その3
「で、さっきの話に戻りますけど」
俺は皐月さんのほうをむいた。
「それで皐月さんも、どうしてラーメン屋じゃなくて、中華料理屋で仕事をしていたんですか」
「あ、それは、ラーメン屋で修行すると、そこの味しかつくることができなくなっちゃうじゃないですか。私は、自分のつくりたい味があったから、ほかのお店の味に染まりたくないって思っちゃって。あと、普通のラーメン屋はチャーハンがありますけど、ほとんどのラーメン専門店はチャーハンがありませんよね? だから私は、チャーハンもだせるラーメン専門店にしたいって思ってたんです。そうすれば、ほかのラーメン専門店と差別化が図れるだろうし。そう思って、ここで仕事をしていたんです」
なるほど。それはそれで、やっぱり考えていたわけか。納得しながら聞く俺の前で、皐月さんが話をつづける。
「それで、一年くらい仕事をしていたんですけど、去年の四月ごろ、店長が、私に跡を継がないかって言ってきたんです」
「え、それは急な話ですね」
「はい。私も驚いて話を聞いたんですけど、店長が言うには、自分は年だから、そろそろ引退する。奥さんももういない。子供はいるけど、違う仕事に就いてる。だから、自分の代わりに店をやっていく気はないかって」
「ははあ」
「それで私も言ったんです。自分がなりたいのは中華料理屋じゃなくてラーメン専門店なんです。だから、店長の仕事をそのまま引き継ぐことはできないんですけどって。そうしたら店長が笑って、全然構わない。自分だって、何も取り柄がないから中華料理屋をやっていただけだ。味付けは化学調味料任せだったし。ただ、廃業すると、リフォーム代とか、かえって金がかかるから譲るんだ。あとは好きにやっていいって言ってくれて」
「それはまた、うれしいことを言ってくれましたね」
「はい。それで私、営業許可証とか、賃貸契約の名義変更をしただけで、ほとんどお金を使わずに、このお店を自由に使えることになったんです」
「そりゃ、夢が叶ってラッキーでしたね」
飲食店が潰れまくってるこんな時代に、よくラーメン屋を開く気になったなと思っていたが、そういうことだったのか。――あとで調べてわかったことだが、個人飲食店の後継者不在問題っていうのは、あちこちで話題になっていることだった。この店の前の店長も、皐月さんに跡を任せられてほっとしていることだろう。
「それで私、はりきってラーメン屋をはじめたんですけど」
ここで皐月さんの声が、あんまりほっとできない感じになった。
「なんて言うか、いままで、よくきてくれたお客さんもこなくなっちゃって。私のラーメンって、ダメだったのかなって」
「それで伸一くん、どうしたらいいと思う? 麺? スープ? どこから変えればいいの?」
ここで弥生さんも言ってきた。皐月さんも心配そうに俺を見ている。
「確かに、ラーメンは口で味わったし、耳で聞きたいことも聞きました」
そろそろアドバイスに入る時間かな、と俺も思った。いや、その前に。俺は皐月さんのほうをむいた。
「レシピがあると思うんで、それも見せて欲しいんですけど」
「あ、はい」
皐月さんが素直にうなずいて、厨房の奥へひっこんだ。すぐにノートを持ってくる。
「先に言っておきますけど、このレシピをネットに公開したりはしませんから安心してください」
言って俺はノートを受けとった。寸胴に入れる豚骨と鶏ガラ、煮干し、鰹節の量とか、下処理のやり方、煮込み時間が書いてある。やっぱりダブルスープだったか。あと、化学調味料の表記はなかった。
「あ?」
醤油ダレなんだが、材料に昆布が使われてる。これは俺も気づかなかったな。
「あの、何かおかしかったですか?」
俺の声に、皐月さんが不安そうな顔で聞いてきた。
「いえ、こっちのことです。昆布の味がわからなかったから、量を増やすべきだと思っただけで。――ところでこのレシピ、どれくらい試行錯誤してつくったんですか?」
質問したら、皐月さんが照れ笑いみたいな顔をした。