【6】 オーレリア
ランベール家の長女、オーレリアは生まれついて体が弱く、まったくお披露目ができなかった。
ゆえに社交界の誰もこの長女の姿を見た者はいない。
ランベール夫妻も長女を自領から出すことはなかった。
いつも熱を出したり、おおよそ床を離れることができない、はずの娘は、新しく誂えたアイリスの花色のワンピースを着て玄関に向かって走っていた。
「これっ。レディーは走り回るものではありません。」
叱る口調も、どこか切迫したものはない。貴婦人教育をしてはいても、いずれ彼女は「早逝」したことになり、アスタリオスとともに遠くへいくのだ。どこかよその貴族の家に嫁に出すための厳しい教育は必要ない。ゆえに教育方針は貴族の子女としては自由なものだ。堅苦しい礼儀作法や、人の心の裏側を読むための社交術は通り一遍で、興味の赴くままに、生物や博物、本を読むための基礎知識、心の在り方などに重きを置いてきた。
いま彼女は大好きなアスタリオス先生をでむかえに行くのだ。
週に1回の家庭教師が来る日だ。
(もうじき魔物に乗って飛んできてくれるはず。)
アスタリオス先生はものすごくキレイな男性だ。銀色の長い髪、紫紺の瞳は優し気で、話す言葉も穏やかだ。はじめオーレリアは女の人だと思ったくらいだ。
今日は何を教わるのだろう。たくさんお勉強をしたら遊んでくれる。
お茶をご一緒して、晩御飯も家族と一緒にとる。オーレリアはアスタリオス先生のお隣に座っていいのだ。
そうしてお泊りして、眠くなるまでお話して翌朝の朝食を食べたら、涙のお別れである。
アスタリオスはさすがの博学だった。
オーレリアの家庭教師をどうしようという話になったとき、
「わたしでよければ」
と手を挙げるだけのことはある。
神殿幹部の彼には、神学・博物学・医学・生物学・天文学・数学などなど、貴族の子女の教養におさまらない知識が山のように入っていた。しかも光の御子ルミナスの影の任務経験から、自国の社交に必要な知識ほか外国文化、諸外国語、政治経済などもてんこもりに備わっている。
(すいません、いっそ息子もお願いします)
思わずランベール伯爵夫妻はたのみこんでしまった。
魔王本人相手でなくとも魔物がウロウロする伯爵領で外部から家庭教師を呼ぶのは難しいからだ。
オーレリアは今年で7歳になる。
アスタリオスは35歳で、父親のドリアンとそう変わらない年齢であるが、いつまでも20代そこそこに見える。実はこれは反則で、アウロラがかけた「呪い」のせいもある。
「あんまりおじさんだと恋しづらいかもしれないからねえ」とは本人の言。
年齢はどうしようもないが、外見ぐらいは贔屓しておいてあげたい。
アウロラが彼に興味を持ったのは彼の自分への「賞賛」だった。
人間の男はこんなふうに女を評価するのか、と。それは初めて向けられた感情で、率直に言って悪くなかった。なので、できれば自分も彼に賞賛を返してあげたかった。それが「恋」というやつなのではないだろうか。
(待ってて)
人間の女のコになったら、貴方に恋をかえしてあげる。
(楽しみにしててね。)
*
その年、ランベール領の西隣、王家の直轄領に、退位された前王陛下が新たに領主としてお越しになった。隣接する領地の領主たちだけに、挨拶を兼ねたお披露目の会を催すことになり、ランベール家にも招待状が来た。
オーレリアはアスタリオスとお留守番だ。
「ドレスが着たかったかい?」
うん、ちょっぴり。
「でも先生がお留守番に来てくれたから」
その方が楽しい、彼の胸によりかかって甘える。
家庭教師にこの距離は本当はダメなのだけど、どうやらアスタリオスはオーレリアのお婿さん候補らしい。大人になっても一緒にいていいらしいことにオーレリアは満足していた。
2年前、アスタリオス先生に、お家を離れて先生のお家で暮らすのはどうかと聞かれたのだ。
先生のことは大好きだったけど、父母や双子の弟たちと別れて暮らすのは寂しかった。
だから大人になってからでいいか、と尋ねた。
先生は「うん、待ってる」と言って、ぎゅっと抱きしめてくれた。
待っててもくれるらしい。優しいダンナ様でとってもうれしい。あとは、お嫁に行くときにもっていくものを選んでおくだけである。
でも「お嫁に行くときもってくの。」と宝箱につめると、お父様もお母様もさびしそうな顔をする。
まだまだ先だから安心してね。
ポツポツ。
雨が降り出したようだ。
ダンスのレッスンでピアノを弾いてもらっていたから気づくのが遅れた。
魔物メイドが風の速さで窓をしめたり、洗濯ものを取り込んだりしている。
黒い雲で昼間なのに真っ暗になった。
雷も鳴ってきた。
オーレリアはアスタリオスの膝に乗って安全な場所を確保した。
おひざにのせてもらっても、抱き着いても、アスタリオスは嫌な顔一つしたことがない。
見つめ返す眼は父と同じく、「きみのことがかわいくて仕方ない」と告げている。
だからアスタリオスの腕の中は、父母と同じく安心な場所なのだ。
雷が鳴る。怖くはないが、ちょっとびっくりする。
雨もひどくなってきた。
白い光が瞬く。
あれ?
雷の光ではない、消えない光が見える。
雷はお空で光るが、この光は、そんなに高くないところをずーっと移動している。
「ひかり・・・?」
「うん雷だね。」
雷じゃない。だってずっと光ってる。そうしてこちらへやってくる。
ドンドンドン
誰か玄関にやってきたようだ。エントランスが騒がしい。
「雨宿りを求められてるのかな?」
アスタリオスがオーレリアを降ろして立ち上がる。なんだか見上げる横顔が凛々しいな。こんなお顔もするのね。
お客様は貴族だろうか。王領にお呼ばれされたのかな。でも馬車が来た様子がないのは変かもしれない。
バタバタと魔物メイドが部屋に飛び込んでくる。
「王配」ささやき声に緊張感が走る。
「・・・・光の御子です。」
*
大変だ。
今、邸内には人間の使用人が出払っている。
入ったばかりで不慣れなため主の外出のお供ができなかった新参メイドと、下男下女がいるくらい。
貴人の相手ができない。
「参ります。」
ヒトガタ魔のエルムが進み出た。確かにエルムならば見かけ上魔物の特徴はどこにもない。
だけど。
相手は光の御子。もし魔物だってばれたら斬られちゃうんじゃないかしら。
新人メイドを前面にだすようにして、古参のエルムがフォローしておもてなしする方針で対応する。
「先ぶれもなくスマンな」
差し出された乾いた布で無造作に銀の髪を拭いながら、おっしゃる。
アスタリオスに勝るとも劣らない、美貌。
光の御子。臣下に降り大公位を賜った、元第2王子。
新しい名をルミナス=アンジュール大公という。