学園ファーストタイム
王立学校では入学生が六つのクラスに分けられ、それぞれのクラスに専用の教室が与えられている。その教室に教師がやってきて授業をする、というシステムになっている。
セリーヌ様とギルバート様が同じクラスなことを確認して教室に入ると、リュディヴィーヌ様とコレット様が一番後ろの席に並んで座っていた。
リュディヴィーヌ様はこちらに気付くと、手をふりふりと振った。コレット様もぺこりと頭を下げている。
教室の中には貴族のほかに、ボクのようなメイドや執事の姿を見える。友達になれると良いけど。
「では、俺は下がります」
「ああ、分かった。また帰りに頼むよ」
「あれ、ギュリヴェールはギルバート様の使用人枠じゃないの?」
「そんな訳ないだろ。お茶も満足に煎れられないんからな。それに、さっきの入学式での騒ぎを見ただろ? 俺が居たんじゃ授業にならなくなるって。学園の警備をすることにもなってるしな」
たしかに、輝剣騎士隊が教師として訪れるってだけであの騒ぎだったもんね。
ギュリヴェールも腐りきってはいるけれど輝剣騎士隊の副隊長だし、そんな人物が教室の中に居たら皆集中出来ないかも。
「今めちゃくちゃ失礼なこと考えなかったか?」
「ぜーんぜん。じゃあね、ギュリヴェール」
「あぁ。ギルバート様のこと、頼むぜ」
「……ん。分かった。ボクに出来る限りね」
ボクが小声で答えるとギュリヴェールは安心したように教室から出て行った。
「では、座ろうか」
「そうしましょう。席の場所などは決まっていないのですよね?」
「そうだね。自由な所に座っていい。授業ごとに場所を変えても問題はないよ」
「そうなのですね。では、リュディヴィーヌ様の近くに行きますか?」
「そうだな……」
「セリーヌ様っ」
「! ロシーユ。貴女も同じクラスだったのね、嬉しいわ」
セリーヌ様が満面の笑みを浮かべる。
ロシーユ様が一緒、ということは……!
きょろきょろと周りを見回すと、教室の端の方に立っているボクの親友、シリアと目があった。
シリアはボクの方をじっと見ていたらしく、視線が合うと同時に微笑んでくれる。
「すみません、お邪魔でしたか……?」
「いや、そんなことはないよ。セリーヌ、彼女の近くに座ろうか」
「良いんですの? ありがとうございます」
セリーヌ様が嬉しそうにロシーユ様とギルバート様に挟まれて着席する。
ボクはシリアの方に向かう。
「シリア、ご主人様たちが同じクラスで良かったね」
「うん。セシルと一緒で良かった……」
「ボクも」
やっぱり友人と一緒に居られるというのは心強いもんね。
シリアと並んで主人達の様子を後ろで見守っていると、がらりと扉が開いて一人の老人が入ってきた。
その瞬間、騒がしかった教室が静まり返る。
何故なら、入ってきた人物は皆が良く知る人物だったからだ。
輝剣騎士隊が一人。歴戦の勇士――アスランベク・グリアゼフ。
ボクの記憶にある頃よりも白くなった頭髪は、彼が老人であることを示している。皺のある顔には大きな傷が縦に入っていた。
アスランベクは『私語は許さない』と告げるような鋭い金の瞳で周囲を見回してクラスのメンバーが全員揃っていることを確認すると、教室の後ろに立つ使用人たちに目をやった。
「今から、自分の授業を始める。自分は貴君らの入学テストの結果を知らぬ。故に、初日の授業は貴君らの学力がどの程度なのかを把握するため、テストを行う。無論使用人らの分は用意していない。使用人諸君は一時間ほど出ていきたまえ」
アスランベクの言葉に従い、使用人が全員教室から出ていく。
ボクもそれに従い、主人の健闘を祈りつつ廊下に出た。頑張れ、セリーヌ様。
「一時間は長いな……どこかで休憩してくるか」
「そうだな」
廊下に出た使用人たちが小声で話しながら、散り散りになって歩き出す。
うーん、たしかに一時間は長いなぁ。ボクはどうしよう。
「セシルは、どうするの……?」
「いきなり休憩って言われたもんね……シリアは何か思いつくことある?」
「……私は、授業が終わった後にお嬢様が摘まめるように、お菓子を用意しようと思って……」
「あ、いいねそれ。テストで頭使うだろうし、甘いものが有れば喜ぶよね」
流石シリアだ。いつでもロシーユ様のことを考えてて凄いなぁ。
「うん。一緒に、作る……?」
「そうしたいけど、ご主人様の許可なく勝手にお互いの部屋に行くのはダメなんだよね」
「ん……そっか……じゃあ、今日は別々に作ることになるね……」
「そんな残念そうな顔しないでよ。シリアの分も作るから、後で作ったお菓子、交換しよ?」
「ぁ……うん……!」
「楽しみにしてるよ。ボクも気合入れて作るから」
「私も、頑張って作るね……」
「うん。ボクはちょっとだけセリーヌ様の様子を見てから行くよ」
「分かった……また、後でね……」
シリアと手を振って別れ、ボクは窓からこっそり教室の中の様子を伺った。
セリーヌ様の様子を見る、というよりもボクが気になったのはアスランベクの方だった。
昔は朗らかな老人になりそうだなって思ってたのに、今の彼はにこりともせず、冷徹にさえ見える鋭い瞳で生徒たちを睨みつけている。
二十年という月日の間に何があったかは分からない。でも、かつて僕を可愛がってくれていたアスランベクのあんな目を見るのは少し寂しいなぁ。
……こうして見つめ続けていてもしょうがないか。部屋に戻ってセリーヌ様のお菓子、作らなきゃ。
ボクは教室から離れて寮へ向かった。
その途中、正面から一人の女性が歩いてくるのが見える。
シャルロッテだ。
彼女は腰に提げた剣を揺らしながら、真っ直ぐに正面を見つめ歩いている。
その姿は記憶にある幼げな姿など消え失せた、一人前の騎士そのものだった。
「ん。君、使用人か。今は授業中じゃないのかい?」
わぁっ! びっくりしたっ。
綺麗になったなぁって思いながら見つめていたら突然話しかけられて、ボクの心臓が跳ねる。
まさか話しかけられるとは思ってなかった。ええと、ちゃんと答えないとっ。
「わぁ、ぼ、ボクのことですよね。えっとその、アスランベクが使用人は出ていくように、と」
「……君。少々無礼じゃないか? 国を守護する騎士を呼び捨てなんて」
はわっ、しまったっ、慌ててロランの時の呼び名で話しちゃった……!
眉根を顰めてこちらを見つめるシャルに慌てて頭を下げる。
「申し訳ありません。驚いてしまって、ついアスランベク先生がした自己紹介のままを口にしてしまったんです」
「そうか。気を付けた方が良い。ぼくは気にはしないが、輝剣騎士隊の中にはそういう礼儀に厳しい人物もいるし、王族や他の貴族に見られれば、君や君の雇い主の印象にも関わるだろう?」
「は、はい。申し訳ありませんでした」
うぅ、叱られちゃった。がっくり。
肩を落とすボクの様子を見て、シャルは困ったように眉根を下げる。
「えっと、すまない。ぼくの言い方がきつかったかもしれないけど、ただ君を心配しただけなんだ」
「いえ、そんなことは……仰る通りでしたし」
「納得して貰えたなら良いんだよ。落ち込ませてしまってごめんね」
シャルが浮かべたぎこちない笑顔は、二十年前と何一つ変わっていなかった。
……そうだよね、変わるものもあれば、変わらないものもある。
例え今、シャルがエリザやギュリヴェールと違う道を見つめていたって、きっと仲直り出来るはずだよね。
「落ち込んでないですよ。シャルロッテ様がお綺麗なので、緊張してしまっただけです」
「……へ? ぼくが、綺麗?」
「はい。とても」
にっこりと笑顔を浮かべると、シャルの顔が見る見るうちに赤くなる。
フフ、シャルってば可愛い反応してくれるなぁ。セリーヌ様もこういうリアクションをしてくれるなら幾らでも『綺麗だ』って言ってあげるのに。
もしもセリーヌ様に綺麗だなんて言おうものなら、忌々しい脂肪のカタマリを張って「知ってますわ」と満面の笑みで返してくるのが分かり切っている。なので絶対言ってあげない。
「……そんなことを言われたのは、久しぶりだよ」
「そうなのですか?」
「うん。……君の名前、聞いても良いかな」
「セシルです。セシル・ハルシオン。でも、どうして名前を聞くんですか……? ボクはただのメイド、ですよ?」
ボクが名乗ると、シャルは遠くを見つめるような目をしながら微笑みを浮かべた。
「何故だろうね……君の褒め方が、昔ぼくのことを綺麗だって言ってくれた人にそっくりだったから、かな」
うっ。それ、僕のことだ。
そっくりなのは当然だ。なにせセシルの半分は、ロランなのだから。
昔からシャルは顔立ちが整ってて、エリザと一緒に居ると妖精が二人並んでいるみたいだったからなぁ。ついついシャルやエリザのことを綺麗だって褒めていたんだよね。
まさか勘付かれるなんてことはないだろうけど、口は禍の元だ。気を付けないと。
「それに、君も自分のことを『ぼく』って呼ぶよね? 女の子らしくないのに」
「そ、そうですね」
「ぼくもこの通りだからさ。さしづめボクっ子仲間を見つけたからってところかな」
「ボクっ子仲間……あはは」
「ふふっ、よろしくね、セシル」
「はい。こちらこそ」
「出来ればゆっくり話をしたいのだけれど、ぼくは用事があってね。申し訳ないけど、これで失礼するよ」
「畏まりました。ご忠告ありがとうございました、シャルロッテ様」
「うん。また会おう、セシル」
歩き去るシャルの背中を見送る。
……ハッ、しまった。急いで部屋に戻ってセリーヌ様のお菓子を作らないと!
慌てて寮に走ったボクは授業が終わるまでになんとかクッキーを完成させることが出来、テストを終えてぐったりだったセリーヌ様からお褒めの言葉をいただいたのだった。
☆
慌ただしい入学初日が終わった。
セリーヌ様は食堂で夕食を取り終え、自室内でボクの淹れたハーブティーを飲みながら疲れを癒していた。
「はぁ、疲れましたわ……」
「お疲れ様です、セリーヌ様」
「ええ、流石に初日はくたくたね。しっかり疲れを取らないと」
「そういえば、この寮には大浴場があるんでしたね。そこでゆっくりすれば良いじゃないですか」
王族や貴族が入寮しているだけあって、めちゃくちゃ豪華で大きな浴場だったはずだ。
そんなお風呂にゆっくり漬かれば、疲れも吹っ飛ぶだろう。
「ええ、そうね。じゃあ、行きましょうか?」
「へ?」
「へ? じゃないわよ。普段は入浴は別のメイドにやってもらっていたけれど、今はセシルしかいないのよ? 当然、セシルが背中を流してくれないと」
「……あ、ぁぁ……!」
そ、そうだったーっ! ボクのバカ! なんでこんな大切なことを忘れてたんだ! こうなるに決まってるんだから、絶対にお付きのメイドとして学校に行くのは拒否しなきゃいけなかったんだ……!
普段の入浴時のお世話を、ボクは断固として断っていた。理由? 簡単なことだ。
一緒にお風呂に入るなんてことになればセリーヌ様は当然裸になる訳で、そうなると、あの胸部の膨らみをモロに目にすることになる。
そんなことになってしまったら、ボクの心の中の憎しみゲージが降り切れてしまうこと間違いなしだ。
ついでにボクも裸になれば、セリーヌ様にまず間違いなくバカにされるだろう。
『豊乳体操とやらの効果はないみたいですわね』なんてにっこにこしながら言われたらボクは憤死してしまう。
「嫌です! ぜぇったいに嫌です! 一人で入ってください!」
「うふふ、いつかセシルと一緒にお風呂に入りたいと思っていたのよ。その夢が叶うだけでもこの学校に入学したかいがあったというものね」
「そんな一切合切ボクに得のない夢はゴミ箱に捨ててください!」
「あら、得はあるでしょう? わたくしの肢体に触れられるのよ? 宝石も霞むくらいに美しいこの身体を隅から隅まで洗えるなんてとてつもないご褒美じゃない」
「ひっさびさに出ましたねセリーヌ様の高慢発言! 皇子と婚約してから鳴りを潜めてたのにっ」
「ほらほら、行きますわよ~♪」
「うわぁぁん! 嫌だぁあぁぁぁー!」
ボクはセリーヌ様にお風呂セットを持たされ、背中をぐいぐい押されて部屋の外に出された。
それからはあんまり覚えていない。ただ寮の廊下に出たら『フィッツロイ家のメイドとして情けない所は見せてはいけない』という想いが働き、自発的に入浴場に向かっていたような気がする。
そして、ボクは気づけば大浴場の中に立っていた。
無論、全裸で。
周りを見渡せば、同じく裸の女性達がふざけあったり、背中を使用人に洗って貰ったり洗いっこしたりしている。
なんだここは、地獄という名の天国かな?
はっ、いけない。なにかイケない感情が湧き上がってきてそうな気がする。
落ち着けセシル・ハルシオン! お前は可愛い女の子なんだぞ! 邪な感情はロランと共に死んだんだ!
自分に言い聞かせ、落ち着こうと試みるボク。
「セシル、さ、背中を流して頂戴」
そんなボクの努力を嘲笑うかのように現れたのは、 一糸纏わぬ姿のセリーヌ様だった。
アレだけバカにされることを嫌っていたボクの思考は、一瞬で凍り付く。
綺麗だ。
そんな感想しか浮かばなかった。
透き通るような白い肌に、嫌でも嫉妬してしまう凄まじいスタイルの良さ。
こんなの、卑怯すぎるよ。綺麗だって思うに決まってるじゃないか……。
「……あら? どうしたの? セシル、顔が真っ赤よ?」
「……っ、も、申し訳、ありません……」
うぅぅ、うぅぅぅ~~! 顔が、顔が熱いよぅ……!
他人と一緒に入浴したことがなかったボクは、同性にすら裸体を晒すのが恥ずかしかった。
頭から湯気が出そうなほど赤くなっているのが自分でも分かる。
そんなボクを見て、セリーヌ様は意地悪く口元をニヤリとさせたのが見えた。
そうだよねっ、セリーヌ様が攻撃のチャンスを逃す訳がないよね!
「うふふ……聞いてみようかしら? セシル? わたくしの身体はどうかしら?」
「う、ぐぅ……っ……。……ぃです」
「なぁに? 聞こえないわよ?」
「お綺麗です……」
「ふふふ、知っているわ」
蚊の鳴くような声で呟くと、セリーヌ様は胸を張って満面の笑みを浮かべた。案の定な反応だよくそぉ!
「さ、洗ってくれるかしら?」
「……はい……」
敗北感と恥ずかしさに頭を沸騰させながら、ボクは目の前に座ったセリーヌ様の白磁のような肌を洗う。
「ふふ。幼馴染なのに、一緒にお風呂へ入ったことがないの、気にしていたのよ?」
「そう、だったんですか?」
「ええ。ロシーユがシリアと一緒に入ったことがあるって言っていて、羨ましくてしょうがなかったのよ? セシルったら、誘っても絶対に断るんだもの」
「それは、その、ごめんなさい」
だってぇ……一緒にお風呂だなんてドキドキして落ち着く所じゃないもん。
入浴は一日の疲れを癒す時間だ。すべての仕事を終えて一人でゆっくりくつろいで入るものだとボクは思っている。
一緒にお風呂だなんて考えたこともなかったのに、どうしてこんなことになっちゃったんだろ……。
「さ、背中を流してくれるかしら」
にこり、と振り向きセリーヌ様が微笑む。
今は大好きなその笑顔も直視できなかった。これ以上はのぼせて倒れちゃいそうだよぉ。
目を回しかけながら、ボクはセリーヌ様の肌をピカピカに磨いた。
それにしてもなにこの胸、ホントにデカすぎるでしょ……。
自分の体を見下ろせばすっとんという擬音が聞こえそうな有様で、悲しみと恥ずかしさがこみ上げてくるばかりだ。だれかたすけて。
「ありがとう。流石セシルね、気持ちよかったわよ」
「左様で、ございますか……それは良かったですよ……」
一度熟してしまえば平気になるかもしれないと思っていたけど、こんなの無理だ。絶対に慣れることがないと断言出来る。
洗い終えると、「先に温もっているわよ」と告げて、セリーヌ様は大きな浴槽の方へと歩いて行った。
ボクは周囲を見ないようにしつつ、自分の身体を綺麗に洗う。
そして、セリーヌ様の方へと歩いて行った。
中央の剣を象ったモニュメントからお湯が出ている豪華な浴槽は、魔法技術に長けたヘスペリス特有のものだろう。下水もしっかり整備されているしね。
寮に住む女性全員が一緒に入れそうなほどに広い浴槽に足を入れ、ボクはざぶん、とセリーヌ様の隣に体を沈めた。
「気持ちいいお湯ね」
「……そですね」
「これから毎日セシルとお風呂に入れるなんて、嬉しいわ」
ひぃん、ボク、ストレスで死んじゃうかも。
ぶくぶく口を湯に沈めて泡立てながら、ボクはこの恐ろしい重労働が毎日行われることを憂いて、そっと心の涙を流したのだった。