その3
「あのー、実は私、これから食事だから。一時間休憩だから」
奥の休憩所――というか、裏口のすぐそばの空きスペースなんだが、そこに行った朱美さんが振り返って、大泉さんに言ってきた。それから俺に目をむける。
「どうする? 伸一くんたちも、何か食べる?」
「あ、それは遠慮しておきます。俺、さっき、外で列をつくってるお客さんたちに、俺は従業員で、店長に用があってきただけで、列に割りこんでラーメンを食う気はないんですって言っちゃったんで。食べると嘘になっちゃうから」
「あそ。じゃ、悪いけど、私だけ、勝手にね。ゆっくりしていていいから」
言って朱美さんが、あらためて休憩所をでていった。とりあえず、壁に寄りかかって待つことにする。
「あのさ、鈴池くん」
腕を組んでぼうっとしていると、大泉さんが俺に、ちょっと驚いた感じで声をかけてきた。
「ここの店長さんも女の人だったんだね。意外だった。しかも、結構若い感じで」
「朱美さんっていうんだ。鈴池朱美さん。まだ二十代だったと思う」
「ふうん」
ここの店長さん『も』って、どういうことなんだろう、と思いながら待っていると、朱美さんが戻ってきた。ラーメン丼を持っている。
「じゃ、失礼して」
言いながら朱美さんがパイプ椅子に座り、小型テーブルに丼を置いてラーメンを食べはじめた。食事を邪魔するわけにはいかないから、俺は黙ってるしかない。大泉さんも、そのへんのことはわかっているらしく、静かにしていた。
「ご馳走様」
十五分後、ラーメンを食べ終わった朱美さんがカラの丼を持って、休憩所をでていった。すぐに手ぶらで戻ってくる。
「で、自己紹介をするけど、私は、ここの店長をしている鈴池朱美です。よろしく。知ってるかもしれないけど、そこの伸一くんとは親戚だから」
パイプ椅子に座った朱美さんが、大泉さんに自己紹介をした。大泉さんも、なんだかあらたまった顔つきで朱美さんに頭を下げる。
「私は、鈴池くん――あの、鈴池って言っても、店長の鈴池朱美さんのことじゃなくて、こっちの、男子の鈴池伸一くんのことなんですけど。その伸一くんの、学校で同じクラスの、大泉弥生って言います。よろしくお願いします」
「あ、はいはい。大泉弥生さんね。どうも」
朱美さんが言ってから、ちょっと不思議そうに大泉さんを見つめた。
「それで、いきなり話の要点を聞くけど。私に会って何がしたかったの? 伸一くんも聞いてなかったみたいで、よくわからないんだけど」
「それなんですけど」
言ってから、大泉さんが深呼吸をした。何を言うのかと思って見ていたら、大泉さんが目をつぶりながら自分の顔の前で両手を合わせる。
「お願いします。このお店みたいに、ものすごく売れる、おいしいラーメンをつくるにはどうしたらいいのか教えてください!」
「は?」
朱美さんが、何を言われたのか理解できないって表情で声をあげた。ぶっちゃけると俺もである。俺みたいなラーメン好きが言うならともかく、ただの女子高生がラーメンってどういうことだ。
「あの、ちょっといい?」
俺と同じく、状況を把握できてないって表情で朱美さんが大泉さんに声をかけた。
「どうして、そんな」
「あ、それは、ちゃんと説明します」
大泉さんが顔の前の両手を離し、ちょっと下をむいて話をはじめた。
「実は、私のお姉ちゃんが、去年からラーメン屋をはじめたんです。ところが、あんまりうまく行ってなくって。それで、もし借金なんかして、そのままお姉ちゃんのお店が潰れちゃったら、私までピンチになっちゃうじゃないですか? だから、なんとかして助けてあげたいって思ったんです」
「あ、なるほどね。そういうことなんだ」
うなずく朱美さんに、大泉さんもうなずいた。俺も納得する。ここの店長さん『も』って、そういうことか。ついでに言うと、ラーメン屋に裏口があることを大泉さんが知ってる理由も理解できた。
「で、私もネットで調べたりしたんです。そうしたら、経営コンサルタントとか、フードコーディネーターなんていう、そういう世界の専門家がいるってことがわかって。でも、私には、その人たちを雇うようなお金なんかないし。で、どうしようかって思ってたときに、鈴池くんが」
名前を言われたから目をむけたら、朱美さんも大泉さんのことを見ていた。両方の視線を受けた大泉さんが、あっという顔をする。
「あの、いま言った鈴池くんっていうのは、店長の鈴池朱美さんじゃなくて、こっちの、同級生の鈴池伸一くんのことなんですけど。その伸一くんがラーメン好きだってことを思いだして。だったら、売れているラーメン屋さんで、しかも仲のいい店長さんがいるんじゃないかな。その人にお願いすれば、お姉ちゃんのお店をなんとかしてくれるんじゃないかって考えて」
「そうか、ピンチなんだね」
大泉さんの説明に、朱美さんがうんうんとうなずいた。似たような経験をしたから、そのへんのことは他人事じゃないんだろう。それはいいけど、俺はそういう理由で利用されたわけか。
で、今度は朱美さんが口を開いた。
「確認するけど、そのお姉さんのやってるラーメン屋って言うのは、ここの近く? 最寄りの駅って、どこ?」
「あ、駅はですね」
大泉さんの言った駅は、ここから三つ先だった。朱美さんが安心したような顔をする。
「じゃ、お客さんの奪い合いにはならないね」
朱美さんが言い、俺のほうをちらっと見た。なんか嫌な予感がする。
「ということみたいだよ。伸一くん、行ってあげれば?」
「あ、やっぱり俺ですか」
失敗しても責任はとれないのに。第一、俺みたいなのが行ったって、相手の人が話を聞いてくれるかどうか。俺と朱美さんのやりとりに、大泉さんがちょっと不思議そうな顔をした。
「どうして伸一くんが行くの? 私、店長の朱美さんにお願いしたんだけど」
「だってさ」
朱美さんがおもしろそうな顔で返事をした。
「この店のラーメンメニューって、半分以上、伸一くんが考えたものだし。繁盛してるのも、みんな伸一くんがだしてくれたアイデアのおかげだし。私なんかが大泉さんのお姉さんのお店に行ったって、なんにもできないからさ」