それは、まるで運命のように
「ギルお兄様♪」
ホールから出た所で、可愛らしい声が聞こえてきた。
振り向くと、そこに立っていたのはリュディヴィーヌ様と、先ほど新入生代表として挨拶をしていたコレット様だった。
「リュディ。どうしたんだ?」
「檀上からお兄様が見えたものですから、挨拶に参りました」
ふんわり、背後に花が咲いたかのような可憐さでリュディヴィーヌ様が微笑む。
うーむ。こうして近くで見るとますます若かりし頃の女王様にそっくりだ。
「初めまして。遠くから見たことはありましたが、こうして挨拶させていただくのは初めてですわね。セリーヌ・フィッツロイです」
「はぁい。よろしくね、セリーヌ。この子はコレット、優しくしてあげてね。まだ貴族社会になれてない市井の出の子だから」
リュディヴィーヌ様が後ろの方に居たコレット様の背中を押して前に来させると、コレット様は「きゃあっ」と驚きの悲鳴を上げ、バランスを崩してしまった。
そして、そのままギルバート様にもたれかかるように倒れ込んでしまう。
「おっと。大丈夫かい?」
「――っ。は、はいぃ……」
みるみるうちにコレット様の可愛い顔が紅くなっていく。
まぁ仕方ないよね。ギルバート様のあの顔が近くにあったら、女性なら誰だって照れると思う。
コレット様は身体を硬直させ、全く動けなくなってしまっていた。
「貴女、いつまでギルバート様に抱き着いていますの?」
「ひゃうっ。ご、ごめんなさいっ……!」
セリーヌ様の冷たい声色に我に返ったコレット様が慌ててギルバート様から離れる。
嫉妬かな? フフフ、セリーヌ様ったら可愛いんだから。
「ほ、本当にすみません、あの、あたし……」
「淑女たるもの、みだりに殿方の身体に触れるのは感心しませんわよ。わざとでないのは分かっていますけど」
セリーヌ様がコレット様を真っ直ぐ見ながら助言する。
コレット様はこくこくと何度も頷いていた。
「コレット、自己紹介をしないのも失礼になっちゃうから」
「あっ、ご、ごめんなさい。あたし、コレット・パーシヴァルです。よ、よろしくお願いします」
「コレットったら。ごめんね二人とも、本当は明るい子なのだけれど、今日は緊張しているみたい。セリーヌとギルお兄様の後ろにいらっしゃる方々は?」
「メイドのセシル・ハルシオンです」
「ギュリヴェール・ロマンガです」
「ギュリヴェール? ……もしかして?」
「そうです。可愛らしいお嬢さん、輝剣騎士隊の副隊長のギュリヴェールですよ。皆からは〝天才剣士〟と呼ばれていますね。俺なんてまだまだなのですが、それでもあなたのような麗しいお方を守るために全力を尽くす所存です」
コレット様の問いかけに、ギュリヴェールが決め顔を作る。
こいつ、コレット様が手を出しても大きな問題にはならない市井の女性だと見てナンパモードに入ったな。
本当に進歩の無いやつだ。可愛い女性と見ればすぐに手を出そうとして。バカじゃないの?
ギルバート様とセリーヌ様はあきれ顔を浮かべ、リュディヴィーヌ様は苦笑している。
ボクはため息をつきながら、ギュリヴェールの耳を引っ張った。
「いでえっ! な、なにしやがる!」
「バカな顔をしているからですよ。コレット様はリュディヴィーヌ様と仲が良いご様子です。失礼なことをするとクビが飛びますよ?」
「セシルの言う通りだよ、ギュリヴェール。その悪い癖は直した方が良い」
「ぐっ……すみません」
「何が天才剣士だよ。『天災竿師』の間違いでしょ」
「それは酷すぎないか!?」
「……ふ。くくっ……セシル、あまり笑わせないでくれないか」
「ええ。ふふふっ、少し下品ですわよ」
「あははっ、面白いメイドさんね。セシルって言ったかしら」
「失礼いたしました。リュディヴィーヌ様、コレット様」
ギュリヴェールが恨みがましそうにこちらを見つめてくるがボクは無視した。いっそまたあの看板を首に掛けられてしまえ。
「セシルね。お兄様から話は聞いているわ」
「えっ?」
「っ、リュディ。あまり王宮内でした話を外でするのは、やめてくれないだろうか」
「お菓子がおいしいからいつも食べ過ぎてしまうって。うふふ」
ふぁ~! 皇子に話題に出して貰えてたんだ!
どうしよう! すっごく嬉しい!
「ありがとうございますっ! ギルバート様! 学校でも作りますから、また食べてくださいね!」
「……あ、ああ。当然だよ。リュディの言った通り、僕は君のお菓子が大好きだから」
「やたっ。その時はセリーヌ様もお連れしますから。ねっねっ? 良いですよね? セリーヌ様!」
「セシル、はしゃぎすぎよ。恥ずかしいでしょう? ……ギルバート様、ごめんなさい。セシルもお菓子をお出ししたいみたいですし、良いですか?」
「ああ。勿論だ。婚約者の来訪を断る理由はないよ」
「えっ……婚約者、なのですね」
コレット様が驚いたような声を上げる。
一般市民の人からしてみれば、一五歳という若さで結婚相手が決まっているのは珍しいことだ。
ギルバート様には許嫁はいらっしゃらなかったし特に大きく発表があった訳でもないから、セリーヌ様が婚約者に決まったことは市井の人々には知られていないのだろう。
「ええ。コレットさんにもいい人が見つかると良いですわね」
「そ、そうですね。ギルバート様みたいに素敵な人が見つかれば嬉しいです。セリーヌ様もギルバート様もとってもお綺麗で……お似合いですね」
「ありがとう」
セリーヌ様が嬉しそうにする。
うん、本当にお似合いだね。このまま二人で幸せな未来を築いていってほしい。
その時は美味しいお菓子を一杯作ってお祝いするんだ。
「いいなあ。私も行っていい? お兄様があんなに嬉しそうに話したお菓子、食べてみたいなあ」
「ええ。是非リュディヴィーヌ様もお越しになってくださいませ」
「ありがとう♪ コレットも一緒に行きましょ」
「え。い、良いんですか?」
「うん。勿論よ! ね?」
「はい。実はわたくし、あまり世間のことには詳しくありませんの。良ければ、色々お話しを聞かせて貰えると嬉しいです。コレットさん」
「わぁ、ありがとうございます」
コレット様がやっと満面の笑みを浮かべる。
さすがセリーヌ様だ。コレット様の緊張を解してあっという間に友人になっちゃった。
一方天災竿師のギュリヴェールは一人寂しそうにギルバート様の後ろに佇んでいた。可哀想な奴。
全く、仕方ないなぁ。
「ギュリヴェール、君の分も作ってあげるけど、あまりナンパとかしないでよね。ギルバート様に迷惑なんだからさ」
「……俺の分も良いのかよ」
「ギルバート様の護衛なんでしょ、しっかりしなよ。ギュリヴェールは天才剣士なんだからさ」
苦笑交じりに言うとギュリヴェールの顔がぱぁっと明るくなる。分かりやすいなぁ。
「全く、輝剣騎士隊たるものマイナスの感情は顔に出すな、でしょ」
「……久しぶりに言われたよ、隊長のその言葉」
「ふふっ、だろうね」
「言う立場になってたからなぁ」
「セシルはギュリヴェールと仲良しなのね?」
「いえ、全然」
「そこを否定すんな。しかも即答じゃねぇかよ」
だってリュディヴィーヌ様が言った瞬間にセリーヌ様とギルバート様が凄い勢いでこっち向いたし、付き合ってるなんて疑われたくないもん。
「ただリュディヴィーヌ様が綺麗だねって話をしてたんです」
「そうだったの? ありがとう♪」
「ええ。本当にリュディヴィーヌ様はお美しいですわ」
「セリーヌくらいの美人に褒められると嬉しくなっちゃうな♪」
「綺麗で優しいのに、とってもお洒落で……あたしもリュディヴィーヌ様みたいになりたいです」
「ええ。コレットさんの言う通り、色んなもので自分の美しさを際立たせていて凄いですわ。特にそのリボン、まるでリュディヴィーヌ様のために作られたみたい。とても似合っていますわ」
「……その誉め言葉が一番嬉しいよ。セリーヌ」
しゅるり、とリュディヴィーヌ様がリボンを外して自分の手に乗せ、自慢するように皆に見せる。
「このリボンはね、お母様……ヘスペリス女王から譲ってもらえたものなの」
「え……?」
ボクは思わず声を漏らした。
だって、それなら、そのリボンは……。
「お母様がこの学校に入学する時、プレゼントして貰ったものなんだって」
「そうだったのですね」
「うん。とても大好きだった初恋の人から贈られたものだって言ってた。ボロボロでシミだらけだったんだけど、大切にしまわれてたの。私がそれを見つけたら色々話をしてくれて。それで欲しいって言ったら譲ってくれたの」
「まぁ……初恋の人から」
「大切な思い出なんだって。その時のお母様の顔が凄く綺麗で、私もそうなりたいと思って美容には気を遣っているの。だから綺麗だって褒められると嬉しい。ありがとね♪」
……そっか。大切な思い出か。
ギュリヴェールがボクの背中を何も言わずにぽんっと軽く叩いた。
ボクはそれに頷く。
ボクの前にギルバート様とリュディヴィーヌ様がいるということは、彼女は幸せになったという証明だ。
それが、あの時の僕が願っていたことの一つ。その祈りが届いたのなら、何も言うことはない。
あの人が僕の贈ったものを大切にしてくれていた。それが分かって、なんだかボクは心がとても温かくなるのを感じた。
「でも、綺麗なリボンですわね。ボロボロでシミだらけには見えませんわ」
「一生懸命勉強して直したんだよ。このリボンだけは汚れたままにしたくなくて」
「素敵な話……あたしも、そういう思い出を作りたいです」
「この学校でなら、コレットだっていい思い出をたくさん作れるよ。……って、あぁ~っ! せっかくメイドさんに結んで貰ったのに自慢するために解いちゃった!」
「リュディ、後先のことはしっかり考えてから行動するべきだよ。……ギュリヴェール、すまないがメイドを呼んできてくれないか」
「わたくしのメイドで良ければ結べると思いますわ。セシル、お願い出来るかしら」
「はい。ボクで宜しければ」
「あ、ありがとう。お願いしても良いかな?」
泣きそうになっているリュディヴィーヌ様から青いリボンを受け取って、後ろに回り込んでプラチナブロンドの髪の毛に触れる。
まさか、このリボンを手にする時が再び来るだなんて思いも寄らなかったな。
ボクは思わず微笑みながら、かつての皇女にそっくりなリュディヴィーヌ様の髪の毛を、青いリボンで結んでいく。
痛くしないよう、あの時みたいに優しく、優しく――。
「…………はい、出来ました」
「わぁ、ありがとうセシル。貴女、髪を結ぶのとても上手だね。全然痛くなかったよ」
「ありがとうございます。凄く前ですけど沢山練習しましたから、お役に立てて良かったです」
リボンを渡すとき、自分が結べるようにってエリザに習って練習したからね。
「それに、毎朝セリーヌ様の髪の毛のセットをしてますからね」
「ふふん。わたくしのメイドですもの、当然です」
ふぁさり、とセリーヌ様が自慢げに髪の毛を掬い上げる。
あれれ、何故セリーヌ様が偉そうなのかな? 頑張ってるのはボクだし、苦労してるっていうつもりで言ったんですけど?
「たまには自分でやってくれても良いんですよ」
「嫌よ。リュディヴィーヌ様が褒めた貴女が居るんですもの。自分でやる必要はないでしょう?」
「それは別の話では?」
「同じ話でしょう。これからも毎朝頼むわよ」
「あははっ、セシルとセリーヌはとっても仲良しなんだね。素敵な主従関係だと思うよ」
にこにこしているリュディヴィーヌ様の笑顔に、ボクは思わず赤くなる。
調子に乗ってしまったことを恥じているのか、セリーヌ様の頬も赤くなっているのが見えた。
「これ以上立って話をするのもだし、また後で改めて話しましょう。それでは、お兄様、また」
「うん。リュディ、あまりはしゃぎすぎるんじゃないぞ」
「はーい。行きましょう、コレット」
「は、はい。失礼します。ギルバート様、セリーヌ様、セシル様、ギュリヴェール様」
一人一人に丁寧に挨拶をして、コレットさんはリュディヴィーヌ様の後について歩いていった。
「それじゃ、僕たちも行こうか」
「はい。行くわよ、セシル」
「あ、はい」
セリーヌ様に促され、ボクも教室に向かった。