみつめて、愛をささやき、その言葉を大事に大事に聞いていたのだ。
もしかしたら、それはオーレリアが生まれる前の話で、オーレリアにはどうしようもないことかもしれないが、気持ちがこんなにも暗くなって足元がなくなるような気がするのはなぜなんだろう。
先生に愛する誰かがいたということがこんなにもショックだなんて。
痛みもひいてすっかり落ち着いたオーレリアは、好奇心からふらふらと応接室へ向かった。やはり光の御子のことが気になったのだ。
盗み聞きはお行儀が悪いのだが、オーレリアが部屋の外をウロウロしていると、音を操ることのできる魔物が手のひらに室内の音を集めて聞かせてくれた。
(なにもかも捨てて、ついていっただけです。)
オーレリア以外の女性をいとおしげに語る声をきいて、オーレリアは生まれて初めて激しい嫉妬を覚えた。
(せんせいはオーレリアのことが一番好きだと思っていたのに。)
お母さまのお膝で泣きたい。だが母は今、留守である。
そんなときはいつもアスタリオスのところに行った。
だってわかっていたから。彼は自分を「一番」にしてくれていると。
父も母もオーレリアと同様に弟たちも愛していて、だから、どうしても自分だけの父母ではないということが身に沁みていた。別にそれは当たり前のことだし、弟だって可愛いからいいのだ。
でも、アスタリオスは別だ。
アスタリオスがオーレリアだけの彼ではなかったことがどうしても消化できないのだ。
「オーレリア」
先生が探しにきてくれた。
でも今はお話したくない。子供だってひとりになりたいときはあるのだ。大好きだけど今はお顔を見るのがつらいのだ。
「どうしたの?」
「・・・・・・」
だから今は会いたくないんだってば。何を言ったらいいのか悪いのかわからないから、口をききたくないの。でもそれを貴方にうまく伝えられる術をもたないの。
先生が途方にくれていたら、そばにいて一生懸命なぐさめようと思ってた。
なのに、なんでわたくしはこんなに先生に冷たくしているのかしら。
「オーレリア?」
アスタリオスはとなりにしゃがんで顔を覗き込む。
ぷい、とそっぽをむいてしまう。
今ひとりにしてって言うのは、わがままだ。だっておうちに天敵、光の御子がいらっしゃるのだ。
みんな心配するから、ひとりにはなれない。
でも今は、はじめてアスタリオスに苛立っている。近くに寄られたら怒鳴り散らしてしまいそうだ。
貴婦人はそんなことはしない。
だから、どうしようもないモヤモヤを抱えて不機嫌全開でいるしかないのだ。
アスタリオスがしょんぼりしてるのが見なくてもわかる。
彼が悲しい想いでいるならば、歌を歌ってなぐさめようと思ってた。
もっと小さいころそう約束したらとても喜んでくれたからだ。
「きみの歌声きいたことがないんだ」
だから楽しみにしてるよ、と微笑んでくれた。
練習して上手になってからとか思ってたし、先生はいつも機嫌のよい人で、そんな時は訪れなかったわけだけど、そうでなくてもなんでもないときに歌ってあげればよかった。
そうしていれば、オーレリアが今なぐさめてあげなくとも、罪悪感を感じることなどなかったろうに。
(こんな優しくないお嫁さんは、先生にあげない方がいい。)
そのとき、もう一人の気配がした。光の御子ことルミナス王弟殿下だ。
アスタリオスはため息をついた。
今、ルミナスはオーレリアを驚かさないよう、わざと足元の草を踏む音をたててやってきた。
(この人がこんな「気遣い」してるの「わかる」自分がイヤ)
アウロラと暮らす前の自分。
王弟ルミナスに影として見いだされ、国家の役には確実に立つ任務に達成感を感じないといえば男としてうそになる。だが、
(いつも叫び出したかったし、逃げられるものなら逃げ出したかった)
けれど、アスタリオスに一つ一つ与えられた任務を達成する以外に何ができただろう。
やり遂げなければ死ぬよりほかないような仕事の連続だったのだ。
正直いつ死ぬかもわからないが、もう仕方ねえ、とか思いながら、やけくそでやってきた。だが、本人のなげやりな気持ちにも関わらず、いざとなると、アスタリオスの体は「生きていたい」と訴え、どん詰まりに見えた苦境からもかろうじて抜け出してきた。
だからアウロラに恋したときは、運命だと思った。
彼女になら食べられて死んでもいいと思ったほどに。
だが、彼女はアスタリオスを連れて行ってくれた。
圧倒的な力をもつ魔王であるのに、アスタリオスの話に耳を傾け、面白がり、一緒にいたいという願いを叶えてくれた。
・・・・・そうして、彼女にあと1年という命の終わりが訪れたとき、ふたりがどうするのかアスタリオスの希望をきいてくれさえしたのだ。
今、彼女は生まれ変わって人間になり、アスタリオスの側にいる。
愛の記憶はすべて失われているけれど、いつも彼に微笑みかけてくれる。
新しい彼女もアスタリオスを好きになってくれた。
(元気に生きていてくれるだけでいい。)
週に一度だけど一緒に過ごし、将来、また一緒に暮らしてくれる。
今度は見送るのはいやだ。
アウロラが天界に行く日は、アスタリオスは涙を止めることができなかった。
「やっぱ、やめようか?」
魔物の死は完全なる消滅だ。
人間と違って「魂」がない。化生のものとはよく言った。
どこから生まれたかよくわからないモノは、どこへいってしまったかわからない死を迎える。
そうして最初からいなかったようになってしまうのだ。
死せる魂が集う天の国。
アスタリオスはおそらく死んだらそこへゆく。
だがそこにアウロラはいない。
どんなに彼女が愉快な可愛らしい女性であっても、魔物は死んだら消えてなくなってしまうだけだ。
例えるなら、夫婦の夜を重ねても、アスタリオスとアウロラが決して子を成せなかったことがこの世の理であったことに似ている。
魂のない魔物に来世はない、それは夫婦にとって残酷な事実だった。
(もし君が魂を得るチャンスを手に入れたなら)
永遠の命を手にしてほしい。
寿命がきたらば朝露のように消えてなくなってしまうのではなく。
生まれ変わってお互いなにもかも忘れていたとしても、どこかですれ違えればそれでいい。
(生きてほしい。それがわたしのワガママだとしても。)